「白羽の矢が立つ」という慣用句があります。
その意味は、現代においては、「特別に選び出される」「代表候補に選ばれる」というような良い意味でも使用されていることから、本来の使い方ではなく、「白羽の矢が当たる」と誤用する人が少なからずいるようです。
平成29年度の文化庁の「国語に関する世論調査」で、下記の質問をしたところ、次のようなような結果がでています。
質問・・・「白羽の矢が立つ」、「白羽の矢が当たる」どちらの慣用句を使いますか?
a.「白羽の矢が立つ」・・・・・・・・・・・・75.5%(本来の言い方)
b.「白羽の矢が当たる」・・・・・・・・・・・15.1%
c.(a)と(b)の両方とも使う・・・・・・・・0.7%
d.(a)と(b)のどちらも使わない・・・・6.5%
e.分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.2%
上記の結果を年齢別に見ると、
本来の言い方とされる「(a)白羽の 矢が立つ」は、全ての年代で「(b)白羽の矢が当たる」 の割合を上回っています。
特に40 代では他の年代より高く 80.4%となっています。
一方、「(b)白羽の矢が当たる」は、 60 代で他の年代より高く19.6%となっています。
アンケートからは、高齢者の方で誤用されている人が多いことに驚きます。
現在では、「白羽の矢が立つ」という慣用句は「特別に選び出される」というよい意味で使用されていますが、この言葉は、元来、「犠牲として選ばれる」というイメージを持った言葉なのです。
「言葉の由来」
「白羽の矢」の言葉は、ヤマタノオロチの伝説などにおける「人身御供(ひとみごくう)」が語源であると言われています。
神様の怒りを沈めるために、川や池に人を沈めて捧げる人身御供の儀式があって、その生贄の印として白い羽の矢を家の屋根に立てたことが由来となっています。
更に、日本には古くから、神はその意向を矢で表すと言う信仰もありました。
「日本書紀」には、神が矢に化し女の元に行って結ばれるという記事があります。
このような信仰を前提として中世以降の人身御供(ひとみごくう=いけにえとして人間を神に供えること)伝説が生まれてきました。
人柱(ひとばしら=建築が上手くいかない時、神々への犠牲としてその中に生き埋めする人間)が必要になった場合など、領主や神官はこれはと言う家の屋根の軒にひそかに白い矢を立て、神の思し召しと称して家人を連行しました。これが人身御供と呼ばれるものです。
被害者は若くて美しい娘とされることが多く、その人が犠牲になることで村が助かると信じられていたのです。
矢の色が白いのは日本人が昔から純白を尊んで神聖な色としてきたためです。
このように、この慣用句は多くの中から特に選び出して犠牲とすると言うのが原義ですが、現在では語源が全く忘れられて良い意味で使用される場合が多いようです。