タハ自伝(6)

このエントリーから続く)

 さて12歳でアルジェリアから渡ってきたラシード・タハがどうやってフランス語をマスターしたか、フランス語教育者的にはたいへん興味があるのですが、詳しくは書いてません。

 去年ビアリッツで、以前アルザスで彼とお父さんに個人教授 cours particulierでフランス語を教えてくれた女性と再会した話が出てきます。タハと3、4歳くらいしか違わない人だそうですが、ソーシャルワーカーだったんでしょうね。彼女のおかげでタハはジュネ、(アレクサンドル)ヴィアラット、デリダ、ドゥルーズが読めるようになったと言ってますから、これはもうすでに大変高度なレベルのフランス語ですね。
 彼女はいま歌手ラシード・タハのファンなんだそうです。 (^_^)

 彼が最初についた仕事は本の訪問販売なんですね。動物図鑑とか妊産婦ガイドとかだけじゃなくスタンダール、ユゴー、ゾラも売ったそうです。タハはスタンダールどんな売り込み方したんでしょうね。 (^_^)

 この商売から、相手の心理的ポートレートの見定め方を覚えたといいます。

 東京でタハはわたしを見て、こいつはなんだと思ったでしょうね・・・ (^_^;)
 パラパラめくってみても残念ながら日本公演のくだりはないみたいなんですが。

 ところで、彼としてはアルジェリアを愛する気持ちに偽りはなかったけれど、もっとやりたいこと――つまり音楽――ができてしまって、やむなく兵役の検査をごまかしちゃいました。
 昔の日本でも醤油を大量に飲んで徴兵検査で不合格になるなどのやり方があったそうですが、タハのごまかし方はもっとソフィスティケイトされたものですね。ここでは書きませんけど。 (^_^;)y


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