釧路の湿原


 マミの件でなんか嫌な気分になったせいか、いろいろ書いてしまいました。
(^_^;) でもサラームさんの本の紹介もできたから、有意義でした。

 もうひとつついでに。
 デジカメの写真整理してたら、9月にでかけた釧路湿原の写真が意外と雰囲気いいことを発見。天気悪いからきれいに撮れてないと思い込んでた。

 また行きたいな。

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「日本人の無くした何か」


 サラーム海上さんのお名前が出たので、彼の新刊『PLANET INDIA』(↑)の読書感想文もアップしときます。この本は、別に義理で宣伝するわけじゃなくて、マジでお勧めです。 (^_^)v
 
 『PLANET INDIA』は、インド音楽に魅せられたライターがインドを旅する「音楽の本=旅行の本」なわけですが、ポイントはその旅が「放浪の旅」の正反対ってこと。これはインド音楽にひたすら肉薄して行く、いわば筆者の「戦闘日誌」です。

 とにかくリズムがいい。これは筆者が興味を持つ人物、場所、出来事に最小限の無駄でアクセスできてるということなんです。だらだら無駄な時間や労力を費やしていたら、あとでどれだけ削除してもその悪影響がきっと残ると思う。

 サラームさん自身はどう思ってるかしらないけど、それには以前の世界放浪の旅が肥やしになってるはず。

 放浪の旅っていうと、未知の世界に突っ込んで行く新鮮さがあるかもしれないけど、無駄が多い。確実に多い。電車に乗り遅れるとか泥棒にやられるとか病気になっちゃうとかいう外的な無駄はもちろんだけど、内的な無駄ってものがある。これはダメなスジだってこと、つまり「あ。これはオレ、面白くないんだ」ってことに気づくまでに時間がかかる。
 このへんは旅が人生の縮小版みたいなものだというのがしっかり現れるところ。人生でも迷っちゃうと脱出にひどいときには何年もかかる。もっと悪いときには、長々時間かけちゃったということで「ほんとは、これは、おれは、面白くないんだ」というのを自分に認めることがめんどくさくなったりしちゃってそのままズルズル生き続けてしまう・・・ まあそれも人生と言えば人生だけど。
 世界地図に足跡で巨大な円を描いてきたサラームさんに比べてわたしは西ヨーロッパをひと月ばかり回っただけだけど、はじめての放浪旅行のおかげでわたしもこんなことは分かったように思うんです。

 サラームさんが放浪旅に出たのが90年代終わり頃、数年かけての旅行で、97年末、旅程の最後としてインドを訪れてこの国の魅力に開眼したそうです。
 ちょうどそのころ、わたしはパリに居座っていて、フランス・チームのワールドカップ優勝騒ぎにでくわしたのが98年夏で、同じ年の秋に「アン・ドゥ・トロワ・ソレイユ」コンサート見て完全にライとそれを取り巻く諸状況の面白さのとりこになってた。

 それとは関係ないかもしれないけど、こんなことも思います。
 少し後の2000年ー2001年に、千年紀の変わり目とかいってお祭り騒ぎやってて、でもそれでそんなに世界が変わるわけじゃない、とみんなたかをくくってたと思う。今となってみるとこの20世紀、というか西暦千年紀の最後の3、4年間ほどの間に、それほど意識されないままに世界が大きく質的に転換してたと思うんですね。

 ずっと昔のあの山下洋輔『風雲ジャズ帖(のーと)』のヨーロッパツアーの下りなどと比べると、ジャズメンのほら話の楽しさというのとは違うし、筆者が演奏家か評論家かという違いもありますが、それ以上に時代が決定的に違うのが印象的なんです。
 『風雲ジャズ帖』のころは、いったんヨーロッパツアーに出てしまった筆者たちは、日本から切り離されていました。日本の情報は全然入らない状態に置かれてました。サラームさんは切り離されてないのです。常に彼は日本を含んだ世界全体を視野に入れて動いてます。やっぱりインターネットの登場が大きいですね。世界どこにいてもこれさえあれば日本の情報は入るし、日本の人とメールで通信・入稿することもできるわけで。
 それだけだとIT革命とかいうことでありきたりの、だれでも言うことにすぎませんが、より重要なのはそういう世界の緊密なネットワークが人の面、人の意識の面でも成立してるってことです。『風雲ジャズ帖』ではせいぜい日本とヨーロッパの同時代性、シンクロナイズしか問題になってなかったのが(たしかインド人やトルコ人が同時代意識の外にいる人として登場してた)、『PLANET INDIA』ではもはやインドと世界とのシンクロが動かしがたい現実として立ち上がってます。サラームさんが指摘するように98年から01年ころにインド音楽は急速にグローバル化したんです。デリーのミュージシャン、ゴーラヴとタバンは「オレが普段話をしている東京のDJや音楽家たちと何も変わらない」とサラームさんは断言してます。

 だから・・・
 たしかに、いまどきインドにでかけて「日本人の無くした何か」を探そうなんてしてる場合じゃないんだな。
 おそらく(わたしも含めて)多くの人がインドをなんとなく敬遠したくなるのも、インドってのはそういう自分探しみたいなことをやりたい人のためのもの、という漠然としたイメージに邪魔されてるからか、と気づきました。

 好むと好まざるとにかかわらず、世界は同時代的に動いているのだから、インドにも--もちろんアルジェリアにも--同時代人を求めに行くべきなんですね。
 同志、ってだけじゃなくて、同じ土俵で勝負を争う競争相手、ってことかもしれないですけどね。 (^_-)







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rai infos/ライ・ニュース 066

DIWAN 2 : SORTIE AU JAPON

 おお、なんと素早くも、ラシード・タハの新作 Diwan 2 日本盤リリースです(RICE WRR-5035. 問い合わせはオフィス・サンビーニャさんまで)。まだ買ってなかった方はサラーム海上さんによる的確・詳細な解説のついた日本盤をぜひお求め下さい。
 それにしてもラシード・タハはフランス盤とほぼ同時に日本盤が発売されるアーチストとして認知されてきたようで、喜ばしいことです。 (^o^)
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学祭


 マミのニュースが重苦しくてかなわないので、ちょっと金沢大の学祭のお話でも。

 ここのところ金沢には珍しい好天が続いて学生さんたちにはラッキーなことです。11月あたまの金沢というのは天気大荒れになることも多いのです。

 わたしが顧問になっている(といっても何もしてませんが)音楽サークルは教養教育棟A3教室を独占していて、11月3日から5日の3日間で30近いバンドを出演させる盛況ぶり。

 タイムテーブルに「PA」とか「転換」とか役割分担が書いてあるのですが、「フォーチュン」て書いてあるのは何かサークル代表の S (彼女は初級でわたしのクラスとった子なんですが)に聞いてみたら、飲物を売ったりなんかする役のことらしい。それって何語だ?

 ちょっと聞いてみたバンド。話では「ロックとパンク、みたいなの」だそうですが、まさにそうとしか言いようのない音。でもギターはフェンダー(ムスタング?)、ベースの女の子はリッケンバッカー持ってるもんね。いっちょまえに。 (^_^;)
 つづけて出てくるのはレッチリのコピー、ナンバーガールズのコピー、ジャパメタ(だったかな?)で、オリジナル曲バンドとなる、とのこと。
 現代ですなあ。
 久しぶりに聞く大音量爆音で耳が痛みそうだったので早々に退散。

 まあ諸君、しっかり音楽したまえ。 (^_^)
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