イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

女は良いものだと書いて

2011-12-31 01:02:58 | 朝ドラマ

『カーネーション』の糸子(尾野真千子さん)のどこが好きって、リアクションがもろオヤジなところですね。優等生ヒロインがよくやるように、指を揃えて両掌をクチに当ててまんまるおメメになったりはしない。びっくりとか感嘆したときにはクチO字に全開して「おぁ~!」。呆れたり、嫌悪感を持ったら前歯を見せてクチを歪め、同じ角度で眉も目尻も捩じらせて“うへぇ”顔。

もともと小原糸子という人物が、かわいいキレイの二の線キャラではないように設定されている(←糸子とは別角度で毒舌な元同級生・奈津からは「アホアホ不細工!」「ブタ!」「どんだけ肥えとんよ!」と言われ放題)のですが、それにしても素では普通に和風美人な尾野真千子さん、ここまでヘン系の顔芸を隅々披露するのは若手女優として結構覚悟が要ったと思う。悲しいシーンでは絶妙のタイミングで両眼から大粒の涙を、絶妙のリズムでポロハラ流すし、尾野さんなら顔アップ命の韓国ドラマ俳優さんたちに混じっても顔面表現力において一歩も引けをとらないでしょう。

 顔リアクションより月河がいたく気に入っているのは、糸子が“いまそれどころじゃないよ”という状況で話振られたときのリアクション「あぁ!?」

紳士服店でのサエ(黒谷友香さん)との採寸室バトル中、大事な上客の機嫌をそこねてはと気が気じゃない店主(団時朗さん)が「…小原っ」とカーテン外から声をかけたときも「あぁ!?」。心配ごとありげでうわの空な八重子さん(田丸麻紀さん)を案じた千代さん(麻生祐未さん)が「糸子、八重子さんなぁ…」とミシン台にスリスリかがんで内緒話しかけたときも「あぁ!?」。

微量「んがっ!?」とも聞こえるこの「あぁ!?」、特別良家令嬢でなくても普通の育ちの女子なら、やれば必ずお母さんや幼稚園小学校の先生から「オンナノコはそうゆうお返事しちゃイケマセン」と叱られる、悪いお手本の筆頭のようなリアクションです。

「女は女として生まれるのではない、女として育てられるから女になるのだ」とか何とか(とか何とかって)言ったのはシモーヌ・ボーヴォワール女史で、「女はちやほやされ続けていないと、年齢に関係なくおばさんになる」と言ったのはウチの非高齢家族の知り合いですが、従ってどうでもいいのですが、女性は男性に比べて現実主義で即物的である一方、外見・見てくれとかイメージ、いわゆる“らしさ”に、非常に弱いのもまた事実でありまして、およそ一人前の女性になるまでに、“女らしさ”“オンナノコらしさ”という言葉の重さやわずらわしさに悩んだり苛立ったりした経験のない女性はこの世に存在しないと言ってもいい。男性が“男らしさ”を意識し、「男らしくあるべき、ありたい」と脳裏をよぎる何十倍も、女性は「女らしくあらねば」と念じたり、「女らしさなんてクソクラエだ」と憤ったりしているものです。

そこで我らが糸ちゃんです。糸ちゃんの「あぁ!?」リアクションを見ていると、男・女に関係なく、人間の原初型は「オヤジ」「おっさん」なんじゃないかという気がしてくる。アナタはお嬢さんですよ、嫁入り前のムスメなのよと誰かがしつこくしつこく手取り足とり、夜と言わず昼と言わず吹き込んで洗脳教育しない限り、人間はどこまでも、性根においてオヤジ。おっさん。

めでたく教育仕上がってムスメやお嬢さまになっても、そのまま終生行くのは女性の全体の2割くらいで、あと8割は、しばらく気を抜くとじわじわおっさんにリバウンドしていく。

糸子の場合、豪放と卑小、痛快とチンケの振幅のでかさがいちばんの魅力な善作お父ちゃん(小林薫さん)の、“おっさん言動”ノンストップショーケースを身近でリスペクト摂取してきたことが大きいし、他方では女親の千代さん(麻生祐未さん)が超天然おっとり、祖母のハルさん(正司照枝さん)もどっちかと言うとオヤジ肌のばあちゃんで、“ムスメ化”教育にあまり熱心ではなかった様子。同年代のオンナノコ友達がミス毒舌の奈津(栗山千明さん)以外皆無に近く、だんじりごっこも山崩しももっぱら男の子相手だったのも影響甚大だったのでしょうが、とにかく、何やかやとしぶとくねちっこく女性たちにまとわりつく“女らしさ呪縛”からの、糸子のきれいさっぱり自由っぷりは見ていて胸がすく。

それでいて糸子が、潤いも品もないバッサバサのカッサカサに見えないのは、ひとつには「女はおしゃれをしてこそ元気が出るもんや」という、ほとんど本能的な服飾センス。そして、「あんたの図太さは(戦争で精神が傷んだ)勘助には毒や」と玉枝おばちゃん(濱田マリさん)にばっさりいかれたりはしつつも、暮れに挨拶の品を近隣に配るときには縫い子たちに「目立たんように、外で(籠の被いを)開けんと、中に入れてもうてから開けんよ」と指示して送り出す、さりげなくきめこまやかな他者への目配りです。商人として客の身になってみるセンスでもあるし、むしろ侠気とか、スジを通す、義理人情といった言葉が糸子には似合う

“女らしさ”から自由であることが、そのまま“小原糸子らしさ”になっている。糸子はそのままの自分に惚れてくれた勝さん(駿河太郎さん)に入り婿になってもらい、残念ながらその勝さんが今週戦死してしまったので、“小原糸子”というフルネームのまま仕事も人生も全うしていくことになりますが、夫を持っても、失っても、子を持ち母となっても“名前が変わらない一生”という簡裁さもまた糸子に似合っています。

ところで、月河の実家母は、戦前も戦中も知る年代ですが、つねづね「子供は“子供らしい”、学生は“学生らしい”、娘は“娘らしい”のがいちばん」「すごい美人には誰でもはなれないけれど、学生なら学生らしくしていれば、誰でも感じよく見えるし、見苦しくない」と、自分に言い聞かせるように言っていたものです。当時は「自分らしさ」「自分らしく」という表現や広報宣伝はまだ存在しなかった。

“らしさ”は人を安心させもするし、ラクにもするし、窮屈にもやりきれなくもする。輝かせもする。

「あぁ!?」の糸子のオヤジっぷり、オトコ前っぷりは、いろんな“らしさ”に取り囲まれている自分を再認識させてもくれる。時代がどうであれ、社会の大勢や趨勢がどうであれ、“○△らしく”なければならないわけではないし、逆に、“○△らしからぬ”でないといけないわけでもない。言わば、抜け出してもいいし、抜けてからまた戻っても、とどまってもいい、“柔らかい鉄格子”のようなものではないかと思うのです。

コメント
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