イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

古武士

2008-10-10 20:32:17 | ニュース

あまりに突然だったので、ここでもどう書いていいかしばらく躊躇したのですが、緒形拳さん、亡くなられましたね。

71歳。役柄的にお祖父ちゃんであっても、リタイアドや職場のOB的ポジションでも、老け込まない、悟りすまさない“現役”感のあるイメージだったので、訃報でお年を知らされると、月河にとってさえ“親世代”だったことに驚きます。

肝臓ガンでしたか。最近で、緒形さんの出演作で1話でもちゃんと見た作品というと『人間の証明』と『瑠璃の島』ぐらいでしたが、エプソンプリンタ“カラリオ”のCMでの竹内結子さんとの共演姿が、何か一気にげっそりされたように見え、衣装が赤いシャツのせいもあったのか顔色もくすんでおられたのは気がかりでした。

いままでのお仕事を振り返ると、1965(昭和40)年NHK大河ドラマ『太閤記』ぐらいからは実家にTVがあって視聴可能だったはずなのですが、「オガタケンという俳優さんがいるんだな」と顔と名前一致したのは68年のNHK金曜時代劇『開化探偵帳』だったと思います。川崎敬三さんや郷鍈治さん(宍戸錠さんの実弟で、レコード大賞歌手ちあきなおみさんと結婚されて話題をまきましたが惜しくも早世)との共演で、いま思えば島田一男さん原作で、明治維新間もない、江戸から東京になり近代警察組織草創の頃の、ザンギリ頭の“刑事”役。十手持った捕物帳活劇と、現代の警察推理物と、両方の面白さを併せ持った快作でした。

井上靖さん作『風林火山』が三船敏郎さんの山本勘助で劇場映画になった1969(昭和44)年、親戚か家族の誰かに連れられて観に行った記憶もあり、緒形さんは身軽で勇敢で晴信公にも勘助にも忠信あつい足軽の役だったと思います。当時31歳。庶民的な土の匂いと、地に足がついた“賢いたくましさ”、そして飄々とした持ち味がありました。

その前、1966(昭和41)年の大河『源義経』の弁慶も何話か見てたかな。名場面の立ち往生後、義経の尾上菊五郎(当時・菊之助)さんが「弁慶!」と声をかけても動かない場面は子供心にせつなかった。いま思えば武蔵坊弁慶役としては異例に小柄です。演技力で緒形さんの弁慶にされていたのだと思う。“味方についてくれると心強いキャラ”という印象がこの頃からあり、長く続きました。

その後悪役・怪役もこなされるようになり、「この人が出演しているから見よう」と主動機になるような、わかりやすい華のあるタイプの俳優さんではなかったけれど、気になる作品があって試しにと視聴してみると、かなりな高率で重要な役でお顔を見る、しかもほぼ外れなくいい味を出しておられて「見てよかったな」「次回も見よう」という気にさせてくれる、月河にとってはそういう存在でした。

20年以上も前の単発ドラマの、しかも脇役作を引き合いに出して失礼かもしれないけれど、以前ここでも書いた85年放送のセゾンスペシャル『受胎の森』でのアニメ作家役の緒形さんが、月河はいまだにいちばん好きです。かつての恋人(風間杜夫さん)と妹(樋口可南子さん)が結婚、不妊の妹のために卵子を提供して誕生した姪=娘への思いに心乱れる生物科学者・竹下景子さんを、自らが監修した児童演劇の舞台に誘い「貴女はボクと結婚するほうがいい。絶対にいい」とプロポーズする台詞がとてもよかった。当時一応世間的な“適齢期”に地続きだった月河、緒形さんのこの台詞を聞いて「結婚“して下さい”でもなく“しましょう”でもなく“するほうがいい、絶対にいい”ってのはコロンブスの卵だな」「“言われたい”と思わないでもないな」と思った記憶があります(言われなかったけど)。緒形さん当時47歳、土くささやヒューマニティとともに、しっかり“色気”もありました。

樹海で偶然採取した神秘の細胞サンプルとともに森に還る決心をした竹下さんが、最後の挨拶のためにアニメ製作スタジオに立ち寄り、音声チェックしていた緒形さんが躍り上がって「いま終わるから、メシ行こうメシ」とジェスチャーで合図する場面も好きでした。でもラッシュ終了して映写室が点灯し、振り返ると竹下さんの姿はなかった。いい返事が聞けるかと思ったのに、それにしてもなぜ消えた?何かおかしい…という緒形さんの落胆と疑問と、一抹の不安をにじませた表情もよかった。樹海に単身捜索に飛び込み、竹下さんが葛藤の末ひとり残していった姪っ子(遺伝子上は竹下さんの娘)を救出したラストシーンも緒形さんなればこそ。

これも前にここで書いたはずですが、ぜひ再放送かDVD化してほしい作品だけれど、単独スポンサーのセゾンがああいったふうになってしまったので期待薄でしょうね。

緒形さんの演じる人物には一貫して“生”“命”“生活”の温かい面が感じられたと思います。ときに融通の利かない仕事人間や、暗い過去を隠した人物を演じても温かみがあることには変わりがなかった。“温”は必ずしも“明”とは限らないし、作品や、設定状況によっては“温”を通り越して“暑苦”“重”に見え伝わったこともあり、ウチの高齢家族なんかはそれ故に「無条件に好きな俳優さん」ではなかったようですが、生や生活の持つ“温”性とは本質的にそんなものではないかと思う。そういう表現が緒形さんはいつもお見事でした。

85年に47歳で『受胎の森』のあのアニメ作家を演じた緒形さんを、23年後のいま、71歳で喪ってみると、10年後、20年後に緒形さんのポジションをつとめられそうな30代~40代の俳優さんが少ないことが淋しくも心細く思えます。演技力単体では互角に近くても、味や重み、特に“温”の部分が物足りない人が多い。

気がつけば大ベテラン…という役者さんが、思いがけないタイミングで物故するたびに、薄皮を剥ぐように日本のドラマ界、劇映画界が手薄になっていく気がしてなりません。

かつてご自身が島田正吾さん、辰巳柳太郎さんという新国劇の両巨頭から多くを学ばれたように、たくさんの現場で同じ空気を吸い同じ作品世界観を共有した後輩俳優たちが、在りし日の緒形さんからできるだけ多くを受け継いでほしいと願います。生前の数少ないトーク番組ご出演、『徹子の部屋』などで垣間見せた独特の語り口を再見するにつけても、恐れ多くて言葉に出せないままひそかにリスペクトを寄せ私淑していた若手さんがあまたいたはず。彼岸で見守り静かに叱咤激励してください。ご冥福をお祈りいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする