昭和天皇が崩御されて33年が過ぎようとしています。
「昭和改元の日」
第124代昭和天皇は1901年(明治34年)4月29日にご誕生になり、昭和64年(1989年)1月7日に88歳で崩御されました。
昭和天皇は1926年(大正15年/昭和元年)12月25日に大正天皇が崩御されたことから、皇太子であった裕仁親王が践祚(せんそ=即位すること)し、新しく「昭和」に改元となりました。
しかし、当初は「昭和」ではなかったという噂がありました。
そこでその経緯を調べてみました。
「新元号の経緯」
東京日日新聞(現在の毎日新聞)は、早くから「新しい元号は『光文』になるらしい」という情報を得ていたため、政府の公式発表の前に「元号は『光文』に決定」と報じました。
しかし政府は元号を「昭和」と発表したため、この「大特ダネ」は「大誤報」となってしまい、編集主幹の木戸元亮氏は責任をとって辞任したのだそうです。
この経緯は次のようです。
「光文」は新元号の候補の中にあったのですが、政府内では既に「昭和」に決定していたということです。
しかし、東京日日新聞の報道から政府の公式発表までの時間があまりに短かったことから、元々『光文』に決定していたものが、新聞で先に報道されてしまったため『昭和』に急遽変更したということのようです。
「元号候補」
当時、枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったそうですが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「同和」を参考とする最終案が決定しました。
一方、内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていたということです。
「昭和の由来」
「昭和」の由来は、中国最古の歴史書『書経』にある「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)で、この一行の前後から一文字ずつ取ったものです。
その意味は、「国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う」と言うことです。
「最も長い昭和の元号」
数ある元号の中で最も長い間使われたのは「昭和」で、62年14日続きました。
逆に、最も短い元号はたったの2ヶ月と14日間だそうです。
その元号とは、鎌倉時代の1238年11月23日〜1239年2月6日までの四条天皇の御代に使われた「暦仁(りゃくにん)」の元号です。
「中村草田男の句」
中村草田男の代表句に「降る雪や 明治は遠く なりにけり」の句があります。
この句は草田男が母校である東京青山の青南小学校へ20年ぶりに訪れて詠んだ句です。
母校を訪れたとき、沢山の雪が降り始め、外に小学生たちが外套を着て飛び出していく。そんな様子を見て草田男は自分の小学生の頃をしみじみと思い出しているのです。
翻って、昭和天皇が崩御された後、平成になって30年、更に令和となって3年が過ぎようとしています。
この句になぞらえれば「降る雪や 昭和は遠く なりにけり」でしょうか。
「昭和元禄」
昭和という時代は、悲惨な戦争がありましたが、戦後の復興では昭和36年から昭和48年まで続いた高度経済成長の時代もありました。
この高度経済成長期を指して後に総理大臣となる福田赳夫は昭和39年(1964)に、「天下太平、奢侈 (しゃし=ぜいたく) 安逸(何もしないで遊び暮らすこと)の時代だ」と言い、「昭和元禄」と表現しました。
このような戦後の高度経済成長時代から半世紀以上が過ぎたのです。
本当に昭和は遠くなってしまいました。
今日は1926年(大正15年/昭和元年)12月25日に昭和天皇が践祚(せんそ=即位すること)した「昭和改元の日」ということで、昭和について調べてみました。