日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
民芸の農作物

民芸って、おそらくドイツ語のVolkskunstから作った言葉かな、と思います・・・小学館『日本国語大辞典』――わたしが「紙媒体でこんな大きな本を買うのは生涯最後だろうな」と思って買って、いまのところそうなりそうな本――でははっきり書いてないですが・・・
五箇山の某お土産売っているところは、農作物とかを売っているように見えて、実はこれら全部民芸品という趣向になってます(↑)。
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かなざわせいしゅんものがたり

金沢大学のおとなり、金沢美術工芸大学の卒業生、東村アキコ氏の自伝的漫画、『かくかくしかじか』。先日出版された第二巻ではその金沢での大学生活の始まりが扱われています。今時めずらしい、ストレートにほろ苦い青春の記、ですね。金沢をご存知の方も、知らない方も、ぜひお読みください。わたしも読んでいて懐かしい想いがします。
・・・ん?・・・あれ?・・・
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出開帳

昨日まででした。一昨日、滑り込みでお参りできました。
回向院における東日本大震災復幸支縁(ママ)善光寺出開帳。
「出開帳」というのはどういう雰囲気のものか体験してみたかったこともあり、お参りしてみました。
公式ガイドブックにも写真がのせてありませんが、陸前高田、要害観音堂の木造聖観世音菩薩さまもお出ましになっておられました。津波でお堂のあった場所さえ分からない状態になってしまったのですが、観音さまは瓦礫の中から発見されたそうです。
お姿を拝するに、「おいたわしや」という気持ちが浮かんできます。
こういうの偶像崇拝で、イスラムは厳格にこれを禁じたままなんですがね・・・
回向院に参ったのは初めてです。ご存知の方も多いでしょうがここは「諸宗山無縁寺回向院」といって、1657年の明暦の大火のときの十万以上の犠牲者を宗派の別なく葬ったところです。
いまではコンクリート造りの建物だけですし、両側はマンション、高層ビルが迫り、とてもお寺という風情ではないのですが・・・ それだけ「生きている」ところでもあるように思います。
出開帳されているのが善光寺という、日本の仏教が宗派に分かれる以前に縁起が遡る、朝鮮からはじめて日本にわたってきた仏像を本尊とするお寺というのがまた因縁なのでしょう。
ご本尊は明治以後の政府の役人の人には見せなかったのでしょう、国宝も重文も、なんの指定もついていません。
出開帳仏さまを見れば、どういうお姿かはわかる(・・・?・・・)のかもと思いますが、これって微妙なところです。果たして佛に「かたち」はあるといえるのか?・・・
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かなだはなかなかだ~その24

1950年9月4日に、このノートルダムの前に集合した人々。
これは300年前、1650年にアカディーに上陸したDaniel LeBlancの子孫のひとり、Patrice LeBlancの呼びかけにこたえてモンクトンに集まった、ルブラン一族です。
このダニエル・ルブランというたった一人の人物から北米全体に散らばったルブランの子孫はその時点で10万人と推定されたそうです。
うむむむむ・・・
前列には聖職者が並んでますが、いまモンクトンにこんなにカトリックの聖職者がいるのかしら。
いまこういうことをやるとしたら、どこに集合するでしょうね・・・
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かなだはなかなかだ~その23 モンクトンのノートルダム

(このエントリーから続きます)
そんでもってこれがアカディーはMonctonのNotre-Dame寺院です。
そんな古いものではありませんが、このあたりのカトリック系住民のこころのよすが・・・として機能しているんでしょうかね? 門はしまっているし人影もありませんでしたが。
「カトリック系」と書いたのは、当然カナダのカトリックはフランス語系の人だけじゃないからですね。スコットランド系、アイルランド系の人たちが存在します。
わたしの勘ですが、カナダの「フランス語系」と「英語系」の対立は、フランス本国系人とイングランド=アメリカ合衆国系人の対立ということになりますが、両者の間の仲をスコットランド系人とアイルランド系人が取り持っている、という形なのではないでしょうかね・・・
まあそれはともかく。
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城端別院

このお祭りはウィキペディアによると城端神明宮のお祭りということですが、出発点は城端別院、善徳寺で、このあたりに食べ物の屋台もたくさん出てますからなんだかここのお祭りのような(それともここに神明宮もあるんだろうか? ちょっとよくわからないです)。
このお寺も立派ですね。このあたりの真宗の拠点のひとつだったのでしょう。
お祭りのときには若者たちが綿菓子やとうもろこしを食べる場所になってますが。
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城端曳山祭

きのう5月5日は富山県南砺市城端(じょうはな)の曳山祭の行列の日でした。
例によって予備知識ゼロで行ったのですが、これは立派なお祭り。感心しました。
こういうことを言うのはいやらしいですが、それはもちろん京都の祇園祭の方が何倍も規模が大きいです。でもそれだけに祇園さんは人が多くて多くて・・・ うちの家族の人間はほとんど見に行くことがありませんでした。「あんなん、ひと見に行くようなもんや」とかなんとか言って。

山鉾巡行なんか、場所をよほどキープしとかないととても見れません。そういう面倒は最初からあきらめるのがうちの家風だったようで。
ここのお祭りはちょうどいいくらいの規模ですね。江戸時代に始まったお祭りですが、お定まりの主催者側の人不足もなんとか工夫でやりくりして存続しておられるのですから、たいしたものです。
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