らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

世界遺産「二条城」(その4)

2011-04-19 | 旅行

世界遺産「二条城」の4回目は本丸御殿と天守閣跡をご紹介します。

「本丸御殿」
内堀に囲まれた部分の16,800㎡(約5,200坪)を本丸と呼び、創建当時の本丸御殿は、二の丸御殿に匹敵するくらいの規模を持っていたそうです。
しかし、天明8年(1788年)の市中の大火のため殿舎が焼失し、その後、永らく御殿の再建はされず、幕末になって第15代将軍徳川慶喜の住居として本丸御殿が建てられましたが、明治14年に撤去されました。

現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮御殿を明治26年(1893年)に移築したものです。
この旧桂宮御殿は京都御所にあった当時、仁孝天皇(にんこうてんのう)の皇女和宮が14代将軍徳川家茂に嫁がれる前に約1年8カ月住まわれた建物であり、孝明天皇(こうめいてんのう)の仮皇居に使用された由緒深い建物だそうです。

・本丸御殿です。


「天守台」
本丸の西南の隅に、本丸庭園を挟んで天守閣跡があります。

・高くなっている石垣が天守閣跡です。


天守台の石垣の高さは約21m、上敷地は445㎡あります。

・天守台への階段です。


ここにそびえていた天守閣は、1626年(寛永3年)に当時廃城だった伏見城の5層天守が移築されたものです。
しかし、1750年(寛延3年)落雷によって焼失し、その後は再建されることはありませんでした。

・445㎡ある天守台の敷地です。嘗てはここに5層の天守閣がそびえていました。


・天守台から眺める本丸御殿です。


・天守台からは「大文字山」も見えます。


「本丸庭園」
現在の本丸庭園は、明治28年(1895年)5月23日、明治天皇が本丸に行幸された時、枯山水風庭園の改造を命じて、明治29年(1896年)に完成した芝庭風築山式庭園となっています。

・天守台下り階段からの庭園の木々です。



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
二条城 (iina)
2011-04-19 11:06:21
麻呂は、京のぜんぶを自分の庭と思っているので気にしないです。

 二条城 京から見れば 二畳ほど /iina
                     ( ^)o(^ )
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Unknown (tamirin)
2011-04-19 14:05:02
平日なのかしら?
人が少ない気がしますね。。。
そのほうがいいけど~
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Unknown (ミミロル)
2011-04-19 18:16:28
本丸御殿は屋根の上に避雷針がたっていますね。
大文字、綺麗に見えています!
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