カナダ文学の授業 class on Canadian Literature

結局のところ、ウェストファリア的秩序、何事も国別に、大名ごとで話をする、という原則にのせられてしまう――これまで、仕方ないところはあったけど――というのが敗因だったんじゃないですか。

ウェストファリア的秩序が第一、なられっきとした独立国、ウェストミンスター条約のころすーっと独立国になって、今のもみじの国旗になったころ名実ともに独立したカナダ国の文学なんか、まっさきに大学にとりいれられなきゃいけなかったところではないですか?

でも「カナダ語」というのはない。既成の科、コースは英文、米文、独文、仏文、中文、日文できまり。という世界。露文にどんなに黄金時代があったって、西文が伸びて来たってしったこっちゃないという態度。
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