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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

♪未来が~いまは~遠くても

2016-01-08 20:59:26 | 朝ドラマ

 『まれ』の、朝ドラとしてのお手柄はざっくり言って、“朝ドラを現代ものにした場合の難しさを、洗いざらい曝け出してくれた”ことです。

 現代もの朝ドラの全作が“難しい”わけではなく、全作がハズレ作というわけでもありません。しかし、放送開始~3週4週、5週6週と来て、「・・コレ正直、継続視聴ツラいな」と思った作品、あるいは「ツラいと思ってる客が多そうだな」と感じた作品は、ほぼ例外なく現代ものだったのではないでしょうか。

 たとえばまゆげネコ、たとえばラジオぽてと、たとえば蜆汁、たとえばぞめきトキメキ出版、いっそサザンアイランドなど、「はいはいはいはい」と黙認しながら流し見するのが、エピソードを重ねるごと、ゲスト出演者が新参するごとにしんどくなってくる作品。

 大正生まれのヒロインが夫と二人の兄の出征を見送り、国民学校の教師として教え子たちと戦中戦後をけなげに生き抜くあの作品なども、現代時制のインタヴュー形式で、老女となったヒロインが当時を振り返る場面が挟まると、人物が全員異様に長命で、一気に嘘くさく、イタくなりました。

 アイドル業界を舞台にしたあの作品なんかはブームになったし劇中楽曲も売れたし当たり作だったじゃん!というご指摘もありましょうが思い出してください。あの作品の放送は2013年春~秋口で、設定はメインパートが2008年夏から始まり、最終話は2012年夏。一度も視聴者と同じ河岸の現在時制に追いつくことは無かった。つまりは言葉の正しい意味での“現代”ものではなく、近過去もの、それも現在時制の日本人にとって戦争よりも、原爆よりも生々しい、平穏な日常を揺るがした災厄体験である東日本大震災を挟んでいる。形を変えた“戦前戦中戦後もの”でした。しかもなおかつヒロイン母親の回想パートの1984年~89年がインターバルをおいて併走する念の入りようで、現代ものにつきものの“難しさ”から、非常にスマートに自由になれたクレバー作でした。

 そこで最初に戻ります。『まれ』が蛮勇を振るって提示してくれた“現代ものの難しさ”とは何なのでしょうか。

 (この項つづく)

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ケーキ回復

2016-01-08 00:51:49 | 朝ドラマ

 紅白歌合戦にシニカルな視線を向けついでに、おいたわしくもダシに使われた『あさが来た』をウンヌンするならば、忘却の彼方に消え去る前に『まれ』についてもちょっとはいっとかなきゃいけませんな。

 年頭恒例のNHK『新春テレビ放談』2016の“ドラマランキング”でも、前番組『マッサン』と後番組『あさが来た』はベストテン入りしているのに『まれ』だけスポッと“欠席”な辺り、NHK内部でも「朝ドラ全般に好調が続く中、“一回休み”」が『まれ』だった、という暗黙の了解が成立済みなのかもしれません。

 もっと評価されていい朝ドラだったと思うのですけどね。贔屓目線ではなく、最近数年間の朝ドラの中の、大ヒット作とか、超愛され作にはならなかったかもしれないけれど、控えめに言っても“朝ドラ制作指針上の、一大貢献作”“功労作”として認める必要はあると思うのです。大相撲で言えば「千秋楽で勝ち越せば敢闘賞だったけど負けて七勝八敗で取れなかった」ぐらいのね。

 ではどこが大貢献ポイントなのか。千秋楽の“八敗目”は誰に、何に負けての黒星だったのか。それはまた次のエントリで。

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ズルい男

2015-04-06 01:28:27 | 朝ドラマ

 『まれ』にはもう一つの試練がありまして、4月6日(月)からの第2週、BSプレミアムでの放送時間帯(朝7:30~)の前枠(朝7:15~)で『あまちゃん』の再放送が始まっちゃうんですな。

 Bプレの視聴率は地上波に比べれば幾らのものでもないのでしょうけど、これ意外に手ごわくないですか。こちらも目の前いっぱいの海、漁家の主婦たちが頑張る浜辺の漁村ですよ。東京から来た女の子が、白ブラウスの制服で自転車乗って「わーーっ!」とか叫びながら学校かようわけですよ。絵柄だけで7割ぐらいかぶる。少なくとも序盤はかぶる。

 しかもしかも、『あま』はたとえば"東京育ちのヒロインが、テンション上がると方言すらすら"といった"漫画的誇張表現"において、掟破りのパワーとテクニックを先天的に備えているのです。地方舞台の朝ドラで、ヒロインが地元出身設定でない場合の、ヒロインの台詞をどうするかは非常に大きな問題なのですが、『あま』は「生まれ育った東京では自己表現難、コミュニケーション難で口数が極端に少なかったヒロインが、母の故郷の海に魅せられ地元の人々の温かさに心を開き、即効で方言使いに」という、理に合っているようないないような、感動ものなのかご都合主義なのかわからんチカラワザで"生粋ネイティヴからすればちょっとヘンな方言のアキちゃん"を成立させてしまった。演じる若手の能年玲奈さんも、この超絶サポートでおそろしく台詞言いが楽になったはずです。

 一方の『まれ』は、ローカル色のホームコメディ仕立てで"いつどこで笑ってもいい"作りになってはいますが、『あま』の(←バランスとろうと思ってひらがな2文字に詰めてます)、骨の髄までみっちり隙間の無い「いねぇよ!」「あり得ねぇよ!」「んなわけねぇよ!」漫画チック無双攻撃に対抗するには分が悪い。悪すぎる。これは『まれ』が悪いのではなく、相手が悪すぎるのです。

 しかも冒頭見たように、海・漁港・強力な地元女性陣・浜辺の舗装道路を自転車通学と、謀った様に絵柄が似すぎている。

 思うに、『あま』の本放送当時、息もつかせぬ怒涛の漫画チックコントチック攻撃になじめず引いて行った朝ドラ客は、額面数字以上に多かったはずです。点、ポイントの攻撃ではなく、普通の民家と変わらない門構えに見えたので入ったら、玄関からいきなりビックリハウスだったような、用意周到吹っ切れきった、自信満々の、立体でそびえ立つ漫画チック。『あま』はひとつ前クールの『純と愛』とは違う意味できわめて"客を選ぶ"作品でした。

 『あま』に"選ばれなかった"お客さんの多くは、『まれ』のほうが「見やすい」「わかりやすい」「普通の朝ドラらしい」と思うでしょう。地道コツコツ志向で、"家族一緒の普通の幸せ"を何より大切にし、見知らぬ土地でも友達を作ろうとし、ちょっとも近づきになれたと思った子が元気がないと、無器用にも親身に心配する希ちゃんは、朝ドラらし過ぎるくらい朝ドラらしいヒロインです。

 ところがひとつ、この安定の朝ドラらしさワールドにどうにも馴染みの悪い要素がありまして、それが大泉洋さん扮する希のお父さん=徹。"家族思い子煩悩だが天性の山師思考で勤勉さに欠け生活力無しのダメオヤジ"という設定自体は、疑問符はつくものの大いにアリなのですが、「あ、そっち?」「その選択?」「あ、飛び込むと思った?ねぇ?」と、家族との会話の要所要所で飛び出す"コントのツッコみ"的な台詞発しが、ぶち壊しというほどではないがかなり顕著に、ドラマの地合いから浮いています。

 浮いているというより、このお父さんが何か言うたび毎に、物語世界自体が不必要に浮ついて、コントチックになってしまう。逆に言えば、それだけ大泉さんのダメオヤジ演技の磁場が強烈なのです。さらに逆に言えば、大泉さんひとりの磁束力に、物語世界の強度が負けかけている。

 2011年前期『おひさま』放送中、どんな展開の頃だったか、後枠の『あさイチ』の所謂"朝ドラ受け"で、ヒロインの幼なじみで人気脇役のタケオ(演・柄本時生さん)について話題が集中したことがありました。その日のゲストコメンテーターのひとりが俳優の内藤剛志さんで、内藤さんは大先輩俳優らしく余裕の笑顔で「タケオは"ずるい"よね」と評したのです。その後のひと言がいい。「顔がずるいよ」

 脇役の中でも"わりと印象に残るほう"ぐらいからじわじわと番手を上げて、"連ドラ連続レギュラー〇クール"なんて記録も作りながらいまや"主役の上司役"には欠かせない1人となった内藤さんが言うから嫌味もなければ異議もないのですが、出てきただけで、何も芝居をしないうちから目が行ってしょうがない顔の人というのは居るものです。大泉洋さんもまさにそれ。あの顔で、あの髪型で、持ちキャラが"クチ先ペラい系のダメオトコ"というのは、まさに「ずるい」としか言いようがない。

 『まれ』の最大の強敵は『あま』再放送ではなく、大泉さんの"ずるさ"かもしれません。物語世界を敢えて野太いコントチックの仕込みにして、大泉さんごときの(失礼!)単独磁波など吸収してしまえるぐらいにするか、逆に大泉さんを"封じ込め"てしまった上で、朝ドラらしさワールドを貫くか。

 大泉さんも、何役でもこなさなければならないひとりの俳優として、自分の"ずるさ"(≒"はまり過ぎ"ぐらいの意味に取ってもいい)と戦っていると思います。第一週後の次週(=第二週)予告を見る限りでは、封じ込めならぬ"出番減らし""出番間隔空け"作戦で、物語世界をかめはめ波ならぬ"大泉波"から守ろうとしているようでもあるのですが、"たまに出てきてはそのたびに持って行く"というやり方でじわじわ屋台骨を揺るがす例もあるからなあ。

 一作品にひとりかふたりは「えッあの人が朝ドラ?」「あの人が親役?」とサプライズなキャストを入れる事で新鮮さを保ってきた朝ドラ制作陣も、この人がこれほど手ごわいとは予想していなかったのではないでしょうか。第二週から満を持して登場の本役ヒロイン土屋太鳳さんが可愛いことはわかっているし、同年代女優の中では演技が安定しているのも、朝ドラ客層に好感度高そうなタイプなのも、見ないうちからある程度わかりきっている。括目して見守らねばならないのは大泉お父さんただ一人です。こいつがどうなるか、どう転ぶか、その一点に『まれ』の成否はかかっているのです。

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能登ノート

2015-04-05 02:13:05 | 朝ドラマ

 『マッサン』の感動フィナーレ後の週明け、白いふわふわ妖精ドレス姿でジャンプする土屋太鳳(たお)さんとともに元気よく始まった『まれ』、さすがに序盤は若干、分が悪いか。

 何と言っても前作・前々作(『花子とアン』)と、"戦中戦後を乗り越えた実在文化偉人の、波乱と苦闘の実人生"が続きましたからね。朝ドラは戦争を挟まないだけで、良くも悪しくも一気に浅薄になる・・と言って悪ければ"軽く"なります。視聴に向かわせる風圧がない。

 第一週は小5まれ=松本来夢さんと、回想シーンの5歳まれ=渡邉このみちゃんが頑張ってくれましたが、贔屓目に見て"ジュヴナイル・ホームコメディの地方ロケ付き実写版"程度。ヒロイン希(まれ)一家は思いっきり財政ピンチで、客観的には「無理心中?」と心配されるくらいなのですが、とにかくのん気です。

 自己破産流転先の能登の方言を覚えて地元の子たちとなじもうと、手製の単語帳を作って丸暗記していた間はトンチンカンな会話しかできなかった希が、「よそ者」呼ばわりに激昂するとすらすら能登弁で思いのたけをぶちまけるなど、「んなわけねえよ」的な漫画チック描写がこの後もどれくらい出てくるか、どれくらい客がそれに乗れるかが評価の分かれ道になりそうです。

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ゼッサン(したかった)

2015-03-24 16:47:17 | 朝ドラマ

 ウイスキー党、かつ水やソーダやらで割らないストレートをこよなく愛する"非割り派"の月河としては、『マッサン』には放送前から並々ならぬ期待を寄せていました。

 残り一週を切って、概ね好評裡に終わりそうです。朝ドラ史上初の試みとして注目され一抹の危惧もされた外国人ヒロイン"エリーさん"が、海を渡ってチャレンジに来たイギリス系アメリカ人女優の演者=シャーロット‐ケイト・フォックスさんともども、朝ドラウォッチャーにすんなり受け入れられたことが大きいか。放送前~序盤から番宣のはしばしで、日本語指導のスタッフとともにあれだけ寝食惜しんで頑張っている姿を見せられたら、ドラマに文句があってもそれを"エリーさん"もしくはシャーロットさんのせいとは考えたくなくなる。

 NHKも初の試みに期するところはあったようで、『嵐が丘』風なケルト系の草いきれの情熱より、"大人の妖精さん"的透明感と、日本人好みの慎みや控えめさが漂うシャーロットさんをオーディションでつかまえることができた時点で、ほぼ勝利は見えていました。

  ただ残念ながら、月河が放送前、こういう人物をモデルにこういう時代背景でこういう業績、人生を描く・・という情報を聞いて「それなら、こんなドラマになったらいいな」と想像を膨らませていたような展開、空気感には一度も、一話もなりませんでした。

  月河は"奇矯な人"のお話、もしくは奇矯な人が凡庸な善男善女の中にひとり存在することで巻き起こす磁場の変化のお話が大好物です。『百獣戦隊ガオレンジャー』のガオシルバー大神月麿後も"ちょっと浮いてるやつ"を得意としている玉山鉄二さんが国産ウイスキーのパイオニア役と聞いたので、『TAROの塔』と、『神様の女房』と、『芙蓉の人 ~富士山頂の妻』とを足して、何も割らないでステアして一話ずつ注ぎ分けたような、濃くて、エグ味があって、匂いも鮮烈、飲み下すのに引っ掛かりがあるけどでも「・・もう一杯!」となる、ユニークで、光っていて、光ってるがゆえに困りものの、でも愛すべき"早く生まれて来過ぎたフラグシップ夫婦"モノドラマを期待していました。 

 しかし『マッサン』のマッサン=亀山政春坊っちゃまは、ウイスキーへのこだわりと集中力は人一倍だけれども基本的には気だての優しい、見通しスイートな”ええとこのボンボン”に描かれている。こだわりが強いため勤め先を替えざるをえなかったり、作った製品が顧客に受け入れられなかったり、折れさえすればしないで済む苦労はしますが、目上の人からはほぼ例外なく可愛がられ、周囲からは愛をもってツッコまれいじられで、いよいよどん詰まりに困り果てたら必ずどこからか助け舟がやってくるという、根がポジティヴな”人気運の人”です。 

  夫であり物語の原動力であるマッサンがこういったふうだと、妻であるヒロイン=エリーさんも、”奇矯””浮いてる”がゆえの逆境感、孤高感とは縁遠くなります。夫を愛し信頼し、夫の国を愛して知ろうと努め、夫の国の人々を尊敬して親しもうとする、人と人をつなぎ和らげなごませる天使さん。マッサンをめぐる人間関係の中でも特に家族、特に親子関係の緩和懐柔調停がエリーさんの専任になり、ウイスキー作りとしてのマッサンが万難乗り越えて目標の幾許かを達成すれば、「これもエリーさんの内助の功あったればこそ」「みんなエリーのおかげじゃ」で〆る以外、ヒロインのユニーク性を立たせる場面も方法もありませんでした。 

 序盤の帰国→大阪住吉酒造篇で、マッサンのウイスキー志向に否定的な矢口専務(白井晃さん)が「あの胡麻すり大臣が」とマッサンの陰口を言い、初対面の鴨居商店大将(堤真一さん)がマッサンをひと目見るなり「辛気臭いツラしとんのお」と一蹴、留学先で青い目の嫁さんを娶って連れ帰ってきたと聞いて「厚かましいやっちゃなあ」と慨嘆していた辺り、企画当初はマッサンのキャラはもう少し月河好みの”奇矯”寄り、個性の強い寄り、好悪がはっきり分かれる寄りに想定されていたような気配もしないではない。 

 とにかく今作は「朝ドラ史上初の外国人ヒロインを、日本での芸能活動歴真っ白な外国人女優起用で」という試みにドラマ制作エネルギーの大半を費やし、ドラマ”本体”部分はその余剰でちょろちょろ賄った、といったところ。そのチャレンジ精神を真っ向否定はしないし、シャーロットさんの頑張りやキャラとしての”エリーさん”の支持され度を見る限り、チャレンジしただけの価値はあったと思いたいですが、”大正~昭和の激動期に国産ウイスキー製造に人生を賭けたパイオニア夫婦”のドラマとしては”マイルドな期待外れ”に終わったと、現時点ではっきり申し上げておきましょう。

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