日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
ライクサムワンインラヴ
いやーこいつにはまいりました。
キアロスタミが日本で撮って、カンヌで評判をとった『ライク・サムワン・イン・ラヴ』。
筋は単純。でもこれほど複雑な映画もない。細部が意味深い。
・・・あのおばあちゃんが待っていたロータリーって、静岡駅なんですってね。
するとあの映画、舞台は日本だけど、東京ってわけでもなく、どこでもない空間なわけですか。ということは、どこでもありうる空間ですね。
キアロスタミ監督がこの映画を、日本の街角にみた「ウェディングドレスを着た若い女性」から着想したらしいというのは、なんだかすごいことです。
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戦後は各地で終わっているか
(このエントリーから続きます)
戦後は日本では完全に思想的にも終わったみたいですが、それは別に日本だけのことではないみたい。
フランスでは、社会党からオランド新大統領が生まれたにも関わらず左翼全体の思想的空洞化がはなはだしいといわれてますね(最近Jean-Pierre Le Goffが出した本(この記事(フランス語)をご覧ください)がそのへんのところ詳しいらしいです)。
韓国では独裁者といわれた朴正煕大統領の長女の朴槿惠大統領が誕生するし。
中国籍の中国の人から出た初のノーベル文学賞が民主化運動に連帯していないと批判される莫言だというのも関係あるかも。
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久しぶりのスタンダール、久しぶりの鍋
(このエントリー、書き始めたのはずいぶん前ですが、やっと仕上げて投稿します)
ほんとに久しぶりのスタンダール研究会で、なんだか同窓会みたいだった12月22日土曜日。
会場は懐かしの京大・楽友会館。おとどし改装されたんですが、壁が白くなっただけで、作りは昔のままです。
こういうのは、いいですね。
京大会館が建て替えのため閉館してから研究会は放浪の生活を余儀なくされてました。
しかし、文化というのは、ずっと前からあって、これからもずっとあるであろう場所、みたいなものが必要なのかもしれませんね。新しいだけでは、根っこが浅くてすぐ倒れる。
小野潮さんの『リュシアン・ルーヴェン』についてのお話も、下川茂さんの『パルムの僧院』についてのお話も、大作家の大作品を扱った御発表だけに、重量級のものになりました。
やっぱり、文学研究って一生ものなので、大作家の大作品に取り組むべきなんですね。そういう作家、作品というのはいくら調べても、いくら考えても分からないところが残るので、汲めど尽きぬ泉のようなものなのです。「これはなんだろうなあ・・・」と考えて、それが頭のどこかにいつも残っていて、それが折に触れて「そういえば、あれはこういうことじゃないか」とかいう形で突如意識の前面に出てきたりするのです。まなびてときにこれをならう、かな?
(下川さんのお話をきいて何日かたって、サンドリーノを死にいたらしめるのは、やっぱり「スタンダール自身である」という言い方をしていいのでは、とはたと思いました)
文学研究は、プロになるのは困難かもしれないけど、やっぱり全ての人が多かれ少なかれ、アマチュアとしてした方がよいことですね。
この営みの伝統を途絶えさせてはいけませんね。
そして久しぶりに河道屋のうどんが食べられました。
これでこそスタンダールの年末というものです。
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