世界はハイチ(ハイティ)に何を負っているか


 ご存知の通りハイチを大地震が襲いました。

 先日のJournee de decouverte de la Francophonieでご一緒したハイチ大使(御名刺の肩書には「ハイティ大使」とありましたので、あとはこの表記にします。もっともホントのホントには「アイティ」なわけですが)にはお見舞いの手紙をお送りしておきました。この国は今でもフランス語を公用語とする国です(先のイベントについてわたしは「アメリカ地域」と書いてしまってますが、実際には「北米・カリブ地域」であり、ハイティはそのトップでした)。

 この国、というかハイティ系、より巨視的に見ればハイティを通過したルーツを持つ人々は、ずいぶん世界に貢献していると思います。

 まずなにより、世界で初めて黒人共和国を建国するという快挙を成し遂げたということがあります。
 この国がフランスへの賠償金支払いにあえぎ、アメリカに占領され、現在に至るまで苦難の歴史をたどっているのを目のあたりにすると、どうしてもそこに「みせしめ」みたいなものを感じてしまいます。

 アメリカ合衆国の黒人、アフリカ系の人たちというと「黒人」というカテゴリーでひとまとめにされる傾向があると思いますが、実際はかなりの多様性を持っています。ご存知の通りアメリカ合衆国にはフランス語系アフリカ人の人々がいて今も細々ながらフランス語文化を伝えています。
 ハイティ系の人が現在どの程度フランス語文化と関わりがあると言えるか分かりませんが、ともかく彼らはいったんフランス語文化を通過したルーツを持つ人たちであり、アメリカ合衆国にかなりの数の人がいます。
 たとえばニューオーリンズでジャズを誕生させた人の中には、フランス、スペイン統治時代に住みつき、裕福で教養を持ったアフリカ系の人々がいましたが(ジャズの最初の巨人といっていいJelly Roll Mortonは本名Fernand Joseph Lamotheといういかにもフランス語という名前のクリオール系の人であり、西洋クラシック音楽の素養を生かしてこのジャンルの発展に大変貢献しました)、そこにもすでに西インド諸島、とくにハイティから渡ってきた人たちも相当いたはずなのです。
 どうもこのあたりの歴史はわたしの目に触れる範囲の資料では簡単なことしか書いてなくてはっきりしたことが分からないのです。詳しいことの分かる方は教えてください。

 ニューオーリンズのジャズというのは、その後アメリカが文化的武器の最強のものとして持つことができたアメリカ音楽(その最後の巨星がマイケル・ジャクソンということになるでしょう)の原点だと思います。

 バスキアみたいなハイティ系アーティストもたくさんいます。アレクサンドル・デュマは祖母がハイティ(まだそのころはサン=ドマングですが)の人です。

 近代黒人解放運動の父DuBoisもハイティ出身の父を持つ人でした。
 彼自身は自分の名をデュボイスと呼ばせたがったところからも、フランス語的アイデンティティは持ち合わせなかったようですが。

 しかし国際連合の公用語を決めるとき、英語だけでなくフランス語と二言語ということに決まったのはハイティ代表の貢献が決定的だった、という逸話もあります(これまた裏付けになる信頼できる情報をわたしはまだ見つけていないのですが)。いまでもハイティはまぎれもなくフランコフォニーの積極的な一員となっているのです。

[追記] もちろんトゥーサン・ルヴェルチュールがいますね。
 ヴォ―ドゥー教とその音楽がありますね・・・ 10.01.29.

[追追記] ハイティのクレオール語はルイジアナのクレオール語に非常によく似ているという興味深い話もありますね・・・ 10.01.29.
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