アメリカ、イギリス、フランス、ヴェトナム、ドイツ


 ヴェトナム系の天才ギタリスト、プロデューサー、グエン・レ―のニューアルバム、Songs Of Freedom
 この人はパリに住んでるはずだけど、アルバムはもっぱらドイツから出してますね。

 いろんな歌手、アーチスト呼んできて60年代-70年代初頭の米英ロック曲をカヴァーしたものです。
 ビートルズ、スティーヴィー・ワンダー、レッド・ツェッペリン、ジャニス・ジョプリンに、あとボブ・マーレー、クリーム、アイアン・バタフライ(!)ときた。グエンの自作の短い曲でそれらを繋いでます。

 こんだけメロディーがソウルフルになってアレンジがきついと、元歌は関係ないですなー(ツェッペリンの曲だけは、どうしてもギターのリフが前面に出ますから、ツェッペリンになってますけど)。
 でも、いいすよ、これ。
 懐かしいしね。
 グエンもこういうのが懐かしい世代なんでしょうね。

 冒頭がビートルズ、『エリナリグビー』です。
 この曲、テテも歌ってましたね。わたしは「こんなのロックじゃない」と思えて好きではないんですが(たしかに全ビートルズナンバーのなかで最もロック的でない曲かも)、今はそういう時代なんですかね。
 
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七尾高校


 金沢大学国際学類から、石川県立七尾高校に出張講義に行ってきました。

 お題は「ヨーロッパの言語と社会」というものだったのですが、まあそれはよろしいでしょう。
 一枚だけCD聞いてもらいました。I Muvriniの Umaniから三曲、ひとつはフランス語曲、ひとつはコルシカ語曲、もうひとつはコルシカ伝統の男性ハーモニーの曲です。

 校舎もきれいでよろしいのですが、学生さんたちも活気があってだらけず、好感を持つことができました。

 彼らが将来世界に広く目を向け、国際的業務につく人材も出てくることを期待します。

 帰りにおまんじゅういただきました。美味しかったですよ。



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サカキ・マンゴー「オイ・リンバ!発売記念ツアー」最終日


 めちゃ忙しくしているうちにあっという間に日が経ってしまいましたが、10月7日のSakaki Mango & Limba Train Sound System (たしかにマンゴーさんも言っておられる通り、長い名前だ)のステージの印象は書いておかないと。於大阪・鰻谷sunsui。

 マンゴーさんは、ステージあしらいも完璧、顔も輝いている感じですね。
 ノッてる男のオーラを発散してますよ。
 土着という感じだけではなく、ワールド的な洗練の域に達してます。


 ジェンベの横沢道治さんとの共演部分がとくに印象に残ります。

 写真は、いくつも使い分けられた親指ピアノ、limba。


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大事なニュースって


 スティーヴ・ジョブズの生物学上のお父さんがシリア人であるという話は有名みたいですが、アルメニアとの関わりもあるんですね。ルモンド・ブログ(フランス語)に載ってました。
 こういう話、日本の新聞には載ってないですから、つまんないですね。まあこれはひとつの「エピソード」にすぎないものではありますが・・・

 ところで日本の諸新聞は今日の一面はこぞって小沢さん関連の記事なわけですが・・・ これってそんなに「重要」な話なんだろうか。
 
 これは結局、「東京で取材できて、映像もとれるから、コストがかからない」ニュースだから、ということもあるのかな、と思います。
 新聞とかテレビとかのメディアは「東京で取材できるニュース、コンテンツが『重要なものである』と読者、視聴者が信じている状態に置く方が、資本主義的には正しい行動である」わけですからね・・・

[追記] 小沢さんは尿管結石ですか! いや、あれは痛いんですよね。実はわたし、なったことあるんです・・・ でも点滴したら、もうウソのようにさっと痛みが引きました。それ以来再発もしてません。
 「投薬治療のため一週間程度の入院が必要」ってことですが、わたしのなったのと型の違う尿管結石なんでしょうか?・・・
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命の長さ


 スティーブ・ジョブズが亡くなりました。
 ご冥福をお祈りいたします。

 ITの発展そのものを具現したような巨人でした。
 こんな人でもやっぱりひとりの人間であり、ふつうの病気で、しかも56歳という早世と言える歳で亡くなっていくということに、わたしはある種の奇妙な印象を覚えます。

 それに、パーソナルコンピュータの目覚ましい発達というのも、彼が亡くなるとともに勢いを失うかもしれないな、とも思います。

 なぜかというと、ひとつの「ジャンル」の寿命の長さというのは意外に、人間の一生の長さとそんなに変わるものではないのかもしれないと思うからです。

 ライの母、シェイハ=リミッティが亡くなってからどうもライが元気がなくなりました。ライというジャンルの寿命自体、リミッティばあちゃんというライを具現した個人の寿命とそんなに長さが変わらなかったかな、と思ってしまうわけです。

 パーソナルコンピュータというのは「ジャンル」とは言えないかもしれませんが。
 ほかならぬジョブズが先頭に立って発展させたスマホというもの自体、もう「パソコン」とは言えないものですしね。
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アマジーグ・カテブ、アラビア語インタビュー


 NHKワールド・アラビア語放送にアマジーグ・カテブのアラビア語インタビューが載ってます。

 内容を以下に載せさせていただきます。聴取していただいたトフィクさんに感謝いたします。

Q:今回の来日目的は??
A:富山県で開催された音楽フェスティバル、スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドに出演していました。
そして今晩これから恵比寿(代官山)でライブをやります。
日本滞在はトータル6日間で、その後韓国の音楽フェスティバルに出演予定です。3日間滞在します。

Q:今まで音楽教育を受けましたか?
A:いいえ。音楽学校に通ったり、特別に先生に学んだりというようなことはしませんでした。
音符ももちろん読めません。ゲンブリは全くの独学です。
グナワ・ディフュージョンを結成してから技術を身につけていきました。

Q:日本の楽器には興味ありますか?
A:日本の三線が好きです。ゲンブリによく似ています。

Q:再来日したいですか?
A:もちろんです。今回で二度目ですが、次回はソロではなく、私のグループ(恐らくグナワ・ディフュージョン)と来日したいです。

Q:おすしは食べましたか?
A:はい。でもまだ寿司について歌ってません。(笑)
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金沢モスク


 金沢の、それも金沢大学のすぐ近くにモスクができるという話は以前から聞いていて楽しみにしていたのですが、こんなことになっちゃいました。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111004-OYT1T00228.htm?from=main6

 たしかに、イメージの悪さだけが理由でモスクが建てられないのであれば、イスラム文化の正しい理解が必要ですね・・・

[追記] 簡単には書けませんが、いろいろ他の事情もあるようです。これはちょっと様子を見ていたほうがよさそうです。



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新学期


 今日から新学期。しょっぱなが「文学概論」。

 内容はそんなに変わらないのですが、去年と今年で同じ話の重みが変わる感じがします。つまり、去年と今年の間に大震災と原発事故が起こったので。

 今回の原発事故で日本人の受けたショックと、第一次大戦時にヨーロッパ人が受けたショックのなかに同質のものを見ることができると思います。(だから日本はこれからヒットラーが出る可能性があると思います)

 そのうち『金沢大学の文学概論』てな本を出せればいいなと思っておりますが(ずうずうしいですけど)、その本の根幹にはそういう思想をこめるはずです。

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考えの糸


このエントリーの下の方から続きます)

 バタバタしているうちに、もう明日から新学期です。
 のんびりブログを書くのもままなりません。もうニューオルリンズのお話もまあ折りにふれて断片的にするしかないです。

 ところでニューオルリンズ、アメリカ合衆国でいちばんフランスとの差を感じたのは、「本」だったと思います。

 写真はカビルドCabildoという建物にあるナポレオンのデスマスクについてのポスターです。ナポレオンとニューオルリンズはそれなりに縁があるのでこんなところに展示してあるのです(これについても時間があればいろいろ思いを書きたかったですが)。

 このカビルドというところは元スペイン政庁の建物で、いまはルイジアナ州立博物館として立派な歴史展示がしてあり、ずいぶん興味深く見学しました。

 でもねえ、見学が終わったところに、フランスの博物館だったらほぼ間違いなくある図書コーナー、ブックショップが全然ないのですよ。
 これにはまいった。

 本さえ手に入れておけば、あとでじっくり自分の見た展示の実物の印象から、いろいろ思索、考えを繋げていくことができます。展示物についての本は、考えの糸を紡ぐ紡績機となってくれると思うのです。
 「そんなの、図書館に行けばいいでしょ」と言われるかもしれませんが、実物のある場に、それと関係のあるテーマの文字情報が紙媒体で集中して存在する、というのは非常に大事なことだと思うのですよ。
 日本に帰ってしまうと、せっかくルイジアナを訪れたのに思索の糸を紡ぎ出すよすががないんです。それをしようと思うと、それだけに専念して時間と労力を費やさねばならない。それはわたしには無理です。

 紙媒体の本、というか文字情報が自分の「モノ」としてそこにある、ということはいつでもそこから思索の糸を紡ぎ出せる状態に置く、ということだと定義できると思います。

 ただその本が言語的に、思索の糸を紡ぎ出すに足るレベルで完成されていないといけないですが(このエントリーでは「明王」の訳をちょっと問題にしましたが、"Bright Kings"では「賢い王様たち」にしかならない。少なくとも"Wisdom Kings"くらいにはしないと・・・ ただその"wisdom"「叡智」自体がどういうものであるかは仏教思想について物凄い勉強をしないと分からないところのものではありますが・・・ それから「明王」には「定訳」はないのか、とも思いましたが、実はこの「定訳」というのが曲者だというのも前から思ってます・・・)。

 口はばったいことを申しますが、兼六園の案内フランス語版は、訪れたフランス語使用者のみなさんが家に帰ってこれを読んでも、そこから思索の糸を紡ぎ出せるレベルに(言語的に)できているという自負があります(たとえば「藩校」をecole du clanにせずにecole seigneurialeにしたこととか。「藩」は"clan"が英仏語ともに「定訳」だと思いますが、それはまずいと思ったのです)。

 ・・・こういうことを申し上げると言いすぎかもしれませんが、こういうのが「フランス的」あるいは「フランス語的」なことなのかもしれないな、と思います。
 アメリカ人がカビルドにブックショップを置いておく意義を感じないとしたら・・・
 どうも英語自体にそういうものにあまり意義を認めない「思想」が纏わりついてしまっているのかもしれない、と思ってしまうのです。
 
 ・・・こんなことを思うのには、先日のロンドン暴動のときのイギリス人たちの反応、それに呼応した日本の人たちの反応をみて、英語の祖国イギリスにも、カビルドにブックショップを置かないアメリカと共通した「なにか」があるように感じたからでもあります。その「なにか」とは、思想というかメンタリティというか・・・
 今日はこのことについて詳しいことを考えて書いている時間がありませんが・・・

 「世界を、英語オンリーの世界にすべきでない」というのはわたくしも共有する思想ですが、わたくしの場合その根拠の第一のものは、このエントリーで述べたような思いなのです。



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