らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

サーカスの日

2011-10-26 | 雑学

〽 旅のつばくろ 淋しかないか
  おれもさみしい サーカス暮らし
  とんぼがえりで 今年もくれて
  知らぬ他国の 花を見た
この歌は昭和8年(1933年)に来日した、世界一の動物調教を誇るドイツのハーゲンベック・サーカスの宣伝用に作られた歌で、古賀正男が作曲し、松平晃が歌って大ヒットした
「サーカスの歌」です。
子供の頃サーカスを観に行った時、サーカス小屋からこの歌が流れ、ラジオでもよく歌われていたように記憶しています。

さて、今日10月26日は「サーカスの日」です。
サーカスとは円形の劇場、つまり「サークル」で行われていたことが起源とされています。
そして、「サーカスの日」とは、140年前の1871年(明治4年)10月26日、東京・九段の招魂社(靖国神社)でフランスの「スリエサーカス」による日本初のサーカス興行が行われた事に因んでできた記念日です。
当時、日本の人々は初めて見る「空中ブランコ」に目を丸くしていたといいます。

日本にサーカスが根付くのは昭和初期で、キッカケはドイツから来たサーカス団だったそうです。
世界一の調教技術を持つ彼らは自在に猛獣を操っては観客を驚かせました。そして、その人気は凄まじく、昭和初期の日本に一大サーカスブームを沸きあがらせたそうです。

これを受けて、日本生まれのサーカス団が次々に誕生し、その数は30を超えたと言われ、サーカス小屋は軒並み満員となったそうです。
大衆の娯楽としてすっかり日本に根付いたように見えたそうですが、昭和16年の太平洋戦争により、若者は戦争に招集され、動物は処分されて、「娯楽」が極端に締め付けられる時代になりました。




近年、超人的な身体能力から生み出される脅威のパフォーマンスが売り物の海外のサーカス団が日本にやってきては、日本人の度肝を抜いていますが、日本のサーカス団の噂を聞くことは殆どなくなりました。
そのような中で、現在の日本の最大級のサーカス団の1つ「キグレサーカス」では、今もピエロの曲芸や空中ブランコなど昔ながらの出し物をメインに据えているそうです。
しかし、かつては長蛇の列を作った観客も、今では少ない時は100人を下回ることもあるそうで、日本のサーカスの退潮が目立つようです。


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1 コメント

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ピエロ (iina)
2011-10-26 08:54:41
おさないころは、親に連れられてサーカスを観に行ってました。猛獣使いや球体を走るオートバイ
が珍しくて、目を丸くして見ていました。
空中ブランコは華でした。もっとも大げさな鼻をつけたピエロは愉快でした。芸術の秋にモナリザ
も笑いをとろうとピエロに化けたのかも・・・。
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