善作お父ちゃん(小林薫さん)、享年五十九。若死にすぎ(@『カーネーション』)。
ヒロイン(糸子=尾野真千子さん)の父親役という、“必要だから配置する”ポジションに安住せず、柔と剛、頑と脆、尊と卑、義と情、人間の両面、“面”と言うより無限のグラデーションを展開して、「人間ってほんっとにこういうもんだよなぁ」の思いを登場場面の隅々で刻印、最後は、華麗なくらいあっさり退場してしまいました。ひたすら人格高潔で立派な“だけ”のお父さんも、ただただダメでクズな“だけ”のオヤジも、ドラマに要らないもんです。
高所にワレモノ壊れ物、引火物近辺に火鉢燃えさし、飲酒酩酊で温泉入湯。晩年と言っちゃお気の毒な若さでしたが、死去までの最後の数ヶ月は『生活“べからず”集』みたいでしたな。糸子手製の高級純毛国民服に内緒のお酒まで餞別に持たせてもらって、気の合う商店主仲間と満面の笑みで手を振ったのが今生の見納め。さすがに急すぎて申し訳ないと思ったのか、まさかの危篤の電報が届いた夜半、糸子の前にだけ現われたまぼろしのお父ちゃんは「すまんかったなぁ」とでも言いたげな、いくらかバツ悪そうなテレ笑顔でした。
祭り好きの善作さんがだんじり前梃子姿の上機嫌な遺影になって、長女の優子ちゃん(花田優里音さん)散髪事件を通じ糸子に洋装店が戦時を生き延びるヒント(=軍服縫製下請)を与えてくれたり、一抹寂しくも心強く見守ってくれている一方で、今週は、元気を取り戻してくれているに違いないと信じていた勘助(尾上寛之さん)が再出征、1ヶ月後にあっけなく葬列の遺影になってしまいました。大正2年=1913年生まれの糸子と同級生ですから、昭和19年=1944年の戦没時は31歳のはず。誕生日がまだだったら満30歳かもしれない。嗚呼いたわしや。
勘助の人生って、いったい何だったのでしょう。兄貴の泰蔵(須賀貴匡さん)は町内の花形=だんじりの大工方なのに対し、さっぱり似てない弟の勘助は女子の糸子にまで顔さえ見ればヘタレ呼ばわりされていましたが、それでも稀代のお転婆ゆえに糸やんがみずから窮地を招けば、不器用なりにフォローしようと一生懸命だった。悪い級友から万引き強要されているところに敢然と割って入った糸子が、さすがに身体能力の差で野郎2人がかりでボコられそうになると、決死の覚悟で吠えまくって撃退、傷ついた糸子をおぶって送り届けてくれる男気もありました。
中学でいじめられ就職先でも上司にしばかれのヘタレ体質ながら、鋼鉄の根性の糸子にはない繊細な思いやりがあり、奈津(栗山千明さん)が父親に急逝されて沈んでいるのではないかと案じた糸子が「饅頭でも持ってって元気つけちゃろ」と菓子店に買い物に来たときには「いつも張り合うてた糸やんが行ったら、哀れまれたと思ってかえってへこむ」と、へこみ慣れしている人らしい的確なブレーキをかけてくれたり。百貨店制服突貫製作、朝駆け納品の際も、いつの間にか現場支援、糸くず取りや納品運びに手を貸してくれる謙虚な気配りの人でした。
ドラマで普通、勘助のような“気弱でぱっとしないが心やさしい善人”キャラが出てくると、気弱ゆえカッコよくないがゆえに生活苦や、異性には片思いなどの寂しさも味わうが、最終的には身の丈なりの、心根にふさわしい小さな幸せをつかんでエンドになるものです。気の進まぬ出征だったけれどもまだ戦局浅く、誰もが勝ち戦を信じることができた昭和12年、善作ら父親代わりのような近所の大将たちにアゲアゲで見送られた戦場。地獄を見た4年の後、抜け殻と化して帰郷、糸子の善意の励ましにもこたえられないほど精神が損なわれてしまった。髪結ひの玉枝さん(濱田マリさん)に手ひどく拒否されてからも糸子は陰に陽に気にかけ、顧客からの現物支払いで得た野菜や食材を縫い子に届けさせて、パーマ機供出で結髪業がいよいよ立ち行かなくなる頃には、泰蔵の女房で勘助には義姉になる八重子さん(田丸麻紀さん)を洋装店に雇い入れてまで生活を助けてあげていました。強気の糸子も、最初の励まし撃沈が身にしみていますから、たぶん静かな橋架け役となってくれた八重子さんに、勘助のその後の様子など根掘り葉掘りは訊ねなかったはず。勘助も兄嫁さんの、洋装店への通勤姿から、「糸やんは相変わらず頑張って、頑張った分結果も出して、頼りにする人らの暮らしを支えているんだな」と頼もしく思い、そしてそうはなれない自分を結局侘しく感じていたに違いない。
勘助のような何の落ち度もない人物に、相応の幸せ結末を用意しない『カーネーション』の“ぬるいお約束徹底拒否”ぶりはいっそすさまじいほどです。無名の一般市民の生命を、落ち度の有無関係なくズタボロ蹂躙してやまないのが戦争というものですから、リアルといえばこれほどリアルな戦争惨禍描写はない。いまのところ、この時代設定のドラマにつきもののスタジオ撮影まるわかりな空襲場面や防空壕場面は一度もないのに、“負け戦まっしぐらの戦中日本には、空襲のないときも確かにこんなやりきれない空気が立ちこめていたに違いない”とずっしり思わせる。勘助が「赤紙来ちゃった」と糸子に告げる第8週最後の河原のシーン辺りから、全体的にいつも微量、西日のような色合いの画面になっている。照明さんのグッジョブです。ときどき昼12:45~の再放送を出先の大画面TVで見てもやはりそんな色調なので、うちのTVが黄ばんできてるわけでもなさそう。
賑やかだった初出征時とは比べるべくもない孤独な再出征の直前、縫い子らをてきぱき叱咤する糸子の姿を物陰から見やって微笑み、胸に焼き付けて旅立った勘助の心情を“思いを寄せていた”と表現するのは行き過ぎでしょうか。同級生女子、可憐で守ってあげたい妹タイプではないし、さりとて高嶺の花のマドンナでもない。温かく優しくつつんでくれる母性愛型でもなく、炊事洗濯育児全般任しときな世話女房型でもない。もちろんお色気むんむんの性的要員なわけもない。大正生まれの男子が同じ年頃の異性を“翻訳咀嚼”し得るタームの、どこにも糸子はあてはまってくれない。
勘助が思春期男子らしくダンスホール踊り子に入れあげて家に給金を入れなくなると、糸子が客前で馬乗りになってしばくような仲でしたが、糸子の縁談と聞けば興味津々で様子を見に来て、祝言ではつい酒を過ごしてできもしない隠し芸を披露するなど“幸せでいてほしい”“糸やんは糸やんらしくいてほしい”と願う気持ちは、糸子が勘助に対して思う以上のものだったような気がする。男の自分より肝っ玉がふとく、物を恐れず馬力ばりばり、男だったらもうひとりの兄貴に欲しいような糸子に「でも、前に進む力が強い分、ちょぼちょぼの俺より抵抗がきついはず」と、助けにならないのはわかっていてもなぜか“見守り応援視線”になっていた瞬間が、きっとたくさんあったことでしょう。
自他ともにヘタレと認める男子が、男まさり女子に抱く気持ち、アニメやゲームなどキャラ萌えソフト繚乱の現代ならいくらでも表現のしようがありますが、“男は嫁を娶って養い守るもの”“女は夫に守られ従うもの”が社会通念だった時代に、言葉や行動であらわし伝達し、受信され受け入れてもらうのは途方もなく難しかったと思う。
若い男が、若い女へ好意を伝える最大最高の言葉は「嫁さんになってほしい」以外許されない時代。知力体力、経済力すべて、相手の女性より歴然と上回っている自信がなければ言ってはならない言葉でした。それは違うなと思ったら、もう黙っているしかなかった。あのひとを好きだという感情は存在しないことにしなければならなかった。
だから勘助は最後に糸子に会わず、会話も、挨拶ひとつもせず去ったのです。幼い頃からあんなに打ち解け合った糸やんに、何で軍隊式の敬礼などして行けましょうか。
勘助は勘助なりのやり方で、糸子を思っていたのです。愛していたのです。そう思ってあげないと浮かばれない。勘助、誰より糸子を愛する資格のあるのは君だったんだよ。