チュニジアの新聞

 わたしはアルジェリアとフランスの新聞でジャスミン革命をフォローしてます。チュニジア自体の新聞はネットでは現在見にくい状態になってます。
 これらが読めるようになったとき、チュニジア人たちの肉声がはっきり聞こえてくるでしょう。

 アラビア語とフランス語で。

 これをご覧ください。言うまでもないことなのですが、チュニジア国内にはアラビア語紙でなければフランス語紙しかないです。

 だから英語だけじゃだめだ、と言ってるんです。


[追記] Le Temps紙が声をあげました。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
« ジャスミン革... フランス大使... »
 
コメント
 
 
 
そうそう (mauvaismouvement)
2011-01-19 17:15:36
こんにちは。久々の登場です。

数年前、マダガスカルを旅行していた時、マダガスカルは同様の暴動・政権交代(確か旧大統領はフランスへ亡命)があった直後だったのですが、現地の新聞ウォッチ、現地の人の声を聞く上でフランス語は助かりました!政権交代の後、現地の人は「以前は賄賂なしには物事が進まなかったが断然よくなった」と随分未来に希望を抱いていました。

チュニジアを旅行していた時は、ユースホステル内での共通語はフランス語で、こんな経験をしたことのないアメリカ人が茫然としていました。これは10年以上前のことですが…今はどうなんだろう?

記事読んでみますっ!




 
 
 
不謹慎ですが、面白いです (raidaisuki)
2011-01-20 09:03:55
mauvaismouvementさま
コメントどうも。

 ジャスミン革命を称える、高揚した調子の記事に、「おまえら恥を知れ、つい昨日までベンアリの追従記事ばかり書いていたではないか!」って読者のコメントがついてますね。
 チュニジアのジャーナリストも苦しいところです。たしかに5日ほど前まではベンアリ万歳の記事書くしかなかったんですから。
 
 
 
追伸 (raidaisuki)
2011-01-20 09:22:05
>数年前、マダガスカルを旅行していた時、マダガスカルは同様の暴動・政権交代(確か旧大統領はフランスへ亡命)があった直後だったのですが、

2002年のラツィラカ大統領失脚のころですかね。マダガスカル人というのは、フランスの大学の夏季講座で初めて見て「こういう顔の人たちが住んでいるのか」と感慨を覚えた思い出のある国です。アフリカとアジアの結節点、ですね。
去年富山の「スキヤキ」でお会いしたラジェルさんにもまた会いたいです。

ユースホステルの言語状況はどうでしょうかね。チュニジアにはわたしも10年以上行ってないですけど、そんなに劇的には変わってないのではないでしょうか。
 
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