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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

エロ異夢? えっ!債務!?

2010-06-15 18:50:21 | アニメ・コミック・ゲーム

68話で元気炸裂して土間から落ちちゃった10ヶ月藍子ちゃんは、右の目尻のちょっこし下に、成長したら色っぽくなりそうなホクロがポチッとありますね(@『ゲゲゲの女房』)。水道集金マンにベロベロバーされてシラケ顔してた、生後半年藍子ちゃんには、確か無かったはず。

1話、あるいはワンシーン進むともう月齢何ヶ月か成長している設定の藍子ちゃん、何人もの赤ちゃん子役さんがリレーしているはずですが、みんな可愛くて、聞き分けがいい。カメラを向けられると全員「そうだよねーここはこういう顔だよね」という表情をしてくれる(←長めに回していい顔になったカットをつないでいるのかもしれませんが)。

松下奈緒さんの布美枝お母ちゃんにヒョイッと抱っこされると“ナチュラル高いたかーい”気分でしょうな。そのうち東京スカイツリー展望台でも連れてってあげたら大興奮な子に育つのではないでしょうか。

『悪魔くん』の原稿料だけが頼みの綱渡り家計の続くしげる(向井理さん)一家ですが、いまの視点で見てると不思議なのは、漫画家も版元も、“原稿料”がいくらかということだけを話題にしていて、“印税”という概念がまったく俎上にのぼらなんですね。

膨大な資料を集めて何週間も籠もりっきりで百何十ページ描いて、原稿料3万円なら3万円で買い切り、本になって、売れることでの+αなんにもなしというのは、書き手としてはちょっと割りに合わない気がしますが。貸本の時代はそれが当たり前だったのかしら。

戌井(梶原善さん)は、「2300部、取次に納品して、1ヵ月半で半分近く返品されてきた」と言っていましたから、刷った段階で「初版部数の半分=1150部について10%、初版がめでたく売れて再版かかったら、再版で刷った分だけさらに10%」ぐらいの約束をしていたら、現実的に返本差し引いて1000部ちょいしか売れなかったとしても、初版の半分に伴う印税はしげる夫婦のフトコロに入ったはずです。

ただ、単価がわかりませんね。当時の貸本屋向けの単行本って、1冊上代いくらぐらいだったのかしら。昭和40年頃の大人向けの週刊誌は160円だった記憶があるので、児童向けなら40円ぐらいだったのかな。

漫画ではない、『岩波児童文学愛蔵版』などは、クロス装ハコ入り、スピン付き巻頭カラー口絵付きの上製仕様で1450円~600円、小学坊主にとっては、お誕生日やお節句やクリスマスぐらいしか買ってもらえないゼイタク品でした。そうすると漫画本なら200円ぐらいかしら。大勢の借り手が回し読みする製本だからもう少し高いかな。

資料も記憶もないので雲を掴むような話になってしまうけれど、かりに200円なら10%20円、戌井との付き合いを勘案してしげるが8%で手を打ってあげたとしても16円。初版の半分1150部×16円なら、おお、18,400円入りますよ布美枝さん。原稿料3万円のほかに。年中食べ盛りな藍子ちゃんに美味しいもの食べさせて、青海波の着物を質から出して、しげるさんの戦艦模型………はちょっこし保留。

当時は、知的所有権・著作権といった概念も根づいておらず、「売れたら、売れるものを描ける作家として、それなりに次作から稿料を上げればいい」程度に考えられていたのかもしれません。

「売れなかった」と結論が出てしまった『悪魔くん』ですが、水木漫画のディープファン太一くん(鈴木裕樹さん)は「新境地って感じ」「もう10回も借りて読んだ」と絶賛だし、圧力市民団体のモンスター父兄・日出子(中島ひろ子さん)の息子も、母親からきっつく禁じられているに違いないのに、しっかりこみち書房から借りて読んでました。決して作品に魅力がなくて売れないのではなく、雑誌やテレビに押されての貸本衰退により、全国で貸本屋さん閉店ラッシュ、仕入れ部数も激減の途にある時代に、せっかくの意欲作を貸本で出そうとするからヘタるのです。

昨日67話では、数少ない「まだ勢いがある」少女漫画専門の貸本出版社でめでたくデビューを飾ったはるこ(南明奈さん)も、「少女漫画も雑誌の時代、いまから大手の雑誌社に売り込みに行くんです」と言っていたほど。

振り返れば、昭和36年に布美枝とスピード結婚した当時から、しげるの収入は先細りでした。“1冊描けば3万円”との情報を鵜呑み、「そこらの勤め人よりも実入りがいい」と源兵衛お父さん(大杉漣さん)は安心して大事な娘を嫁に出したのですが、調布のしげる宅はすでに大変なボロ家。新婚早々、貰い湯に来た雄一兄貴(大倉孝二さん)のクチから、暁子姉さん(飯沼千恵子さん)の前で「13万円は景気のいい時の話、いまは貸本業界はどこも火の車、しげるも苦労する」との発言がありました。浦木(杉浦太陽さん)のテキトーな口利きで間借りさせることになった、大阪から活路を求めて上京してきた同業者の中森さん(中村靖日さん)には、しげる自身から「東京の貸本出版もだいぶ潰れた」「生き残っているところも、原稿料を値切る」と実態レポートが。

旧友でかつての紙芝居パートナー・音松親方(上條恒彦さん)との再会エピでも、「あんなに大勢の子供たちが集まっていた紙芝居が、お客が日ごとに減って、いつか人っ子ひとりいなくなる」「夕飯前、紙芝居屋が回ってくる時間に、いまは相撲だ野球だと、子供らはテレビに夢中だ」「ひとつの仕事が無くなるということは怖いものだぞ」と、しげるは布美枝に語っています。「描けばええんです」「描き続けていれば、金は入ってきます」と言ってはいても、この先、貸本漫画一本では生きていけないだろうことは、ドラマの早い段階でしげるにもうすうすわかっていたはず。

富田書房が名実ともにつぶれ果て、鬼太郎シリーズの完結と『河童の三平』起稿を応援してくれていた深沢社長が結核で長期療養に入ってしまい、春田(木下ほうかさん)から嫌み言われながらやっと取った少女漫画の短編の注文は、1万円の約束が、代わりに原稿を届けた布美枝に渡されたのは5千円ぽっきり。

とうとう先週のナメクジ出版社長(住田隆さん)からは、1冊まるごと「なかなか良く描けてるね」と愛想笑いされながら、なんとたったの3千円、「いくらなんでもっ!」と攻めて、目いっぱい上乗せして35百円しかもらえなくなってしまいました。

しげるの執筆意欲や発想力は旺盛なままなのですが、劇中、登場する金銭の額で言えば、時間軸とともに見事に右肩下がりです。

五輪景気に沸く世の中のムードに、暗く不気味な作風が合わないという評価もあっただろうし、「下品でどぎつくて陰湿、子供に読ませたくない」と良識派気取り父兄に叩かれたりもしますが、“見る人が見れば、水木漫画は個性的で独創的で内容が濃く、子供だけではなく社会人でも繰り返し読んで面白い”ということは劇中、ちゃんと提示されています。貸本は廃れても、漫画そのものは昇り調子の時代。作品の魅力が収入につながる方向にどう舵を切るのか、ドラマ的にどう表現されるのか、これから見ものです。

今日は、こみち書房での藍子ちゃん土間落ち事件で“赤ちゃんが泣けば(泣いたことにすれば)、不利な状況に水をさせる”と学習した布美枝グッジョブ。“思いがけぬ失業、ここ12ヶ月が苦しい、しげるからアレしてもらう気で来たが、あとは奥さんの了解だけだからヨロシク”とヒクヒクにやつく雄一兄貴と、すでに貸す気満々のしげるが、「うふふ」「ぬはは」と笑い合ってってゴマカしてるところを、本当はお寝んね中の藍子ちゃんにかこつけて席を立ってしまいました。

本当に世のダンナ族は、女房のことを、自分及び自分の家族に奉仕する、実質タダ働き使用人と思ってるからねー。

リアル水木しげるさん兄とは、調布の例の建て売りボロ家(←買った時点ではボロ家ではなかったと思いたいが)購入時に頭金、それこそ土地所有権問題その他でひとかたならぬ恩があったらしいし、お兄さん自身も戦後は諸般の事情で再就職が難しく妻子を抱えて苦労されていたらしいですから、貰い湯や失業中の援助ぐらいは実弟しげるさんとしては当たり前な気持ちだったのでしょうが、とりあえず、ドラマの雄一兄貴は、早こと返済してごしなさい。

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屈辱的講和条約

2010-05-28 20:26:31 | アニメ・コミック・ゲーム

ぬうむ、しげる(向井理さん)が請け負ってきたのは少女漫画でしたか(@『ゲゲゲの女房』)。

リアル水木しげるさんも貸本時代は別名義で、女性のアシ使って少女漫画を発表していたというし、史実に基づいたエピなのですが、“原稿料を半額値切られたことより、古くさいとケチつけられたことより、「あなたの名前では売れないから別名、従って新人扱いのギャラでなら仕事あげる」まで貶められながら黙々と描いてきた夫の気持ちが傷ましい”と帰途の境内で涙する布美枝さん(松下奈緒さん)の妻心の話にまとめました。

でも帰宅するときには、吹っ切って笑顔で夫の好物のコーヒーを買い、夫も「あれ(=変名)も作戦のうちだ」「名前を変えても、漫画を描いて生きて行くことは変わらんのだけん」とさらっと前向き。この夫婦は揃って、手詰まりかなという局面で次善の策、次々善、次々々善…の策をとって、まずは打開して前に進むことにためらいがないのがいいですね。

それでいて、“本当に自分が描きたい、自信のある漫画はこれだ”という基本線を夫は崩さず、“うちの人が打ち込んでいる大事なお仕事、心ゆくまでやってもらいたい”という妻の思いも不動。朝から貧乏苦労物語なんてこのご時勢にどうなのよ?という当初の大方の懸念を、いまのところ、“とにかくぶれない”という爽やかさ一本で押し切っています。

そういや布美枝さん、安来時代に、チヨちゃん(平岩紙さん)に頼まれてインスタントラーメン実演販売をお手伝い、人だかりにテンパっちゃって散々な結果に終わり、「外でお仕事も難しい、このまま家事手伝いでもいけん」と、新製品のインスタントコーヒーで休憩しながら「ニガいなあ…」と溜め息ついていたこともありましたっけ。いまは愛する旦那さまが淹れてくれる“砂糖幾つ入れたか忘れてしまった”あまーいコーヒーで乾杯。商店街の“純喫茶・再会”もなんだかんだで重要な場面転換、心理スイッチ切り替えスポットになっているし、しげるさんの好物“コーヒー”は今後も小さなキーアイテムになりそうです。

昭和37年の貸本漫画界の記憶は月河もさすがにありませんが、昭和40年代前半の週刊・月刊の少女漫画誌なら、結構、男性の漫画家さんで思い出す名前や絵柄がありますよ。手元に資料が無いのですが、週刊マーガレットでは学園もの、戦争体験ものの鈴原研一郎さん、怪奇ものの古賀新一さん。ギャグでは石森(←当時)章太郎さんの『さるとびエッちゃん』なんか好きでしたね。

週刊少女フレンドではいまもご活躍の楳図かずおさんが『まだらの少女』『ミイラ先生』などでトイレに行けない夜を幾晩も作ってくれたし、あしたのジョーのちばてつやさんはスターを目指す少女の芸能界バックステージものを描いていた。ちょっと後の年代では実写ドラマにもなった望月あきらさんの『サインはV』も。

月刊の、りぼんでは松本零士さんが愛犬・動物ものをよく描いておられたような。のちに牧美也子さんが奥さんだったと知って驚いたっけなあ。ちょっと脱線。

同じく月刊のなかよしでは、手塚治虫さんの『リボンの騎士』が読めましたが、完結までは行ったのかどうか。

子供心に、男性名前の漫画家さんのは総体的に「地味だなあ」という印象はありました。『ゲゲゲ』のスーパー嫌味・春田社長(木下ほうかさん)の言うように「古くさい」と論評する目は、いままさに漫画読み始めたばっかりのガキですからもちろん無いのですけれど、どうも“華”がないのですね。少女漫画の代名詞“おメメに星キラキラ”も少なめで、女の子があこがれるようなかわいい顔、真似したいおしゃれな服装髪型のヒロインが出てこない。とりわけ月河が好きだった、国籍不明時代不明のお城や洋館、舞踏会やお姫さまドレス満載のお話が、男性漫画家には無理だったようです。唯一『リボンの騎士』でシルバーランド王室や貴族を描いた手塚さんは、例外的に宝塚少女歌劇が近隣だった幼児体験が役立ったのでしょう(それでも女性漫画家の諸作に比べればかなり地味でしたが)。

いま考えてみれば、昭和40年前後にすでに大手誌に寄稿していた漫画家さんで男性ならば、軒並み戦争体験世代だったはずです。ちょっと年かさならば水木しげるさんのように従軍経験があっただろうし、もう少し若ければ軍国少年、軍国青年として、お国のために立派な兵隊さんになりなさいと教育を受けたはず。

こういう男性たちが戦後、好きで志して、あるいは成り行きで漫画描きになった場合、「女の子にうけるようなものを」と要求されたって、やはりお話もキャラも絵柄も、リアリティや切迫感、切実さの桎梏から逃れられないのは当然だろうという気がする。恐怖怪奇もの、戦争体験もの、動物もの、スポーツ根性もの…といった、少女誌内での男性漫画家さんたちのテリトリーは、“女の子向けでも、この方向性で、ここまでなら自分の持てる技でどうにか”という、彼らのギリギリの打開策であり妥協ラインだったのかもしれません。

さて我らがゲゲゲしげるさんは、ガード下で落ちぶれた富田社長(うじきつよしさん)と再会、国交断絶したはずなのに背に腹はかえられず虎の子の新作『河童の三平』を預けてしまいましたよ。シリーズで8巻出すから10万円、支払いは3ヶ月後にって、豪快というよりホラ話みたいな約束、どう考えてもスベるような気がするんだけどなあ。富田書房、事務所のドアのガラスもなくなって、ハトロン紙みたいの貼ってるし。手形に弐拾円の収入印紙貼って割印してあったけど、あの印紙さえ本物かどうか怪しい。よく事務所の電気が止められなかったものだ。

デビュー作を出してくれたとか、過去の恩義に関してはしげる、妙に義理堅いからなあ。

布美枝さん、いっそのことその手形、街金に持ってって割り引いてもらって現金に換えたらどうでしょう。社長がガード下でやさぐれてるような会社が振り出したんじゃ、落ちても割れない鉄板手形かな。

そう言えば、今年度下期の朝ドラのタイトルは『てっぱん』だそうで…って、さすがに関係ないか。

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何か妖怪?

2010-05-12 21:12:52 | アニメ・コミック・ゲーム

さほどの自覚はなかったのですけれど、振り返ると自分も“マンガ世代”の一端だったのかなと思う。『ゲゲゲの女房』を視聴していると、場面場面、台詞の端々で、“自分とマンガ”に関していろいろ思い出すことが尽きないのです。

今日(12日)は、神戸在住時代にしげる(向井理さん)が組んでいた紙芝居弁士の音松さん(上條恒彦さん)が来訪。食費キツキツなのにまたメシ食ってく客かよ!酒もかよ!とつい布美枝(松下奈緒さん)になり代わってカリカリ来たりするのですが、聖なる妻・布美枝さんは「(夫が)お世話になっとりました」と殊勝。身長だけでなく、月河より何回りも人間が大っきいですな。

それはともかく、3年以上前にしげるが貸本漫画に転じ東京に居を移し、音信不通だった音松がどうやって村井家の所番地を知ったのかと思ったら、前回(11日)、こみち書房の店先を通りかかったとき、美智子さん(松坂慶子さん)たちが、ファンが増え回転が良くなってきた『墓場鬼太郎』の話題に花を咲かせているのを小耳にはさみ、“妖怪・借りてけ婆”…ではなくてキヨさん(佐々木すみ江さん)のハタキ攻撃をものともせず鬼太郎新刊を立ち読みしたからなのですね。

 あの後、音松さんが美智子さんに「この鬼太郎の本はいつ刊行されたんですか」「3冊も出てるところを見ると人気あるんでしょうな」と気さくに話しかけて警戒を解き、お客には愛想を絶やさない美智子さんからそろっと聴取した可能性も否定できませんが、昔、漫画本の巻末や柱には、描いた漫画家さんの住所が地番までまるっと掲載されていて、「○×先生にはげましのおたよりをだそう」なんて添え書きされていたものです。

 設定の、昭和36年当時の貸本専用書きおろし漫画となるとさすがに月河もお付き合いがなく、記憶も確かめるすべもありませんが、昭和40年代初期ぐらいまでのマーガレットや、りぼんや少女フレンドには、作品ごとに、最終ページひとつ手前ぐらいの柱にほぼ漏れなく“はげましのおたよりカモン”フレーズと、漫画家さんの住所が明記されていました。

現代なら信じられませんね。月河よりちょっと上のお姉さんお兄さんたちの中には、あれを見て一生懸命ファンレターを書いた経験のある人が結構いるはずです。「○野×子センセイみたいなマンガを描きたい」「いつもマネしてノートの端っこに描いて、クラス友達にうまい言われてるから、きっと描ける」「弟子にしてほしい」と、幼い“原稿”を手に電車を乗り継いで掲載の住所に表札頼りに押しかけ試みた少年少女も、少なくとも東京近郊なら相当数と思われ。

いまの時代そんな個人情報載せたら、無邪気なファンより、悪意の人、ヘンかつ危険な人がぞろぞろ来ちゃいますからね。いい時代だった。

それでもやはり問題は皆無ではなかったと見え、昭和40年代後半には“はげましのおたより”の宛先は当該雑誌の編集部に変わって行きました。要するに、“おたより”が、出版社側の“人気のある=売り上げ貢献度の高い作家・作品はどれか”をリサーチするツール化していったわけです。

やがて、綴じ込み読者ハガキの“おもしろかった作品・記事・ページ”にマークするアンケート方式になった(と思われる)頃には、月河も漫画雑誌を卒業してしまい、その後の状況は寡聞です。

音松さんは、こみち店先で聞きかじり読み知った情報で、「斜陽の紙芝居描きから貸本漫画に転身して当たる人が少ないのに、かつての相方は珍しく成功してるらしい」と早のみ込みし、純粋に祝福したいのが50、あわよくば資金をたかろうとの下心が30、好奇心とやっかみ半分が混じって10、“痩せても枯れても紙芝居屋魂”のプライドを見せたいのが残り10…ぐらいの料簡持ってそうです。

しげるが布美枝に「紙芝居は手描き1点限り、全国を回ってぼろぼろになるまで使われて、古くなったら捨てられてお終いだ」と仕組みを説明している間の、底に意地を秘めた遠い目が印象的でした。「紙芝居の鬼太郎、見てみたいです」と布美枝さんがお追従でなく言ってくれて、心底嬉しそうでしたね。たった1枚残っていた表紙絵に、顔つき合わせ子供のように見入る2人を見ているうちに、“新しい紙芝居団体設立”の話を、その場で思いついて、カネを引き出す算段立ててるんじゃなければいいけれど、しげる、自分にプラスになる人を選んで引き寄せマイナスは遠ざけるていの人間関係力は、滅法弱そうだからなあ。

しっかし、このドラマの台詞作りは本当にセンスがいいなあ。昨日(11日)の放送回で、単行本3巻まで出したのに原稿料が支払われず業を煮やして富田社長(うじきつよしさん)に直談判のしげる「このままでは女房とふたり、人間の干物になるんですよ!」

普通、こういうとき「日干しになりますよ」「干上がってしまいますよ」とは言っても、“人間の干物”は出てこないでしょう。同じようでいて、微妙に言わない。普通の人は。普通じゃないセンスの水木しげるさんだから言う。

なんかね、原案の、リアル水木しげる先生と重なりつつも微妙に別建てで“『ゲゲゲ』劇中の村井茂”が、スタッフさんたちの中で造形され愛されて彫琢されているような気がするんですね。「こんな場面で、こんな言葉を使いそう」「こんな対象にこんなリアクションしそう」と想像肉付けがいくらでもふくらんで行く感じ。

そしてまた、ゴウツクのくせに商才はない富田社長「いいねそれ!次の鬼太郎にどう?“妖怪・干物人間”。だーはははは!」と釣られる釣られる。

“人を説得するための、モノの喩え”ひとつとっても、咄嗟に“妖怪っぽい”表現をとってしまうのがしげるさん。たぶん怒ってるときも、嬉しいときも、脳内は妖怪・物の怪(け)、善なのも悪なのも取り混ぜて、イメージがひしめき合ってるのでしょうね。

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迫力のある生活

2010-04-30 15:44:21 | アニメ・コミック・ゲーム

『ゲゲゲの女房』のおかげで、たびたび耳にするようになった“貸本(かしほん)漫画”という言葉。BSマンガ夜話』でも、昭和のベテランどころの作品がお題になると触れられることはありましたが、“実物”が展覧に供されることはなかったように思います。

月河が、“チマタをにぎわすマンガなるもの”に初めて触れたのは昭和3839年頃で、すでに漫画雑誌が出回って、年長のいとこや、そのまた友達が持ち込んでくるやつを読めたし、NHKしか映らない地域ではあったけれどTVもしっかりあったので、『ゲゲゲ』劇中のこみち書房のように、“子供も大人も集まる、町のちょっとした社交場のような貸本屋さん”は覚えがないんですね。

でも、昭和40年代の中盤ぐらいに住んでいた家の近所に一軒、確かに貸本屋さんはありました。

地方でも一応県庁所在地の、比較的住宅の密集した地域で、夕方になるとそれこそ買い物カゴを提げた奥さんたちが野菜や魚を買いに集まる市場の片隅で、お世辞にも繁盛している感じのお店ではなかった。店内は両壁と土間の真ん中にびっしり本棚あるのみで、こみち書房風に駄菓子の量り売りもなかったし、食べながら腰かけて読めるテーブルなんかもなく、ただ、劇中で佐々木すみ江さんが座っているような番台みたいのはしっかりあって、あんまり愛想のない、漫画好きそうでもないおじさんがいたような。少なくとも、佐々木さんのような、味のある、一度見たら忘れられない系のおバアちゃんではなかったな。 

遠からぬ距離に大学もあり、下宿屋さんやアパートなどもぽつぽつあった地域なので、お客さんらしい人影があるときはたいてい学生さんか、もっと年上の男性が中心でした。

当時就学前~小学校低学年の月河の、同じ年頃の近隣の子がわいわい利用していた記憶はないし、クラスで貸本の話題が出たこともありません。当時の子供たちの興味の主役は当然、とっくにTVでした。

子供を持つ親の例にもれず、月河実家両親も貸本・売り本・雑誌を問わず子供が漫画を読むことに基本的にネガティヴで、子供月河にとっても、本そのものは好きだったとは言え、新刊書店に比べて狭くて、“お古”ばかりでキラキラしてない貸本屋さんは、積極的に足を踏み入れてみたい場所ではなかった。

事情に関しては記憶がおぼろげなのですが、確か、いとこが借りて持ってきたのを返しに、一度か二度入ってはみたのですね。棚に並んでいたのは『恐怖ミイラ人間』とか『秘境の帝国』とか『闇の魔人なんちゃら』みたいな、就学前~低学年の女の子としては背を見ただけで引くようなやつが多かった記憶。

BSマンガ夜話』で貸本漫画について言及されると決まって「絵柄が暗い」「黒ベタの面積が大」という話になりますが、さもありなんと思います。

いとこは幼かった月河のために、そういう品揃えの中でも一応少女漫画っぽいのを選んで持ってきてくれたはずで、いま思えばメジャーになる前の赤塚不二夫さんが別の筆名で書いていた作品だったかも。“河井(かわい)まつげ”なんて名前の、ひみつのアッコちゃんにちょっと似た女の子キャラが出てくるのも含まれていました。

それにしても、すでに『マーガレット』『りぼん』『なかよし』などの華やかでオシャレな絵柄に接していた目には古臭く見え、もっと読みたいとは思わず、結局それきりになりました。こみち書房の美智子さん(松坂慶子さん)が言っていたような会員制だったかどうかも覚えていませんね。子供では会員になれないし、上記のような理由で親が一枚かんでくれたはずは100%ありませんから、すでに社会人だったいとこがどうにかしていたのかな。

『ゲゲゲ』劇中で「大手出版社が続々漫画雑誌を創刊するので、貸本漫画は旗色が悪い」という台詞が何度か出て来ましたが、設定昭和36年の東京で起きていた潮流が、78年遅れで地方にも来ていたのだと思います。八百屋さん、魚屋さん、酒屋さん米屋さん、あるいは床屋さんや薬局兼化粧品屋さんなど、近隣の人たちの日々の暮らしの、活き活きした匂いに満ちた商店街の一角で、思えばあの貸本屋さんだけ、大袈裟に言えば斜陽の色合いが漂っていたような気がします。

貸本漫画にとってかわった漫画雑誌も平成22年のいまや下降線で、それどころか紙に印刷した本全体が売れなくてこの先どうなる?みたいな時代になっていますが、漫画であれ劇画であれ、あるいはそれに先立つ紙芝居であれ、また絵のない小説や戯曲であれ、“おもしろいお話にワクワクしたい”“魅力的な人物、キャラに感情移入したい、萌えたい”という気持ちが、ある程度の文明レベルに育った人間ならば、完全にすたれることは決してないと思うのです。太平洋戦争突入前の地方の町、もちろん家にTVはまだなく、映画館もちょっとした遠出になる(←ユキエ姉さんの内緒のデート)地域に育った布美枝には、昔話語りの達者な登志おばば(野際陽子さん)がいました。

ただ、“媒体”は、人間が求め追求する“便利さ”“快適さ”の進化に従って、どうしても興隆と衰亡のサイクルに巻き込まれるのは仕方がないかなという気がする。人気を得る作風、絵柄、キャラクターも、時代背景によって変わるでしょう。

劇中の布美枝(松下奈緒さん)が「毎日朝までお仕事(=漫画執筆)で、ろくに話もできん」「あんなに働かれとるのに、なんでお金にならんのだろう?」と案じるのをよそに、水木しげるさん(向井理さん)は「描けばええんです」と涼しい顔をして(装って?)いますが、戦後から高度成長期の右肩上がり日本、読者は戦後生まれ、団塊世代以降の子供たち。紙芝居や貸本で当たっていた作品が、衣食足りた子供たちを喜ばすための週刊雑誌のウツワに盛って、そのまんまヒットするとは思えません。月河も一応、床屋さんの待ち時間で『少年マガジン』を読み、白黒TVで鬼太郎アニメを見た経験上、昭和40年代に入れば水木さん、すっかりメジャー漫画家になるのがわかっているから一応安心してドラマも見ていられますが、まだ設定昭和36年。あと34年はキツキツの生活が続くのでしょうねえ。

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秋に春色の汽車

2008-09-30 00:29:55 | アニメ・コミック・ゲーム

国土交通相辞任の中山成彬さんは、日教組ガン発言については“偉くなって注目を集めたら、集まってるうちにどっかで言ってやろう”とむしろ狙って発したくさいですね。相当ためて、ためて撃ち放ったと思しき“風圧”がある。

むしろ“怨恨”に近いものすら感じますな。

それよりこの人、両耳上だけ白くて“天井”部分が黒く、おまけに真っ水平に撫で付けた頭髪といい、全体にパーツが顔面の下方に集まって(額が後退してるだけとも言う)、しかも外側に向かってすべてが“尻下がり”な配置といい、等身のサイズ(横幅たっぷりな顔だけ見てると3頭身ぐらいなイメージ)といい、いしいひさいちさんの漫画のキャラになるために生まれて来たようなルックスですよね。

もうどっかで描かれてるかな。いしい漫画の歴代総理・閣僚、小渕恵三さんや村山富市さんなんかはかなりそっくりだったけど、海部俊樹さんや細川護煕さんなんかは雰囲気だけで、「これ海部だよ」「殿様だよ」と言われればそうかと思う程度の似方。でも、言われたら最後、もう海部にしか、細川にしか見えようがなくなるという。

特に、森喜朗さんはすごかったな。よくご本人からクレームが来なかった。顔の下半分の幅が頭部のそれの4倍くらいあって、がきデカの大親分みたい。しかも頭頂部にいつも日の丸立ってんの。お子様ランチか。容貌よりキャラポジションをヴィジュアル化したんでしょうね。

たぶん、いしいさんにかかると、麻生太郎新総理なんかは、クチが顔の輪郭の5センチぐらい外、なんならコマの外に出てるような気がしますが、最近連載見てないからなあ。

さて、本日929日放送開始の帯ドラ2タイトル。

NHK『だんだん』は、『24(トゥエンティフォー)』ばりの画面分割がちょっと高齢家族には唐突だったようですが、昨年暮れ液晶ハイビジョンTVに切り替えたので、さほど見づらさは感じませんでした。従来のブラウン管小画面アナログTVだったらかなりせせこましい感じがしたはずで、これは国営放送による遠回しな地デジ対応買い換え促進キャンペーンと読むべきか。

『赤いスイートピー』のリフレインは懸念した通りちょっとうるさい。三倉茉奈・佳奈さん、専業歌手でないわりには声も歌も悪くないのですが、松田聖子さんの初期の一連の曲って、澄んだ声で丁寧な音程で歌われるほど“こまっちゃくれた”感じがしてしまうんですな。月河がリアル聖子ちゃん仰望世代でないからかもしれない。

同じ双子モノでも『ふたりっ子』とは違って、マナカナちゃんが最終話までぶっ通しでヒロインを演じる、とにかく一にも二にもマナカナちゃんありきの企画なので、彼女たちに「かわいい」「頑張ってる」という好感をまず持てないと、お話に乗っていく以前にきついかも。

ウチのはむしろ宍道湖サイドのめぐみ(茉奈さん)の継母役・鈴木砂羽さんを見て「美和子さんがこっちに出るってことは、(『相棒』の)亀ちゃん(寺脇康文さん)はやっぱりいなくなっちゃうんだねぇ」と、そっちを積極的に惜しんでいました。

もう1本は昼の東海テレビ制作『愛讐のロメラ』。いきなりタイトルバックに男性舞踊手の影絵が現れ、♪イライライライラ~イ とスペインの歌曲“ロメラ”が流れるインパクトたっぷりのスタート。

続いてのOPクレジットかぶせの主題歌はザ・タイガースの代表的ヒット曲『花の首飾り』カヴァー。仲村瑠璃亜さんの、か細く甘い歌声がいかにもメロでいい感じ。

昭和40年代の国内GSブームは、当然ビートルズに触発されてのムーヴメントだったのでしょうが、ビートのきいたエレキサウンドだけではなく、『花の~』のような、カレッジフォークっぽい、メルヘ~ンな曲が混じって流れても違和感がなかった。つくづく日本の大衆音楽は強靭な雑食胃袋だと思います。ちょっと脱線。

ヒロイン・珠希少女期の増山加弥乃さんは、高校中退した15歳にしては若干幼いか。中学生でもいいくらい。珠希が成人していとうあいこさんに交代してからは、相手役・恭介の男優さんも交代するようなので、ヒロインだけ独走で老けちゃった『花衣夢衣』のような段差感はなくてすみそう。

今日第1話では少女ヒロインの逆境カワイソぶり、少年相手役との淡い交情よりも、大病院院長(名高達男さん)と冷や飯食わされの妾腹弟(うじきつよしさん)との、怨念・嫉妬・軽侮・同属嫌悪・コンプレックスに野望と、盛り沢山に入り混じった心理綱引きが圧倒的。どうやら院長夫人(いしのようこさん)は弟のほうの元カノだったよう。

あと、登場回数この先少なそうですが珠希・亮太姉弟の住む山梨の家の大家さん役に絵沢萠子さんのド迫力。愛人を追って家出した母(立原麻衣さん)は珠希の亡き実父が再婚した、珠希にとっては継母で、亮太は彼女の連れ子、従ってこちらも珠希とは血のつながりは無いこと、一気に台詞で説明し切りましたよ。

絵沢さんと言えば何と言っても故・伊丹十三監督『マルサの女』での「オンナはココに隠すんだ、さあ調べろ!」と開き直る被査察者の愛人おばちゃん役がいまだに忘れられないなぁ。

昨年の同枠このクール『愛の迷宮』は、ナレーターが池上季実子さんで“裏地に正絹”みたいな豪華さでしたが、今年も吉本多香美さん。お父上の黒部進さんが04年の『愛のソレア』に出てくれてましたが、今年は顔出しがあるかな。

そう言えば『だんだん』のナレーターは主題歌を歌っている竹内まりやさんが起用されています。あまりナレーションに拠りかかったドラマ作りは歓迎しませんが、帯ドラマはとにかく“継続して、1話でも多く見てもらうこと”が命なので、何でもいいから「オッ?」と興味持って入ってきてくれればオッケーですかね。

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