日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
グラン・コール・マラード:セカンド・アルバムより(1)
Grand Corps Malade のセカンド・アルバム、Enfant de la ville。期待にたがわぬ素晴らしい出来。(^_^) 第一印象ではファーストより表現がストレートで、分かりやすくなっている感じがします。
最初の3作品のさわりのところ。
1. Mental 「へこたれない心」
Mentalという言葉の名詞用法は仏和辞典には「精神生活、精神面」の意味と出てますが、この作品の中ではだいたいmental de resistantという表現で出てくるし、全体の内容からしてもこのくらいの訳がいいかと思います。Rouda他の友人の名前も出てきて、いろいろあるのが人生だ、がんばろう、というメッセージ。
「運命というのはいたずら好きな奴だから、僕たちはいつ転ぶか分からない。奴に立ち向かうには勇気と、へこたれない心が要る」
2. Je viens de la 「僕はそこから来た」
Je viens de la ou... 「僕は・・・のところから来た」という表現を重ねます。「そこ」にはいいところもあれば悪いところもある、固定イメージやジャーナリストの決まり文句を信じてはいけないとして最後に、
「よそで他の人生が生きられたのかもしれないけど、そんなことはどうでもいい。僕が大きくなったのはここ、自己形成したのはここ。僕はバンリュー(郊外)の出身だ」
と締めます。
3. Comme une evidence 「明らかなもののように」
ほほう、これは愛の詩ですね。彼自身の。(^_^) ファーストアルバムの写真でもわかりますが、グラン・コール・マラードの周囲というのはかなり男の世界って感じですね。だから「僕の友達には笑われるかもしれないけど」とはにかんでます。
「彼女の眼差しの中に沈み込んでいくとき、僕は『ラ』を失い、『ソ』に足がつかない」(この『ラ』は音楽の合奏で皆が音を合わせるとき使うラの音のこと、これに続けて「音名のソ」と「地面」と二つ意味のあるsolという言葉を出してきてます)
「彼女が僕を気に入ってくれてよかったとよく思う。でなければ微笑みが地球の回転を止めることがあるなんて知ることはなかっただろう」
「ときどき彼女は僕の言葉を気に入ってくれる。でも今は彼女の方を僕の言葉が愛している」
「僕たちの物語の中には、書いてあるものは何もない。でもそこでは全てが響く。明らかなもののように」
・・・
「電車で旅する僕をめだたせるのはもうやめ」という一句は、たぶん前作のLes Voyages en train『電車の旅』とそのクリップのことを言ってるんでしょうね。 (^_^)
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