月河が昼帯ドラマに“嵌まる”味を覚えたのが10年前の2001年、ちょうどいまと同じクールに放送されていた『女優・杏子』でした。なんとなく惰性で毎号読んでいたTV誌の、年明けから始まる新ドラマ紹介ページで「杏子は毒の強い女」というフレーズと、衣装合わせシーンと思しき、荻野目慶子さん扮する杏子の小さなスチールカットを見たのが、何とはなしの、きっかけと言えばきっかけ。年末年始特番に多くのページを割く号でもあり、新ドラマと言っても昼帯ですから、タテ2センチヨコ5センチかそこらの微々たるスペースだったと思います。
ショービズバックステージものなら好物だし、ザ・女優魂なイメージの荻野目さんなら裏切られることもなかろう、撮り溜めの正月番組も飽きたし、暮れに借りたレンタルビデオも返却してしまったし…と、本当に何の気なしに1話見たら2話になり、あの年は確か第3話が週末跨ぎになるカレンダーだったので3話行き4話行き…で、10年を経たいまでも、「あれ以上に次回待望のテンションが下がらずに完走した連続ドラマは無かった」と断言できるくらい忘れ難い作になったのだから世の中わからない。
春は名のみの風の寒さや~♪な2月前半のいま時期は、杏子さん賭博同席黒い交際疑惑でオファーが途絶え女優生命のピンチ、夫・竜介さん(樋口浩二さん)の不倫疑惑で夫婦関係もピンチ、一方、この時期杏子さんと袂を分かっていた友ちゃん(渋谷琴乃さん)は介護派遣先の元・映画女優花村みすずさん夫妻(←実は内縁)の殉死?逝去で落ち込み…という切実なストーリー3本綯い合わさって進行していた記憶が。ヒロインの起こす波紋、巻き込まれる荒波だけではなく、取り巻く複数の人物たちの物語もしっかり射程に捉えて上下左右に振る、実に燃費のいいジェットコースタードラマでした。
ヒロインが昼帯ではよくある、常識外れや、奇矯な言動をしでかしても、“杏子さんはザ・女優でエキセントリックプラウドな女性だから”、劇中ドラマや映画の主役が1話の中で何度も二転三転するなどわけわからない展開になっても“実社会の芸能界も、理屈の通らないヘンな世界だから”で、なんとなく腑に落とさせる構造がおのずからできていた。“昼ドラ”であること、“芸能界と女優”がテーマであること、荻野目さんがヒロイン役であることなど、いろんなことをすべて逆手に取ったり順手に取ったりした、こんなにクレバーかつスイートスポットな作にももう出会えないかもしれません。
さて、同じ伝統枠の、同じ1月期クールで放送中の『さくら心中』はどうでしょうか。11日(金・祝)放送の第28話が未再生ですが(放送後2日経っても未再生という時点で体温差が歴然だが)、「どうしたらいいの」「なんとかならないかしら」「なんてひどいことをするのかしら」と、紙芝居のキャプションの様な台詞で感情表現する桜子(笛木優子さん)を筆頭に、どんどこずんどことチープな世界になってきていますぞ。お話が安いというより、舞台背景とかその見せ方が、もう満遍なく安い。
10日放送の27話では、さくらちゃん(篠川桃音さん)の養い親(お懐かしやうわさのチャンネル、木の葉のこさん)が情夫をくわえ込んだの情報に、さくらを取り返すチャンス!と桜子(笛木優子さん)勝(松田賢二さん)兄妹が押川家に押しかけて庭先で押し問答のシーン(←時節柄、相撲ネタ)(←嘘)、セミの声がみいみい響いて、厚化粧の環が蚊遣りを傍らに団扇パタパタしているにもかかわらず、半袖姿の桜子兄妹ともども、台詞のたびにクチから白い息が出ること出ること。そもそもいきなり日差しが斜めでオレンジ色で夏の光じゃないし、寒中の撮影なのまるわかり。「カット!」待ちで毛布とカイロ持ってスタンバるスタッフさんが映り込んでいないのが不思議なほど。そのもう1~2日前の押川家夕食のシーンでも、窓の外は真っ白白なのに庭先からの家の全景になると夕闇に包まれていたりしました。軒先の玄関灯に照らされての明るさがガラスに映っているなら、さらに明るい室内からあんなに白く見えるはずがないのに。
すでにクランクアップした村井国夫さんや、大島蓉子さんなどキャストの中でもベテランどころは、演出星田良子さんの手法を「しつこいくらい細かい」とクチを揃えてリスペクトするのですが、どこがそんなに細かいのか不思議。月河が再放送も含めて、一部分でも連続視聴したこの枠の昼帯ドラマ30数作の中でも、贔屓目に言っても3本の指には入る適当さ、雑さです。
昔、『スクール・ウォーズ』などの大映ドラマによく出ていた俳優さんが「寒い時期に設定が夏の、屋外のシーンを撮るときは、カメラが回り出す直前まで氷片を口に含んで(口内を冷やして)おいて、台詞で息が白くならないようにしました」「でも頑張って含み続けていると、よーいスタートでいきなり台詞のとき、舌がかじかんで噛むんですよね」とインタヴューで振り返っておられましたが、そんなアナログな手を打つ気も回らない、映ってはならないモノが映ったら撮り直す手間も惜しむ、士気の低い現場になってしまったのか。
思えばこの枠、2008年1月期の『安宅家の人々』を最後に、キャストスタッフクレジットを主題曲に乗せて、キャストが象徴的な寸劇を演じたり、(そこそこ)華麗なイメージCGが繰り広げられたりするOPが冠せられなくなり、その頃からシロウト目にも明らかな“制作予算の縮小再生産”の露呈の歴史になりました。
続く同年4月期『花衣夢衣』が始めてOP無しになったときは、人気漫画原作ゲットと衣装用の友禅などの着物がモノいり過ぎたか?と思いましたが、結局その後、OP映像が復活したのは最初からDVD販売と舞台公演セットで商品化されたと思しき『インディゴの夜』(2010年)だけ。
「あって良かった」「作品の魅力になった」と言えるOPばかりでもなかったから、OPの有無で良作・成功作と貧作・雑作・駄作を決めるわけにもいかないですけれどね。『杏子』から10年、こだわって見つめ続けてきたこの枠との付き合いも、そろそろ考え直すときが来ているのかもしれません。