らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

紀州街道を歩く(その1)

2015-03-24 | 地元紹介

先日、現役時代の趣味の会である「歴史探訪同好会」のメンバー14名と大阪府内の紀州街道を歩いてきました。
今回は南海電鉄春木駅(岸和田市)から南海電鉄泉佐野駅(泉佐野市)までの12㎞~13㎞です。
晴天に恵まれ、4月中旬を思わせる暖かい日差しの下、全員元気に歩き切りました。
今日から数回に分けてご紹介します。

「旧 和泉銀行本店」
スタート地点の春木駅前から1時間ほど歩いたところに由緒ありそうな重厚な建物がありました。
正面入口には「C・T・L・BANK」と書かれていたので、もしや「銀行?」と思い、説明書きを読んでいたところ、中から女性が出てきて、「見学可能」と言っていただいたので、内部を見学させてもらいました。

この建物は、昭和8年に建てられた旧和泉銀行の本店だったそうです。
その後、阪南銀行、大阪銀行、そして戦後には住友銀行、岸和田信用金庫、泉州信用金庫、南大阪信用金庫と入店が続き、平成16年の大阪信用金庫を最後に銀行の役割を終えました。
現在はダイエット食品を扱うタイムリーカンパニーなど3社が共同保有し、C・T・L・はこれらの会社の頭文字です。
その後、国の登録有形文化財に登録され、一般開放もされているということです。

  

・嘗て、銀行の営業場だった建物の内部です。正面の右の開いている部屋は金庫室です。


・頑丈な金庫の扉もそのまま残っています。

 ・金庫の中では絵画が展示されていました。

「紀州街道」
街道沿いに立てられている説明によれば、紀州街道は大坂高麗橋から住吉・堺・岸和田城下を通り、和歌山に至る街道です。
近世以前は熊野街道が泉州地域の主要な幹線道でしたが、海沿いの町が発展していくにつれ、慶長7年(1602年)頃に沿岸部を結ぶ街道として成立しました。
江戸時代初期には紀州徳川家は大和街道を通り、伊勢松坂を経由して参勤交代を行っていましたが、第六代宗直以降は紀州街道を通り、大坂・京・東海道を抜け、江戸へ向かう道程へと改めています。
これは第八代将軍徳川吉宗を出した紀州徳川家の家格に見合うように、行列の威容を道中で示すためであったと言われています。
このように参勤交代に使用されることで一層街道の整備が進み、町場の発展と共に多くの商家や町屋が建ち並んだそうです。

・綺麗に整備されている岸和田市内の街道です。


「こなから坂」
「こなから」とは半分の半分、即ち、4分の1を意味し、この坂が4分の1勾配に見えたことから、この名前が付けられたと伝えられます。
敬老の日の前日のだんじり祭りには、岸城神社に宮入するだんじりがこの「こなから坂を」一気に駆け上がり城に向かって豪快なやりまわしを行います。



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3 コメント

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日本橋から ♪ 島倉千代子 (あQ)
2015-03-24 07:15:25
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=AgLSvMa3ilI

スタート早々に興味深い建物を見つけられましたね。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=151895

登録有形文化財が指定されているのですね。
戦災を免れた歴史的建物を大切にすることは大事ですね。
一度失われた物は、二度と元へは戻りません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BB%E9%8C%B2%E6%9C%89%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1

今月の初旬に重要文化財に指定されている、日本銀行本店の建物を見学して参りました。
日本橋の三越本店のすぐそばに有りますが、中々行く機会が無かったので、興味深かったですよ。(笑)
http://santa.cside.com/bouken/bankofjapan.htm

平日のみの公開で、一週間前までに申し込めば誰でも見学可能です。
地下金庫は現在使われておりませんが、入り口から見るだけ。
(.らいちゃん)様は金庫の中まで入られたとは、ラッキーでしたね。(笑)
http://gipsypapa.exblog.jp/16571822

旧館は現在も使われており、職員が仕事をしているところが見られます。
建物の写真を写すのに夢中で、売店でお土産を買うのを忘れました。
残念!(爆)
http://www.gotokyo.org/jp/kanko/chuo/spot/40931.html
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そろばん (iina)
2015-03-24 08:23:47
和泉銀行・本店は、昭和8年のころは、算盤で入出金を数えていたことでしょう。行員たちが、そろばんをはじいている
姿が浮かびます。

4分の1勾配の「こなから坂」に、関西名物の「粉から」作るたこ焼きやお好み焼屋があると愉快です。^^

新門辰五郎は、勝と西郷隆盛との会談が決裂した場合、江戸市中に放火する役目を仰せつかっていました。
ただし、ドラマ等では辰五郎がめ組になってますが、ホントは「を組」の棟梁でした。江戸は火事と喧嘩が華だったことから、
有名な増上寺を管轄し派手な「め組の喧嘩」で知られるため借用したようです。
http://design-signal.co.jp/tokyo-meibutsu/tatsugoro/

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あQ様へ (らいちゃん)
2015-03-24 13:26:19
日本銀行の見学ができてよかったですね。
日本銀行は銀行の銀行なので、一般の人には縁がなく、見学できることも知りませんでした。
写真ででも内部を見るのは初めてです。
総裁室への通路には赤じゅうたんが敷かれ、まるで国会議事堂の内部のようです。
和泉銀行本店とえらい違いです。
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