暑かった今年の夏はアイスクリームをよく食べました。
と言っても、専門店の高価なものではなく、スーパーで売っているファミリータイプの安価なものばかりです。
畑仕事や外出から帰った時にはアイスクリームが不可欠でした。
ところで、美味しくて夏には欠かせないこのアイスクリームはいつ頃から食べられ始めたのでしょうか?
「アイスクリームの祖先」
調べてみると、アイスクリームの祖先は紀元前4世紀頃の大帝国マケドニア(前身はユーゴスラビア連邦の構成国の一つ)を樹立したアレキサンダー大王だそうです。
大王はミルク、はちみつ、ワインなどに氷を加えた氷菓を好んだとされており、難攻不落の城塞都市パラオを包囲した際には、甘い飲み物に雪をかぶせて地下壕に貯蔵し、兵士たちに与え、兵士たちはこの冷たい飲み物で元気づき、士気を高めたと記されているそうです。
「アイスクリームの誕生」
ではアイスクリームの誕生はいつなのかと言うと、1533年、フランスのオルレアン公(アンリ2世)の結婚によって、イタリアからフランスへと伝えられた氷菓子が、その後、イギリスへと広がっていきました。
更に、17世紀末には、ホイップクリームを凍結させた「グラス・ア・ラ・シャンティー」が考案されたそうで、この頃からフランスではアイスクリームがデザートの主役となったそうです。
「アイスクリームの普及」
庶民に広まったのは冷凍技術が進歩した19世紀以降ですが、米国での二つの意外な出来事が普及に弾みをつけたそうです。
その一つは「余り物の有効活用」です。
1851年牛乳店主のヤコブ・フッセルが余った生クリームをアイスクリームにして売ることを発案します。
そして、牛乳工場を改造してアイスクリームの製造や販売を始めたのですが、これが産業化のきっかけとなりました。
二つ目は1920年~33年に施行された「禁酒法」です。
酒造会社がアイスクリーム製造に相次いで商売替えし、様々な新商品が発売されたそうです。
このようにしてアイスクリームは庶民の間に広まっていったということです。
「日本への伝来」
日本人とアイスクリームの出会いは江戸末期の1860年(万延元年)といわれています。
日米通商条約交換のため、幕府が派遣した使節団が訪問先のアメリカで食べたのが最初で、使節団員の柳川当清が、ワシントンを訪れた際の航海日記に「味はいたって甘く、口中に入るに忽ち溶けて、まことに美味なり。これをアイスクリンという」と書き残しており、そのおいしさに驚嘆したといわれています。
「日本でのアイスクリームの生産開始」
渡米経験のある町田房蔵が明治2年にアイスクリーム製造販売を始めました。
当時の値段は1人前が金2分と当時の大工の日当に相当する高価なものでした。このため、初めは外国人にしか売れなかったそうです。
大正元年頃(1912年頃)になると、喫茶店、レストラン、ホテルなどが増え、アイスクリームの需要が大きく伸びました。
下町では、自転車に旗を立てて町中を売り歩く「アイスクリン」の売り声が聞かれました。
1921年(大正10年)、アイスクリーム製造専門の工場が作られ、その後、続々と工場が建設され、量産されるようになりました。
昭和10年代には、自転車にアイスボックスを積んで売り歩くアイスクリーム売りが現われ、日本の夏の風物詩にもなりました。
昭和16年に始まった太平洋戦争で、酪農生産物のほとんどは軍用物資として徴用され、アイスクリーム製造は全て中止されましたが、戦後、すべてが焦土と化した中でいち早く復活したのがアイスキャンデーでした。
店頭に1~2馬力程度の冷凍機を置き、ブリキの氷結管に水にサッカリンなどの甘味料などを混ぜ入れて割箸をさし凍らせただけのもので、25年頃まではこのアイスキャンデーが全盛でした。
その後、製造設備や技術の改善が著しく進み、また一方では、冷凍施設やアイスクリーム類の販売器材の著しい発展があり、大量生産・大量販売が可能となって現在に至っています。
年々猛暑になる日本の夏、かき氷やアイスクリームなどの冷たい食べ物は、これからも庶民の胃袋を冷やしてくれることでしょうね。
鈴を鳴らしながら自転車にアイスキャンディーを積んで売っていた幼いころを思い出します。
アイスクリームは、母の里に行くときに汽車の中で食べていたのを記憶しています。汽車の吐き出すススが目に入り、
ハンカチを唾でぬらして取ってくれましたっけ・・・。
>将来、南海トラフ地震で大阪市内に津波が押し寄せ、地下街も水没するとの予想がなされています。
東京にもありますが、恐ろしい日本沈没の予言は、はずれてもらいたいものです。
つい最近のテレビで、日本人だけが心配性だと外人が指摘していました。それほど、日本は台風、地震が頻繁に起こり
心配せざるを得ない環境にあったのだと思わされます。
忘れっぽいのも、物事を水に流すことを可とする性格も、厭なことを早く忘れ去りたい習性が身についている気がします。