文学とはなにか001


 アゴタ・クリストフのことを書いたら、なんだか急にこんなことを-間歇的に-考えたくなりました。
 こんな青臭い題目で書きたくなるなんておかしな話ですが・・・
 たぶん、わけわからん感じになると思います・・・

 ボルヘスが『悪党列伝』で扱っている赤穂浪士は、あきらかにラテンアメリカ文学的存在です。しかしマルローはそれをヨーロッパ中世の騎士道と同列に並べるでしょう。 
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アゴタ・クリストフ追悼


 Agota Kristofが亡くなりました。ご冥福を祈ります。

 「自宅で」亡くなったということで、それだけでなんとなく彼女らしい気がします。

 「亡命」後、ことばへの愛からというより生活の必要に迫られて覚えたフランス語のぎこちなさを異様な迫力に転換する術を授かったかのような彼女(とくに『悪童日記』の終結部は驚くべきものでした。しかも彼女はそれだけではなかった)は、普通の人なら人生のまとめに入るような年齢で文壇デビューということになりました。

 彼女のポートレート。人生の年輪を経た、しかしまったくその辺にいそうな平凡なおばさんの顔。

 文学言語のあり方、文学者のあり方として、いかにも現代を感じさせる人でした。

 小松左京さんも死んでしまったし、2011年はずいぶん世界の住人の有力な部分が抜けて、世界がすかすかになった年として記憶されるのではないでしょうか。
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