ラ・フォル・ジュルネ金沢


 先月急に、東京では前からやっている「ラ・フォル・ジュルネ」La Folle Journeeを金沢でもやるという話を聞いてちょっと驚きました。安い料金で西洋古典音楽の質の良いコンサートがたくさん聞ける、というやつですね。

 今年の東京のポスターはシューベルトさんが運動靴はいている絵でこの催しの性格を明確に示してますが、金沢ではわりと若いベートーベンさんの顔が例によってまじめにJR駅前に翻ってます(↑)。

 いい催しだとは思います。
 でも日本の地方都市では元から音楽「文化」というと西洋クラシック音楽とイコールに近いとらえられ方をしているので、それを強化することにしかならないのでは、とちょっと危惧を覚えています。
 今の日本には、人々の耳がちょっとはワールドミュージックにも向くようにする配慮の方が大切のように思うんですけどね。ドイツの昔の高尚な音楽ばかり「鑑賞」することが、世界の他のすべての音楽文化を「見下す」心につながらないようにしないと、と思うのです・・・

 そしてこの催しがフランスで始められたものだということ、フランスではこういうものを個人で始めることが可能だということの意味をゆっくり考える人というのが、この機会に金沢でも少しは出てきてほしいところです。ドイツではこういうものは始めないし、始められないと思います。

 実は創始者のルネ・マルタン氏にはいくつか質問を送ってあるのです。もっともまだ回答はありません。本番前で忙しいのでしょうけど。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

大学二年生からの生涯教育

(前のエントリーのコメントから続く)

 「ドイツ語問題」というのは丁寧に説かないと誤解が大きすぎると思うので、まあ時々、少しづつ書いていくことにします。f(^_^;)

 さしあたり、フランス語中級以上の受講生が少ないと大学のフランス語ネイティブ教員のポストが召し上げられる可能性に直結するというお話だけしておきます。

 なぜ中級以上の受講生が少なくなるかというのは、これは学生自身は続けたくても各学部の専門科目が重複して取れないから、という理由が大きいはずなのです。
 教養主義が崩壊しているし、各学部とも学力が低下したといわれる学生たちをなんとか恥ずかしくないレベルまで教育しようと必死のカリキュラムを組んでいるわけで、いわゆる第二外国語履修のために特別な配慮はもうしなくなっています(ただそこでドイツ語が特殊な地位を確保しているわけなんですけど・・・)。
 そこで「受講生が少ないですね・・・ ネイティブ教員は特に必要ないでしょう」という話が出てくるわけです・・・ (T_T)

 わたしとしては、「今の時点での」フランス語の有用性について若者がwell informedであるようになんとかさせてもらって(今はまださせてもらってないです)、あとは大学のカリキュラムの内と外の境界線みたいなところで生涯教育に直結するものとして学んでもらう体制を整えるしかないか、と考えています。
 こういう言い方をすると白ける人も多そうでなんなのですが、日本の国のためにもそれは必要なことです。

 言いかえると「生涯教育」としてのフランス語(やその他いまの日本にとって有用な言語)の教育を大学二年生レベルから始めるコンセプトを作る必要があるかなと思ってます。

 それにしても、北陸の基幹大学を自負する大学が、国連の作業語の教育のためのネイティブ教員すらおけないことにもしなったら、これは全く恥ずかしいことだと思うのですが、大谷泰照先生の言われる「日本人の度し難いコスト意識」が「ここを削ることが正しいことである」と信じたとき、これに抵抗するのは並大抵のことではないです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

新学期

 
 去年のオープンキャンパスのときにつくった幟。あれだけに使うならもったいないなあと思ってましたが、ちゃんと新学期にも立ててますね。
 でももう4月も半ばですから、そろそろしまってもよいのでは、と。

 ことしは国際学類もスタートしたことだし、フランス語の履修状況はまずます。
異文化理解今年から通年授業にして時間割も変えたら、とたんに(おかげさまで)受講生殺到、20人近くになってしまって広い教室に変えてもらいました。(^_^)y こういう急変動というのは、なんでなのか全然分からない)
 だけど医系理工系はあいかわらず伝統的になんとなくドイツ語をとってるし(お医者やエンジニアの方にフランス語できてもらった方がアフリカの途上国援助に即役立つ人材になるんですけどね。そういうことを学生さんに言わせてもらう場がないです)、法学部もドイツ語とらせてるし、どうしてもフランス語は弱小です。でもまあ「ある」というだけまし。専任教員も、非常勤講師さえいない重要言語もありますからね・・・

 たとえばアラビア語がないのです。これでは今の時代やっていけそうもないですから、なんとか自主講座を始めたく思ってます。で、いつかは正式開講にもっていきたいです。
 大学生向きのよいテキストなどご存知の方はお教えください。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )

グラン・コール・マラード:セカンド・アルバムより(1)


 Grand Corps Malade のセカンド・アルバム、Enfant de la ville。期待にたがわぬ素晴らしい出来。(^_^) 第一印象ではファーストより表現がストレートで、分かりやすくなっている感じがします。

 最初の3作品のさわりのところ。

1. Mental 「へこたれない心」

 Mentalという言葉の名詞用法は仏和辞典には「精神生活、精神面」の意味と出てますが、この作品の中ではだいたいmental de resistantという表現で出てくるし、全体の内容からしてもこのくらいの訳がいいかと思います。Rouda他の友人の名前も出てきて、いろいろあるのが人生だ、がんばろう、というメッセージ。

 「運命というのはいたずら好きな奴だから、僕たちはいつ転ぶか分からない。奴に立ち向かうには勇気と、へこたれない心が要る」

2. Je viens de la 「僕はそこから来た」

 Je viens de la ou... 「僕は・・・のところから来た」という表現を重ねます。「そこ」にはいいところもあれば悪いところもある、固定イメージやジャーナリストの決まり文句を信じてはいけないとして最後に、

 「よそで他の人生が生きられたのかもしれないけど、そんなことはどうでもいい。僕が大きくなったのはここ、自己形成したのはここ。僕はバンリュー(郊外)の出身だ」

と締めます。

3. Comme une evidence 「明らかなもののように」

 ほほう、これは愛の詩ですね。彼自身の。(^_^) ファーストアルバムの写真でもわかりますが、グラン・コール・マラードの周囲というのはかなり男の世界って感じですね。だから「僕の友達には笑われるかもしれないけど」とはにかんでます。

 「彼女の眼差しの中に沈み込んでいくとき、僕は『ラ』を失い、『ソ』に足がつかない」(この『ラ』は音楽の合奏で皆が音を合わせるとき使うラの音のこと、これに続けて「音名のソ」と「地面」と二つ意味のあるsolという言葉を出してきてます)

 「彼女が僕を気に入ってくれてよかったとよく思う。でなければ微笑みが地球の回転を止めることがあるなんて知ることはなかっただろう」

 「ときどき彼女は僕の言葉を気に入ってくれる。でも今は彼女の方を僕の言葉が愛している」

 「僕たちの物語の中には、書いてあるものは何もない。でもそこでは全てが響く。明らかなもののように」

・・・

 「電車で旅する僕をめだたせるのはもうやめ」という一句は、たぶん前作のLes Voyages en train『電車の旅』とそのクリップのことを言ってるんでしょうね。 (^_^)

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

タハ自伝(6)

このエントリーから続く)

 さて12歳でアルジェリアから渡ってきたラシード・タハがどうやってフランス語をマスターしたか、フランス語教育者的にはたいへん興味があるのですが、詳しくは書いてません。

 去年ビアリッツで、以前アルザスで彼とお父さんに個人教授 cours particulierでフランス語を教えてくれた女性と再会した話が出てきます。タハと3、4歳くらいしか違わない人だそうですが、ソーシャルワーカーだったんでしょうね。彼女のおかげでタハはジュネ、(アレクサンドル)ヴィアラット、デリダ、ドゥルーズが読めるようになったと言ってますから、これはもうすでに大変高度なレベルのフランス語ですね。
 彼女はいま歌手ラシード・タハのファンなんだそうです。 (^_^)

 彼が最初についた仕事は本の訪問販売なんですね。動物図鑑とか妊産婦ガイドとかだけじゃなくスタンダール、ユゴー、ゾラも売ったそうです。タハはスタンダールどんな売り込み方したんでしょうね。 (^_^)

 この商売から、相手の心理的ポートレートの見定め方を覚えたといいます。

 東京でタハはわたしを見て、こいつはなんだと思ったでしょうね・・・ (^_^;)
 パラパラめくってみても残念ながら日本公演のくだりはないみたいなんですが。

 ところで、彼としてはアルジェリアを愛する気持ちに偽りはなかったけれど、もっとやりたいこと――つまり音楽――ができてしまって、やむなく兵役の検査をごまかしちゃいました。
 昔の日本でも醤油を大量に飲んで徴兵検査で不合格になるなどのやり方があったそうですが、タハのごまかし方はもっとソフィスティケイトされたものですね。ここでは書きませんけど。 (^_^;)y


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

グラン・コール・マラード 2 !


 新学期で忙しいです。 (^_^;)

 ところでGrand Corps MaladeのセカンドEnfant de la ville入手いたしました(↑)。内容はもちろんゆっくり聞かないといけませんので、まずはご報告まで。(^_^)y
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

百年の誤読


 名著『百年の誤読』の続編、『百年の誤読 海外文学編』が出てます。これは面白いですよ。

 岡野+豊崎コンビの舌鋒は今回も鋭く、過去に「傑作」と呼ばれた作品たちに現在の立場からバシバシとシビアな評価を下す、その切れ味は爽快です。

 フランス文学に限って言うと:

 『ジャン・クリストフ』:岡野ひとつ星、豊崎ふたつ星(満点は五つ星)。
 『神々は渇く』:お二人ともひとつ星。

 そうなんですよね、このあたりもうあんまり読む価値がある作品とは思えません。

 世の中にたくさん面白くて有意義なものがあるのに、わざわざこういう作家の作品をいま、学生さんに、長い時間をかけて読め、とはわたしはよう言わないです。
 ところが他の方々と違ってわたしは、なんの因果か、フランス文学史の授業で学生さんの前でこういうのにいちおう触れるというのが「仕事」だというわけで・・・ (^_^;)

『チボー家の人々』:お二人とも三つ星。だけどダイジェスト版で十分という声あり。
 プルーストは岡野ふたつ星、豊崎よつ星で、年上の岡野氏の点が辛いのですね。

 ところで後の方、つまり現在に近い作品になるほどお二人とも五点満点を連発し出すのが面白いです。『羊たちの沈黙』、『日の名残り』、『アメリカン・サイコ』、『海の上のピアニスト』、『アムステルダム』・・・もちろんこれが全部三十年後、五十年後までそのままの評価を保ってはいないと思いますが、それだけ今は、21世紀初頭の現在を、現在の文学を体現しているということなんですね。

 フランス「語」文学に関してはアゴタ・クリストフ『悪童日記』(1986)が一番最後のもので、両者五つ星満点。これだってもう22年前のものですが、成年してからフランス語を習った越境者の書いた小説ということで、まことに現代ですね。

 ちなみに著者の岡野宏文、豊崎由美のお二人に関しては、前作であの円谷幸吉氏の遺書を全文掲載した見識に感服いたしました(234ページ)。氏の遺書は戦後の日本の生んだ「もっとも痛ましい文学」だと思ってましたので・・・

[追記] 若くてご存知ない方のために。円谷幸吉氏は、東京オリンピック(1964)マラソンの銅メダリスト。その後故障で苦しみ、四年後に自殺されたのです。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

2001年10月


 閑話休題。

 2001年10月(あの9.11事件の直後だというのがすごいことだった)、タハが来日したとき、わたしがはじめて彼および彼のバンドと顔をあわせたカフェ(↑)。

(・・・なんかブルトンの『ナジャ』みたいなもの書いてる気分に。あのタハが実際目の前にいて、動いていたということ自体、今から考えたら夢幻的に感じられるから?)
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )

タハ自伝(5)

このエントリーから続く)

 タハのお父さんはアルザスで働いていましたから、タハもフランスに渡ってそこに行きました。お父さんは8時間3交代制の仕事で必死に働く大変な生活でしたが、アルジェリアでは地面に寝ていたのが今ではベッドで寝るようになっていました。あと温水、シャワー、テレビ・・・

 彼はアルザスで初めて「雪」というものを見ました。それまで雪というのは・・・伯父さんが大好きだったアダモのTombe la neigeで聞くだけの、抽象物だったそうです。この伯父さんは他にマンガのTintinも好きだったそうで・・・こういうの好きなアルジェリア人っているんですよね。

 タハ自身はアラブ語、まわりの人間はアルザス語alsacien(これはご存知の通りドイツ語の一方言です)とフランス語という言語環境ながら、なんとか急速に適応できたようにタハは書いてます。

 そして西洋の音楽と、映画の世界がタハの前に広がります。

 ちょうどわたしが米英ロックに魅了され始めた頃ですから、ひとごととは思えません。
 彼がJanis JoplinのMe and Bobby MaGeeなんて曲を思い出しているのを見ると、わ、わたしの同時代人という感じがします。(^_^)  フランスの歌手の曲はわたし全然知りませんが。

 それから『ウッドストック』の映画。

 わたしはこれ、京都の祇園会館で見ました。(^_^) 三本立てで、一本目が『明日に向かって撃て!』。二本目がこれ。三本目の『イージー・ライダー』になるともう頭が痛くなってしまって、見るのが苦痛だった。 (^_^;)

 しかしタハはWoodstockに違和感を感じます。その感覚を見事に表現していたのがJim Morrisonのインタビュー記事で、タハはそれを読んではじめて、自分がどうして歌とは別にこの人に好感を覚えるのか分かったと言います。

 ジム・モリソンは、ウッドストックに集まった若者たちはああだこうだいろんなことを信じさせようとしているけれども、結局潜在的に権力の側にあって、チェ・ゲバラよりボーイスカウトに近い存在なのだ、と言います。音楽とドラッグで「ラリッて」(と、当時は言いましたね。この言葉、最近きかないな)楽しんではいるが、結局アメリカ国務省のとる戦略に責任ある立場か、少なくとも共犯的立場になっていくのだ、と。

 タハのステージがジム・モリソンを彷彿とさせるのは、こういう共感から来ているんですね。

 それからパゾリーニ。
 
 革命的暴力は、消費社会の到来によって少しずつ変質していった。大衆はもはやただひとつのことしか求めない。それは「不要のものをより一層消費する」ということだ。自由主義的資本主義は、革命家たちをその目的からそらさせてしまう。民衆の支配的な関心が「消費すること」になったとき、もはや彼らは反抗のために動員されえなくなってしまう。
 だからパゾリーニは、反抗はもはや西洋社会では無理で、蜂起は第三世界の国々から来るだろうと考えたのです。

 でも彼は、そういう第三世界の国々でも多くの指導者が西洋の大国に買収されるというところまで視野が及ばなかった、とタハは結論づけるのですね・・・

 (おまえのことなんか聞いてねーよ、と言われるかもしれませんが (^_^;) )わたしの方は、『ウッドストック』に集まったアメリカの若者のことなんかあんまり関心なくて、音楽とアーチストに神経集中してました。たしか去年にBSで放映されるまでこの映画を再び見る機会はなかったんですが、見直してみてもわたしの印象に残るのはなぜかジミ・ヘンでもフーでもなくてスライ・ストーンなんですね。彼が一番かっこよかった。(^_^)

このエントリーへ続く)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

「RAI大好き!」の模様替え。(^_^)


 春ですねー。 (^_^)

 大学には新入生があふれてます。
 毎年いまごろは学生さんたちが気を張ってキャンパス・デビューをするんですよね。彼らの服が新しくて、なんかちょっと他所いきっぽい感じがするのが微笑ましいです。(^o^)

 ところでライ情報を発信し続けているホームページ、「ライ大好き!」も、先日からアルジェリア音楽全般を扱うページへの模様替えに着手しています。

 名前は「RAI大好き!」で変わりませんが、「ライ」だけじゃなくて「アンダルス=シャアビ」と「ベルベル>カビル」(仮称)、そして「その他」としてこの3カテゴリー以外のジャンルやフランスで活躍する北アフリカ系アーチストを紹介対象としたいと思ってます。このくらいの構成の方が今のニーズにあっていると思います。

 「ニュース」のところを簡略化して見出しだけとし、このブログで解説している場合はそのエントリーにリンク、解説しない場合は原資料の仏英語などのページにリンクする形にします。
 RAI INFO の通番はもう要らないかなと思いますが、いかがでしょうか? このブログではRAI INFOはカテゴリー「アルジェリア」で統一してありますので。

 リンク集はトップ・ページに残して、あとのものは別ページに分けようと思います。

 暇をみて少しずつやりますから、まだまだ時間がかかると思います。よろしくお願いいたします。 m(_ _)m
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »