モダンアート


 「Light InSight ライト・[イン]サイト 拡張する光、変容する知覚」(於東京・新宿・NTTインターコミュニケーションセンター、2月28日まで)。

 突然ですが、モダンアートの成立というのはわたしにとってはこういうことになります:

 マルセル・デュシャン(裕福とは言っても公証人の息子で兄弟も何人もいたのだから、これだけいい教育が受けられるというのは20世紀初頭のフランスは豊かだったと言えるのでは)というきわめて変わった男が、テレピン油はもうたくさんだとかなんとか言いながら腰掛の上に自転車の車輪を置いたものが「アート」でありうる、という発想を得て(こんな「アホな」ことフランス人しか考えつかないし、またそれをおおまじめに人に言ったりしないのでは)、ただの小便器を展覧会に出品するなどという破廉恥なことをやったところが、アメリカ人たち(彼等は独立戦争のときに助けてくれたということで(本当は文化的伝統への羨望だと思うけど)フランス人には一定の敬意を払う)がこの、『階段を降りる裸体』という、キュビスムなんたらという難しげな試みにのっとってはいるけれどある意味で分かりやすい絵(そう、階段を降りる裸体が描いてあるのは明白だから)を描いているからそこそこの画家であるのは疑いない男が妙なことをやりだしたというので面白がってはやし立てたおかげで、すでにアメリカは世界の中心だったから世界的に「アート」とはそういうものだ、ということになっちゃった。

 さてこの展覧会?は光というお題でいろいろ出品されているわけで、まあなかなか面白いですよ。

 でもそろそろわたしには、この作品は触ってはだめです、こっちの作品はここまで触っていいです、枠の中に入って「自由に」参加してください、でもここから先はだめです云々が、なんだか不条理に思えてきました。
 それから会場案内の方々は、みんなやっぱり多かれ少なかれアートに関わる学生や業種の人たちのように思うんですが、この人たちの対応がファミレスの従業員みたいにマニュアル化されているみたいなのにも違和感を感じるようになってきました。

 デュシャンが今の世に現れたらメタ展覧会みたいなものを構想しないかな・・・

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