胡麻の茎や花を見たことがありますか?
昔は、あちらこちらの畑で栽培しているのをよく見かけましたが、今では殆ど見ることがありません。
そこで、私は今年初めて胡麻栽培に挑戦することにしました。
今日はその1回目として50cmくらいまでに成長した胡麻の茎と花をご紹介します。
ゴマはゴマ科に属する1年草で、原産地は熱帯アフリカから東インドとされています。
日本には縄文時代前期には渡来したと推定されており、当時の遺跡から胡麻が出土されているそうです。
・これは胡麻の畝です。
5月中頃蒔いた種が、現在50cmくらいに成長し、蕾がたくさんついてきました。
2006年の統計による胡麻の需給は、輸入の16万トンに対し国内生産量は200トン程度にとどまり、国内の需要の99%以上を輸入に頼っているそうです。
私が栽培している胡麻は貴重な国産品ということになりますね。
・胡麻の葉です。各葉腋(葉の付け根)に見えるのは蕾です。
胡麻の名称は、中国を経由して伝わったため、漢語の「胡麻」をそのまま音読みしたものだそうですが、他にもゴマの実は麻の実に似ていることから、「胡」から持ち帰った麻に似た植物と言うことで「胡麻」といわれるようになったとの説もあるようです。
中国では、西域の異民族は「胡」と言われ、日本では「胡」から持ち帰ったものは「胡」が冠されて呼ばれています。「胡麻」のほかにも胡瓜(きゅうり)、胡椒(こしょう)、胡桃(くるみ)などがあります。
・開花直前の蕾です
各葉腋(節)に蕾がつき、下部から順に開花します。花の後、莢(子房)が出来て実が入り、そして熟します。
胡麻の草丈は長いものでは100~150㎝にもなります。
・薄紫色の胡麻の花です。ホタルブクロの花のような形をしています。
アラビアンナイトの「アラジンと40人の盗賊」の中で、「開けゴマ!」と呪文をかけて扉を開ける場面がありますが、これはゴマの莢がはじける様子から生まれた言葉といわれています。
・花の内部です。(花の下から房の中を撮影したものです)
各葉腋(葉の付け根)に咲いた花は自家受粉して子房となり、子房の中に多数の種子が出来ます。
・各葉腋(葉の付け根)に薄紫色の花が咲き始めたところです。
この後、子房が熟し乾燥させて9月頃に収穫します。その頃に「胡麻の栽培(その2)」をご紹介します。
「胡麻の栽培方法」
・種蒔きの2週間前に苦土石灰を100g/㎡と堆肥2kg/㎡をいれて耕し、1週間前に化成肥料80g/㎡入れて畝を造ります
・畝幅60cm、株間10cmで2条蒔きとしました。
・種は直播きせず、まとめて植えて芽だしを行いました。1週間程度で出芽します。本葉が2~3枚になったところで定植しました。
・1ヶ月ほどで蕾がつき始め、その後、数日で下部から上部へ順に開花していきます。
・花の後、莢(子房)ができてその中に種子ができます。
・莢が茶色に変色したら摘み取って収穫します。
・よく乾燥させると莢が割れて種子が出てきます。
今日は二十四節気の「小暑」および五節句の一つ「七夕(しちせき)」です。
「小暑」とは、梅雨明けが近づき、暑さが本格的になってくる頃との意味ですが、「小暑」のことはさておき、今日は節句の「七夕(しちせき)」について調べて見ました。
「七夕(しちせき)を「たなばた」と読む謂れ」
七夕(しちせき)は、人日(じんじつ)の節句(1/7)、上巳(じょうし)の節句(3/3)、端午の節句(5/5)、そして重陽(ちょうよう)の節句(9/9)とともに五節句の一つです。
節句の「節」とは、中国の暦法で定められた季節の変わり目のことです。
暦の中で奇数(陽)が重なると陰になるとして、それを避けるために避邪の行事が行われた中国の暦法と日本の農耕人の風習が合わさり、定められた日に宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになったことから「節句」と言われるようになったそうです。
「たなばた」は古くは棚機(たなばた)や棚幡(たなばた)と表記したようです。
これが「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったのは、元々「七夕(しちせき)」はお盆行事の一環であり、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから、7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったと言われています。
「七夕まつり」
「七夕まつり」は、天の川の両岸にある牽牛星と織女星が1年に1度再会すると言う7月7日の夜に星を祭る年中行事で、中国伝来の乞巧奠(きこうでん)の風習と日本の「棚機津女(たなばたつめ)」信仰、即ち、「棚機津女(たなばたつめ)」という巫女が水辺で神衣(かむみそ)という衣を織りながら、神の降臨を待つという信仰とが習合したものと言われています。
江戸時代に民間に広まり、庭前に供物をし、葉竹を立てて、五色の短冊に歌や字を書いて飾りつけ、書道や裁縫の上達を祈りました。
(参考)
「乞巧奠(きこうでん)」とは、中国の風習で、女子が手芸に巧みになる事を祈る祭事です。
7月7日の夜、供え物をして牽牛・織女星を祭る行事で、日本には奈良時代に伝わり、宮中の儀式として始まりました。
「七夕伝説」
こと座の1等星ベガは、中国や日本では織姫星として知られています。
織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘でした。わし座の夏彦星(牽牛星・アルタイル)もまた働き者でした。娘の結婚相手を探していた天帝は二人を引き合わせ、めでたく結婚しました。
しかし、結婚してからは二人は夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦もまた牛を追わなくなりました。
このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離しました。しかし、悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った天帝は仕事に励むことを条件に、年に一度(7月7日)だけ会うことを許しました。
7月7日(七夕)になると天帝の命を受けた鵲(かささぎ)が天の川に橋を架け、二人は年に1度だけ会うことが出来るようになったということです。
・七夕伝説の発祥地、枚方市の「かささぎ橋」のモニュメントです。
の
しかし、当日雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることが出来ず夏彦も会うことが出来ませんでした。
この日に降る雨は催涙雨といわれ、織姫と夏彦が流す涙と言われています。
七夕には「星あい(星合い)」という別名がありますが、これは星の逢引であることからそのように言われているそうです。
今日は朝顔について調べてみました。
「朝顔の渡来」
朝顔と言えば古くから日本人に親しまれてきた蔓性植物で、夏の風物詩の一つに入るくらい私たちになじみの深い花です。
朝顔はヒルガオ科の1年性植物で、原産地は熱帯アジアから西南中国方面と言われ、日本へは奈良時代末期に薬草として遣唐使が種を持ち帰ったことにより、渡来したといわれています。
朝顔の種で芽になる部分は、漢名では「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、下剤の作用のある成分がたくさん含まれており、奈良時代(708~781)、や平安時代(782~1182)には大変貴重な薬用植物だったようです。
この薬用の朝顔が品種改良されて観賞用として栽培されるようになったのは江戸時代になってからといわれています。
・北隣り Kさん宅の朝顔です。
「東京入谷(いりや)の朝顔市」
朝顔と言えば、夏には各地で「朝顔市」が開かれているようです。中でも東京の夏の風物詩として有名な「入谷の朝顔市」は、各地の朝顔市に先駆けて毎年7月6日から8日までの3日間開かれます。
入谷(いりや)では江戸末期から朝顔が栽培されていましたが、入谷(いりや)が朝顔で有名になったのは明治時代になってからといわれています。
当時、入谷では十数軒の植木屋が軒を連ねて朝顔作りを始め、年々品種改良をして新品種を競っていました。
大輪朝顔を始め、「変わり咲き」といって、朝顔の花が桔梗の花のように咲いたり、牡丹の花のように咲いたり、或いは二重に咲いたり、いろいろな花を咲かせることが出来たそうで、最盛期には一千種もの朝顔が花を咲かせたそうです。
それらを陳列したのが評判になって、早晩より見物客が来るようになり、年中行事の一つに数えられるようになったといわれています。
大正時代には一時衰退したようですが、昭和になって再び朝顔市が立つようになり現在に至っています。
近年では年々盛況になっていると言われているそうです。
・入谷朝顔まつりの風景です。 (入谷朝顔まつりHPより)
「真源寺の鬼子母神(きしもじん)」
入谷といえば真源寺の「鬼子母神(きしもじん)」も有名です。
この鬼子母神は、人の子をさらっては食べる夜叉でしたが、その悪行をお釈迦様に知られ、子供をさらわれた親の悲しみがどれほど深いものかを諭されました。
改心した鬼子母神は法華経の守護神となり、また母親と子供を守る仏教の神として信仰されるようになったとのことです。
・真源寺の「鬼子母神(きしもじん)」です。(入谷朝顔まつりHPより)
「恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)」の由来
この鬼子母神のご利益として、洒落言葉「恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)」がよく知られているところですが、この洒落言葉の由来は、
『さる大名家の奥女中が腰に腫れ物が出来てしまい、医者に見放されましたが、入谷の鬼子母神に21日間の願をかけたところ、満願の日の帰りに橋でつまずき、
欄干の烏帽子に腰を打ち付けたことで垂れ物の口が破れ膿が出てまもなく全治したとあります。』
このことを狂言師の大田蜀山人が聞きつけ、そのご利益に恐れ入ったと言うことで「恐れ入谷の鬼子母神」と洒落言葉で言ったのが江戸っ子の間で流行になり、現在まで使われていると言うことです。
ゴーヤは食欲増進、夏ばて予防、更には血圧や血糖値を下げるなどの健康効果がある食材と言われています。
今日は私のゴーヤ栽培についてご紹介します。
ゴーヤは正式和名を「ツルレイシ」と言い、別名は「苦瓜(にがうり)」とも言われています。
原産地は熱帯アジア、主にインドで、明の時代に中国に伝わり、日本には江戸時代に渡来したようです。
私の栽培方法は概ね次のようにしています。
「ゴーヤの栽培方法」
・4月中に種を蒔きますが、今年は少し遅れて5月になりました。(育苗用にまとめて蒔きます。ポットでもOKです)
・土作りは、半月ほど前までに、石灰、鶏糞、化成肥料などを混和し、よく耕して畝を作っておきます。
・苗が4~5㎝になったときに株間を60cmくらいで定植します。
・乾燥防止のために藁を敷きます。
・蔓が伸びてきたらネットを張って誘引します。
・定植1ヵ月後に追肥として化成肥料を一握り株間に施します。その後、半月に一度くらいの割合で同様に施肥します。
・親蔓の葉が10枚くらいになったら摘芯し、子蔓を出させます。勢いの良い子蔓を3本残し、扇状に広げるようにネットに誘引します。
・開花から半月余りで収穫できるようになります。
・来年用の種を取るために、大きく太ったゴーヤを2~3個熟させ、その後、中の赤いゼリーを洗い落とし、種を陰干しして冷暗所で保存します。
・私が栽培しているゴーヤの棚と畝です。今年は 7株植えました。

・今年は6月下旬に2度にわたる台風並みの強風に煽(あお)られて蔓が傷みました。そのためかどうか分かりませんが、花芽のつきが悪いように思います。

・これは「雄花」です。花の下には幼果がありません。

・これは「雌花」です。花の中央に雌しべがあり、花の下には幼果がついているので雄花と区別できます。

・受粉後の「幼果」です。この後、2~3週間ほどで収穫できるくらいに肥大すると思います

・肥大したゴーヤです。あと1週間くらいで収穫できると思います。これが我が家の今年のゴーヤ第1号となります。

ゴーヤは卵、豚肉、ベーコンなどで炒めて、ゴーヤチャンブルにして食べれば夏ばて防止によいと思います。
しかし、ゴーヤの苦味は苦手と言う人がいると思いますので、苦味を抑える方法を書いておきます。
一度お試しください。
「苦味を抑える方法」
・綿をしっかり取る
・厚さ2~3ミリくらいに薄く切る
・濃い目の塩水に10~20分浸ける。または塩をふって軽く揉んで炒める
・下茹する
今朝、5時のNHKニュース・マーケット情報で、NY市場は「アメリカ独立記念日」の振替休日で休みとの報道がされていました。
そこで、今日はこの「アメリカ独立記念日」について調べて見ました。
「アメリカ独立記念日」
「アメリカ独立記念日」は、1776年アメリカ独立記念日宣言が公布されたことを記念して、毎年7月4日に定められているアメリカ合衆国の祝日です。
この独立記念日は実際に独立した日ではなく、1776年7月4日、イギリスの植民地にあった13州の代表者が現在の「独立記念館」に集まり、トーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言が、植民地の最高議決機関である大陸会議で採択され、議長が署名したのを記念する日です。
なお、アメリカが正式に独立するのは7年後の1783年のパリ条約によって独立戦争が終結し、イギリスがアメリカの独立を認めてからになります。
・1979年に世界遺産(文化遺産)に登録されたアメリカの「独立記念館」です。ここでアメリカ独立宣言が採択されました。(ウィキペディアより)
独立記念日には、各地でパレードやバーベキュー、ピクニック、野球などのイベントが開かれるようです。
「クリスマス」や「サンクスギビングデー」よりもイベントなどの派手さでは遥かに上回るそうです。
また、独立記念日の恒例の「打ち上げ花火」は、1777年以来の伝統行事となっているそうです。
・独立記念日の打ち上げ花火です。(ウィキペディアより)
同じ建国の祝日でも「今日は何の日だっけ?」と、余りにも認識が薄い、日本の「建国記念日」とは雲泥の差ですね。
「ボストン茶会事件」
この事件はアメリカ独立戦争(独立革命)の象徴的事件とされています。
アメリカには有史以前から先住民が住んでいましたが、大陸発見以後、ヨーロッパの国々から人々が次々とアメリカに渡って来ました。
そして、スペインやオランダ、フランス、イギリスなど、ヨーロッパ諸国の植民地となりました。
独立するキッカケは、植民地政策に熱心であったイギリスとの間で、紅茶事件(ボストン茶会事件)が起こったことによるようです。
この紅茶事件とは、1773年12月16日に、アメリカ・マサーチューセッツ州でイギリス本国会議の植民地政策に憤慨した植民地の人達が港に停泊していたイギリス船に潜入し、イギリスの東インド会社の積荷の紅茶箱をボストン湾に投棄した事件です。
「独立戦争」
「独立戦争」は1775年~1783年、イギリスとアメリカ東部沿岸のイギリス領の13州の植民地との戦争です。
植民地の人たちは重税を押し付けるイギリスの支配を拒否し、アメリカを政治的独立に導くべき立ち上がりました。
1778年にフランスがアメリカ側につき、その後、スペインやオランダもアメリカ側について優位に立ち、イギリス軍を降伏させました。
そして1783年のパリ条約で戦争が終結となり、イギリスは正式にアメリカの独立を認めることになりました。
「アメリカの名前の由来」
1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見したとされていますが、彼が発見したのは西インド諸島で、アメリカ大陸を初めて見つけたのは、1499年イタリアの探検家アメリゴ・ベスプッチです。
「アメリカ」の名称は、彼の名前が由来と言われています。
この花も、熊取・長池公園のいつもの散歩コースに咲いていたものです。
アガパンサスは、草丈70~80cmの茎にライトパープルの花が散形状に多数つき、涼しげな雰囲気を醸しだしてくれます。
この時期には欠かせない花の一つです。
・薄紫で爽やかな感じのアガパンサスの花です。

アガパンサスはユリ科、アガパンサス属の多年草で、見た目が君子蘭に似ている事から、和名が「ムラサキクンシラン(紫君子蘭)」と呼ばれていますが、実際の君子蘭とは全くの別物です。
原産地は南アフリカで、日本には明治時代中期に渡来したようです。
(参考)・これが君子蘭です。(花300.comより)

細長い葉は緑色で、根元の部分から何枚もアーチを描くようにしなやかに茂っています。
・アガパンサスの葉と蕾です。

アガパンサス(Agapanthus)はギリシャ語の「agapa(アガーベ:愛らしい)」と「anthos(アンサス:花)」の2つの単語からきており、「愛の花」という意味があるそうです。
・大きな蕾が割れてきました。

花茎の先に漏斗(じょうご)状の花を散形に多数つけるため、全体が球形に見えます。
・このアガパンサスで草丈は70㎝くらいです。
手前は、蕾の袋が割れて、中の小さな蕾が出てきているところです。

花色は濃紫、淡青が多いようですが、白や八重咲きもあるようです。
・白色のアガパンサスです。

「花言葉」 知的な装い、恋の訪れ、誠実な愛
今日7月2日は雑節の「半夏生(はんげしょう)」です。
調べてみたら「ハンゲ」のつく言葉は「半夏生」と「半夏」と「ハンゲショウ」の3つがありました。
そこで今日はこの3つの「ハンゲ」についてご紹介します。
「半夏生(はんげしょう)」
「半夏生(はんげしょう)」とは、夏至を3つに分けた最後の3分の1の期間で、「夏至」から数えて11日目の7月2日の頃から七夕の頃までの5日間を言います。
天文学的には、太陽の黄経が100度になる日で、七十二節気の半夏生からとられた名称のようです。
昔から農家にとっては大事な節目の日で、田植えの時期の目安とされていました。
現在は、年々早くなっている田植えですが、この半夏生に入る時期は、以前から田植えに最も適した時期と言われています。
諺にも「チュウ(夏至)は外せ、ハンゲ(半夏生)は待つな」とありますが、これは、田植えは夏至が終わった後、半夏生に入る前に行うことが好ましいと言い伝えているものです。
・年々早くなっている地元の田植え風景です。(6月4日に撮影しました。)
「半夏生の風習」
半夏生の日には各地に様々な風習があるようです。
・佐賀県では、畠の「地の神」を祭る日であったとか言われているようです。
・青森県では、半夏生の後に田植えをすると1日につき1粒ずつ収穫が減ると言われているそうです。
・埼玉県では、竹の花が咲いたり消えたりし、それを見ると死ぬとされているので、この日は竹やぶに入ってはいけないといわれているそうです。
・他にも、半夏生の前に田植えを終えた農家は、この日の天候で稲作の豊凶を占ったり、田の神を祭ったり、更には、この日から5日間を休みとする地方もあるそうです。
「半夏(ハンゲ)」
「半夏」とは「カラスビシャク(烏柄杓」のことで、サトイモ科の植物です。
・これが「カラスビシャク(半夏)」と言う薬草です。
この時期、田や畑に生える雑草ですが、塊茎は「半夏(ハンゲ)」と言われる生薬です。
漢方の半夏湯(はんげとう)、半夏寫真湯(はんげしゃしんとう)などに配合され、サポニンを多量に含んでいるため、痰きりやコレステロールの吸収効果があるとされています。
「ハンゲショウ(半夏生)」
「ハンゲショウ(半夏生)」はドクダミ科、ハンゲショウ属の多年性落葉草本植物です。
茎は60~100cmになり、枝先に細長い花穂を伸ばし小さな花をつけます。花色は白で、いわゆる裸花で、花弁も蕚片もありません。
葉の表面が白く変化し、開花期にはドクダミに似た独特の臭いを出します。
・これが「ハンゲショウ(半夏生)(半化粧)」です。
名前の由来は、夏至から11日目の半夏生の頃に花を咲かせることからつけられたとする説と葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧(半夏生)」とする説があるようです。
片面(表面)だけが白くなることから、別名をカタシログサ(片白草)と言われています。
この植物は薬草の「半夏(カラスビシャク)」とは別種です。
そこで、今日は「文月(ふみづき、ふづき)」の語源と行事ならびに「奥の細道で」文月を詠んだ芭蕉の句をご紹介します。
「文月」の語源
「文月(ふみづき、ふづき)」の語源は、短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の行事に因み、「文披月(ふみひらきづき)」が転じたとする説が有力とされていますが、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはなく、疑問も呈されているようです。
そこで、陰暦7月が稲穂が膨らむ月であるため「穂含月(ほふみづき)」、「含月(ふくみづき)」から転じたとする説や、稲穂の膨らみを見る月であるため「穂見月(ほみづき)」から転じたとする説などがあるようです。
「文月の行事」
・七夕祭り (7月7日)
牽牛と織女が天の川を渡って年に一度の逢瀬を行う日とされています。
五色の短冊に歌や字を書いて葉竹に飾りつけ、書道や裁縫の上達を祈る行事です。
・井戸浚い(いどさらい) (7月7日)
井戸の水をすっかり汲み上げて井戸を掃除すること。
昔、父が井戸掃除をしていたのを記憶していますが、井戸浚い(いどさらい)の行事だったことは知りませんでした。
・盂蘭盆会 (迎え火7月13日、送り火7月15日)
祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事で、種々の供物を祖先の霊・新仏・無縁仏(飢餓仏)に供えて冥福を祈る行事。
・盆踊り (7月14日~15日)
原始舞踊に始まり、仏教渡来後は盂蘭盆の夜に精霊を迎えるための儀式として行われましたが、室町時代末期から庶民の娯楽として親しまれてきたようです。
・二十六夜待 (7月26日)
7月26日の夜半に月の出るのを待って拝する行事です。
この夜の月は阿弥陀・観音・勢至の三尊が姿を現すと言い伝えられ、その三光を拝しようと高台や海の眺望のよい所に集まって拝するそうです。
「芭蕉の句」
文月を詠んだ芭蕉の句1句ご紹介します。
「文月や 六日も常の 夜には似ず」 芭蕉
(解説)
明日は七夕。天の川では二つの星が年に一度の逢瀬を楽しむ。今夜はその前夜だが、すでにして常の夜とは違った雰囲気を感じる。
(奥の細道HPより)
直江津にある「文月や六日も常の夜には似ず」の句碑です。(写真提供は牛久市:森田武氏)
これは元禄2年(1689年)7月6日に、芭蕉が「奥の細道」の旅の途中、新潟県直江津で詠んだ句です。