イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

八百の風になって

2011-02-06 16:08:47 | スポーツ

子供の頃、プロ野球の“黒い霧”の件だったかその辺も定かでありませんが、新聞ラテ欄や週刊誌の中吊りで“八百長”と言う活字を初めて見て、アナウンサーやレポーターが「やおちょう」と普通に読むのが不思議でした。

「なんで“はっぴゃくなが”って書いて、“ズルをした”みたいな意味になるんだろう?」と。

“八百屋”と書いて「やおや」と読み、大根やおイモや菜っぱを売っている、ご近所にあるお店のことを言うのだということすらなんとなく雲を掴むようだった頃のことです。

あれだな、“八百屋”という字並びと、「やおや」という読みと、前垂れかけたおじさんが大根菜っ葉を売っているお店のイメージとが3体一致したのは、『もーれつア太郎』を床屋さんで読むようになってからだった気がするな。だったら黒い霧事件(1969年)より前なはずだが。田舎の床屋さんに漫画本が並ぶまでのタイムラグのせいかな。

……それはともかく、スタジオ番組や街頭インタヴューで大相撲八百長メール問題「残念だ」「裏切られた」と嘆いたり、「けしからん」と怒ったりしている識者、一般相撲ファンの皆さんは、おおかたの人が発言前にマクラコトバのように「ワタシもおスモウは大好きなので」と付けますけれども、いったい内心、どれくらいの比率で“ガチンコだ”と信じて観戦応援していたのでしょうか。おスモウ大好きなら、上位有名力士同士の対戦だけではなく、平幕や十両戦もたくさんご覧になっているはず。

100パーセント、全取組、序の口序二段同士から、横綱大関戦まで一切打ち合わせも手心もない、力と力の真向勝負あるのみだと信じて疑わなかったのか。99パーはガチだがひと握りの不心得なヤツらがこっそりヤッテるかもな程度には考えたうえで、「まあしょうがないか」とスルーしていたのか。70パーガチのヤオ30か。5050か。50「あるかも」と思っていたなら、「けしからん」「裏切られた」はないんじゃないかと思うんですが。「私はつねづねガチ55、“あるかも”が45だから怒ってるんだ」とでも言う人、いるかな。

NHKが朝7時台のニュースで一報して火がついた翌日の午後の民放番組にVTR出演したやくみつるさんは、相撲協会の外部役員をつとめたことでもわかるように、中学生時代から40年近い相撲ウォッチャーですが、「同じ相撲の釜のメシを食う者同士、手心とか手加減を加えるという“阿吽の呼吸”とでもいったものは(昔から)あったと思っている」という意味のことをはっきり顔出しで言っておられました。どの媒体、どの番組も「けしからん」「裏切られた」調の報道が続く中、勇気のある発言だったと思います。

そしてやくさん、後に続けて「でも、いまの時代、そういう“阿吽の呼吸”が(アリなものとして)通る時代じゃなくなった」とも。

放駒理事長は「過去には一切なかった」と、最近の、不心得な一部の現役力士限定で突発的にやらかしちゃった事案だと言い張りたい様子ですが、あったか無かったかで言えば、月河も十中八九、「あった」と考えるものです。

見も知らない、言葉も通じない、地球の端っこと端っこの国の選手同士が相まみえるオリンピックでさえも、審判同士で点数の申し合わせやりとりがあったとか、特定の国の選手に特定の審判が不自然なファウルを宣告したり、逆にしなかったりといったことが実際あるわけです。日本相撲協会なる、お世辞にも開放的公明正大とは言えない、国技の名のもとに二重三重に保護された箱庭のような競技団体の中で510年ともに寝起きし、メシ炊いたり掃除したりしながら顔見知りの先輩後輩と顔合わせ続けて、“阿吽の呼吸”やそれ以上のモノが、100パー発生しない、微塵もないと考えるほうがおかしい。

まして最近の若い衆は、昔のように寒村の農家から引き抜かれて来たようなプリミティヴな野暮天くんばかりではなくデジタル世代ですから、“阿吽”を金銭に換算したり、携帯に記録してやりとりするぐらい、師匠に教わらなくても思いつくでしょう。

そしてさらに、「あったか無かったか」の「あった」の次に、「アリかナシか」で言えば、「アリだ」と考えている月河です。

月河は、日本の国民の“騙され下手(べた)”ぶりに驚いています。およそ“おカネを取って客に見せて、楽しませておもしろがらせてなんぼ”のソフトに、“企画”“筋書き”や“匙加減”“楽屋打ち合わせ”の無いモノは存在しない。やらせや編集がまかり通るバラエティやクイズ番組はもちろん、ドラマなんか、捜査情報をびゃあびゃあ葬儀屋ふぜいに漏らしまくりの警察や、偶然出会って恋におちた2人が生き別れの兄妹だったとかのアリ得ない話を、結構皆さん喜んで興がっているのに、いち競技団体、言わばひとつの巨大な“芸者置屋さん”が独占的にご披露している演目の中で、芸妓さん同士、「今回の演しモノはウチが勝ち役な」「次の曲はウチとこの○○ちゃんに譲ってな」「ただ譲ったらお客さんケッタイに思うさかい、流れでちょっと引っ張ってからハケてな」とのウラ打ち合わせがあったということを、なぜそんなに、こと改めて嘆いたり怒ったりするのか。

娯楽のためのソフトというのは、お芸術やお文化としては低俗だったりチープだったりしても、所詮は“楽しんだ者勝ち”、つまりは“スマートに、上手(じょうず)に、騙されることができた者勝ち”だと思う。府警警部が葬儀屋とツーカーみたいな事件ものでも、そこらじゅう生き別れの兄妹や記憶喪失だらけの昼帯ドラマでも、ひととき笑って興がったり、俳優さんの美しさかっこよさに頬がゆるんだりで、TVの前での珈琲一杯、ビール一杯がちょっと美味くなれば、それで「アリ」なのです。

演る側も観る側も、調子を合わせて「アリ」にしてきた歴史的な地合いを、デジタルなメールが「ナシ」に崩し、「アリ」を守り主宰してきた当事者のトップに「ナシです」「昔から一度も、アリだったことはありません」という苦しい嘘をつかせてしまった。「ナシです」とクチから出てしまったら、もう後には引けません。

当事者たちは、「アリナシ」のコントロールができなかったということで自業自得でしょうけれど、春場所開催中止、その後も再開の目途は立たずでいちばん頭を抱えているのは、大相撲と大相撲にかかわる人々を主要なお客にし、大相撲をめぐって落ちるおカネで生計を立ててきた周辺産業の皆さんだと思います。詳しいことは知らないけれど、タニマチ衆相手の相撲茶屋とか、国技館周辺のお土産屋さんなど。大相撲が盛り上がって、スター力士が生まれて、ミーハーでも何でもとにかく大勢のファンが観戦してくれることでオファーも増える相撲キャスター、評論家、ジャーナリスト諸君。

NHK大相撲実況アナ出身で、お相撲さん以上に相撲をライフワークとしているような杉山邦博さんなど、「長く相撲をご覧になってきて、いまの一番は(八百長)臭いな、怪しいなと思われるようなことはありませんでしたか」と、みのもんたさんだったか恵俊彰さんだったか宮根誠司さんだったかに水を向けられて、「元気がなかったな、体調が悪かったのかなと思うことはあった…」と答えながら、ほとんど声が裏返って泣きそうになってました。杉山さん今年80歳。「“アリ”の地合いを長年守って、陰ながらサポートしてきたのに」と、いちばん「裏切られた!」と叫びたい気持ちかもしれません。

もっとも、「けしからん」「裏切られた」派の皆さんの怒りや嘆きの原因が、“打ち合わせしたにしては、実際の一番がおもしろくなかったよ”“見せ方がヘタだよ”“客を楽しませることより、自分の番付位置と保証される給料を優先してどうするんだ”ならば話は別です。相撲好きなら、怒るならそっちを怒るべきでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする