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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

飛鳥の旅(その4)日本最古の寺院「飛鳥寺」

2009-11-30 | 旅行

今日は日本最古の寺院といわれている「飛鳥寺」をご紹介します。

飛鳥寺は飛鳥の代表的なお寺の一つで、588年に百済から仏舎利(釈尊の遺骨)が献じられたことにより、596年に蘇我馬子が発願して創建された日本最古の
本格的なお寺です。
寺名は、法興寺、元興寺、飛鳥寺で、現在は安居院(あんごいん)と呼ばれています。

・飛鳥大仏標石です。
 江戸時代の寛政4年(1792年)、飛鳥寺参拝の道しるべとして彫刻された優秀な文字で、台石は飛鳥寺創建時(588年)の礎石を用いています。


飛鳥寺は588年に造り始められたお寺で、東西200m、南北300mで、金堂と回廊がめぐらされた日本最初の本格的な大寺院であったそうです。
塔を中心に、その北と東西に三つの金堂が建っていたといわれており、北の中金堂に鎮座している飛鳥大仏は今もその位置を動いていないそうです。

・飛鳥寺正門です。


・飛鳥寺の境内です。


飛鳥寺の旧伽藍は877年と1196年に落雷のため焼失し、室町以降は荒廃しましたが、1632年と1826年に再建され現在に至っています。

・飛鳥寺の本堂です。
 講堂の中に鎮座している本尊の飛鳥大仏(釈迦如来)は、605年に推古天皇が詔して、帰化人系の仏師・鞍作鳥(くらくりのとり)に造らせた日本最古の仏像で、
 東大寺の大仏より150年も前に造られたそうです。


・万葉歌碑です。

 「飛鳥川 川淀さらず 立つ霧の 思い過ぐべき 恋にあらなく」 山部赤人(巻3-325)

当時、都は平城京だったので、山部赤人は古都・飛鳥を慕って、”飛鳥川の霧のように消えてなくなるような古都への思いではないのだ”との思いを詠んだそうです。


・真神原(まかみはら)の眺めです。
 ここの説明に、「ここに立ちて見る風景は古代朝鮮半島新羅の古都・慶州、百済の古都・扶餘(ふよ)の地と酷似しており、大陸風で飛鳥地方随一なり」と記されて
 います。


・飛鳥寺西門跡です。
 西門は礎石を置いて柱を建てた瓦葺きの門で、間口3間(11.5m)、奥行き2間(5.5m)だったそうです。
 このお寺の四方に開いた門のなかでは最も大きく、飛鳥の桧舞台であった「槻(ケヤキの古名)の木広場」があり、645年に大化改新を成し遂げた中大兄皇子
 (後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)はここの蹴鞠の場で出会ったといわれています。
 二人は飛鳥寺に陣を構え、西門から甘樫丘の蘇我蝦夷(えみし)、蘇我入鹿(いるか)親子の館をにらんでいたといわれています。
 672年の壬申の乱以後は外国使節や遠方の使者を歓迎する宴会の場となっていたそうです。


蘇我入鹿は大和朝廷の有力者で大臣(おおおみ)でしたが、飛鳥時代の政変である乙巳の変(いっしのへん)で中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌子(後の藤原鎌足)らによって宮中で暗殺された人物です。中大兄皇子はこの後、大化の改新を断行しました。

飛鳥寺は蘇我氏のお寺ということもあって、お寺のすぐ横には蘇我入鹿の首塚があります。
当時は蘇我氏の立派なお屋敷がたくさんあったといわれています。

・蘇我入鹿の首塚です。
 奥に見える森は、蘇我蝦夷(そがのえみし)と蘇我入鹿(そがのいるか)の親子が権勢を示すために、丘の麓に邸宅を構えていたと考えられている甘樫丘です。


・歴史書や教科書でお馴染みの蘇我入鹿の暗殺の図です。
 奥に立ち去るのは中大兄皇子の母。皇極天皇です。(akiraさんのブログより)




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