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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「忘己利他(もうこりた)」

2011-11-27 | 雑学

先日、東北の震災地を訪ねた瀬戸内寂聴さんがボランティア活動をしている若い人たちと対話しているTV映像を観ました。
その中で、寂聴さんがボランティアの目的などを尋ね、仏教の「忘己利他(もうこりた)」の精神と同じと話されていました。
そこで今日はこの「忘己利他(もうこりた)」について調べました。

「忘己利他(もうこりた)」とは、仏教の言葉で、自己を忘れて、つまり、己を無にして他人を利するの意です。
分かりやすく言えば、反対給付を求めないで相手の為に尽すということで、瀬戸内寂聴さんは、「忘己利他は、慈悲の極みなり」とおっしゃっておられました。
人間の性(さが)として、私たちはどうしても自分中心に考えてしまうことがあります。
もっと欲しい、こうして欲しい、とまわりに望むことが多くなりがちで、我欲が先に立ってしまいます。

伝教大師最澄の言葉に『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』と言う言葉があります。
自分の事は後にして、先ず、人に喜んでいただくことをする。それは仏さまの行いで、そこに幸せがあるのだと言う言葉です。
つまり、我欲が先に立つような生活からは幸せは生まれないのだということだそうです。

インドの母と言われた故マザー・テレサは講演の中で次のように話されていました。
ある日、7人の子供を抱える貧しい母のところへマザーは両手いっぱいほどの米を持って行ってあげました。
するとその母親はそのお米の半分ほどを手にして外へ出て行きました。
マザーが問うと、隣りにも同じような貧しい親子がいるので、そのお米を分けてきたのだと云うのでした。
1俵もあるお米ではありません。
自分の子供たちの1食分にも足りないお米でさえ、それを半分にして隣りの子供たちも喜ぶだろうと分けてやれる崇高な精神にマザーも感動したと言います。

人は多くの場合、反対給付を意識して行動しがちですが、お返しを意識しないで相手の為に尽すのは中々できないことです。
反対給付を求めないで、しかも震災地までの交通費や食事代も自己負担で参加し、ボランティア活動をしている多くの皆さん、特に若い人たちに寂聴さんは感動しておられました。
このような若い人たちがいる限りは日本は大丈夫だとも言っていました。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tamirin)
2011-11-27 10:36:23
続きです

お返しを考えちゃうと、
何も出来なくなっちゃいます~
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Unknown (tamirin)
2011-11-27 10:35:24
お返しは考えないですよ。。。
お金じゃないですしね。。。
返信する
宇宙より広い (iina)
2011-11-27 09:23:51
『一杯のかけそば』のような話ですね。
こちらは家族と分け合う話ですが、家族以外の者にもらった米の半分を分け合うとは、貧しさを
共有した姿勢に教えられます。
仏教の言葉で、自己を忘れて、つまり、己を無にして他人を利する「忘己利他(もうこりた)」
も機知に富んでいます。
こんな話題は、宇宙の広さより広いこころのありようを教えられます。

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