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ルーヴル地下は


もう地下街といっていい威容を整えましたね。これ、Restaurants du monde世界のレストランてことですが、ええと、イタリア、スペイン、モロッコ、それからどこだったっけ?
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レ・アルのこのデカ頭には


思い出のある人も多いだろな。この頭、改装後はどうなるのかな。
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レ・アル


 レ・アルLes Hallesのショッピング街も大改造中。

 工事中でも人の通路に趣向を凝らしてこんな感じに面白くする。

 まあフランス人らしい工夫ではあるんですが・・・

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あさってからフランスですけど


憂鬱でしょうがないです。

 誰がわたしのことを分かってくれるだろう?


[追記] ご挨拶を忘れてました。帰国は24日です。それまでブログ更新お休みです。あと一週間ちょっとですね。13.09.15.
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はなび


 金沢に来てもう20年以上になりますが、はじめて花火大会を見ました。

 といってもずいぶん離れたところから見ただけですが。(写真も遠くからでは、あんまり見事じゃないな)
 ただそれだけ人も混んでなかったですから、快適でした。

 『よつばと!』第三巻(日本語版)の最後をおもだしますね。あれは、あずまさん、あざといよ。でも、うっかり涙が出そうになった・・・



 星空というのは、どんな貧乏な人でも享受できる、太古の昔より今に至るまで変わらぬ美、芸術品なのだと思います。

 打ち上げ花火は、人工のものではありますが、やはり階級をこえた全ての人のための憩いであるように思います。

 昨日の北陸中日新聞さん主催の大会では、プログラムに「創作花火」と書かれたものも見受けられました。やはり花火も芸術、あるいは芸術たりうるものだと思います。

 わずか数秒でおわる芸術です。
 ライの歌だって6分くらいはあるのに。

 でも、またどこかで、来夏にでも、見られることを期待する芸術かな・・・

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王職


 ベルギーのアルベール二世は明日退位ですね。

 オランダでもそうだったし、ローマの法王もそうだったですが、王様とか法王様とかも、老齢になると辞めるのが普通という「職務」になりつつあるのかもしれないですね・・・

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あじさい


 あじさいです。

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菖蒲園


 金沢に二十年以上住んでいて、いちども花の咲く頃きたことのなかった卯辰山菖蒲園です。
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元気にしてます


 最近ブログが更新されていないので心配してくださった方がいます。
 ありがとうございます。目の前の懸案(いくつもあります)のおかげで、ブログ書きまで手が回らないということですので、ご心配なく。

 精神衛生のために――というのも昔このブログを止めるのを止めて恥ずかしげもなく再開したときそういう意図が暗にあったなあと思うからですが――なんとなくつぶやいておきますが・・・つぶやきはTwitterの縄張りではありますがわたしはブログというメディアにまだこだわりたいので。

 というのは、現実の重要な問題に直面してあれこれ考えるときというのは、いちばん普遍的な問題について考えるのにもいちばんよい機会だから。ただそれを論理的にまとめて他の人にも分かるような整合性と説得力をもったコトバで表現するには適さない時期だと思います。

 ということで以下は精神安定のためのひとりごとです。他の方にわかるような言葉にはなってないと思います。すみません。

 先生というのは「踏み台」だというのはかねてからの持論ですがそれと関連して・・・
 今の――日本の?――問題は、「(世代間を)繋いでいく」という感覚を多くの人が持つこと、じゃないかなと思うわけです。

 今――日本は?――知的、合理的にまともな言説としては女性が自らのエゴを抑制する方向性がない感じなのですがそれは――堀井師も言うように?――最終的には女性自身さえもしんどくしてしまう。だいいち男性の生き方、育て方を難しくしてしまった。
 ただこれは――人類が? 日本が?――そういう歴史段階だということであって、けっして一生懸命自己主張した人たちの努力が無駄または有害であったということではないと思います。

 ドイツ精神が勝ち誇っていた時代にニーチェが鳴らした警鐘と、彼の「高み」のイメージは、「繋ぎ」とか「横方向」とかいった言葉を導入して新しい肉付けさえすれば、二十一世紀にも大きな意味をもってくると思います。

 だからこそニーチェが絶賛したスタンダールは、文学研究のあり方の再考とともに、脚光を浴び直さなければならない――変な言い方ですが――はずだと思います。それはひとつには、スタンダールは現代的意味での「イデオロギー」の直前の人だからということが言えると思います。松原雅典先生にこの間お葉書で書いたことですが、ここから後はスタンダール研究をニーチェとの関係から紡ぎ出して、合わせてそれにふさわしいアウトプットの形態も模索しようと思います。

 閲覧出来る状態で図書館にあることに満足せず、紙媒体の本を「所有する」というのはどういうことか。それは人格の分裂を避け、数々のバラバラの思いをくっつけて接着させるために物理的に隣接させて存在させること、であるように思います。ただこの場合、お金を出して買った本も、なんらかの理由で本を買わずコピーをとった紙束も、自分で書いたノートもすべて同列に並ぶことになります。
 たぶん、スタンダールはそれを、萌芽的段階ではありますが実践してました・・・

 

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かなだはなかなかだ~その28 J'aime le Quebec !


ということで「かなだはなかなかだ」シリーズはこれでおしまいです。

 ずっと前のものですが、捨てられなくてとってあるTシャツです。

 J'aime le Quebec ケベック大好き!


 まあ、わたしは J'aime le rai ! J'aime l'Algerie ! の方が大事ではありますけどね。
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