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「JAPANデビュー問題」NHK番組訴訟で原告逆転勝訴

2013-11-30 | 日本のこと

以前もまとめとしてエントリをアップした「NHK集団訴訟問題」に、
逆転原告勝訴の判決が出ました。

もしこの裁判について詳細をご存じないようでしたら、
そのエントリをご覧になれば、ここでまとめてあります。

「JAPANデビュー」問題に置けるNHKの問題点

産經新聞が、これを受けて台湾パイワン族の指導者たちの声明をこう報道しています。

「本当に安心しました。民族の誇りを大切にするわれわれの気持ちが認められた」。
踏みにじられた名誉を取り戻そうと訴えた原告の台湾先住民族パイワン族らの思いは、
敗訴した昨年12月の1審判決を経て、2審でようやく通じた。

台湾から東京高裁の判決を見守った原告の一人でパイワン族の指導者、
華阿財(か・あざい)さん(75)は逆転勝訴の知らせを受けて、
「取材を受けた本人が、全く不公平な番組だと主張していた。
早く関係者に知らせたい」と声を弾ませた。

問題となった番組では、日英博覧会にパイワン族が出演したことを「人間動物園」と表現。
訴訟では、この表現が博覧会出演者の一人だった男性とその娘の名誉を傷つけたかが争われた。
NHK側は「取材時には『人間動物園』という言葉を使わなかったが、
趣旨を説明し、恣意(しい)的な編集はしていない」としていた。

華さんは「『人間動物園』といわれ、パイワン族は本当に傷ついた」と振り返った。

 

この二審の東京地裁での判決文を、法律的な言い回しを安易に替え、
分かりやすくリライトしてみました。

まず、原告側の主張から。


NHKは「見せ物」と「人間動物園」は同じ範疇の概念であるかのように強弁するが、

「見せ物」は「珍しいもの・曲芸・手品などを人に見せる興行」
「多くの人に面白がってみられること。またそのもの。」
であって、価値中立的な言葉であり、演劇もスポーツも一種の見せ物である。

ところが「人間動物園」は、人間を動物として展示するということであり、
「見せ物」とは次元をことにする概念であり、人種差別的なものである。

NHKが日英博覧会におけるパイワン族の展示を「見せ物」だと言うのなら、
パイワン族集合写真の字幕を「見せ物」とすればよかったのである。
「見せ物」では平凡すぎて番組の衝撃度が少ないから、あえて
「人間動物園」としたところにNHKの主張の破綻がある。

NHKはこの二つの言葉を使い分けて、パイワン族の一員である
高許の父親を侮辱するとともに、その子である許進貴をも侮辱したのである。

控訴人は、100年前、父親がイギリスで屈辱的な経験をしたという認識を
取材前には持っておらず、取材時にそのような説明を受けてもいなかった。

それにも関わらず、NHKは、番組において高許の父親が
「人間動物園」として展示され動物扱いを受けたことを「悲しい」と述べた、
と理解するように狡猾な編集をして、高許に精神的打撃を与え、
控訴人高許のプライバシーの権利を侵害し、事故の情報をコントロールする権利を
根底から否定したのである。 


また、彼女に対するこのような侮辱は、パイワン族全体に対する侮辱である、
としています。


これに対し、第二審の出した判決はこのようなものです。

「NHKの行為は、高許の社会的評価を低下させ、その名誉を侵害するものである。

本件番組は、日本の台湾統治が台湾の人々に深い傷を残したと放送しているが、

本件番組こそ、その配慮のない取材や編集等によって、台湾の人たちや
特に高士村の人たち、そして、79歳と高齢で、無口だった父親を誇りに思っている
控訴人高許の心に、深い傷を残したというべきであり、
これに上記認定のとおり、本件番組の内容や影響の大きさ等の一切の事情を斟酌すると、
控訴人高許の被った精神的苦痛を慰謝するには100万円をもって相当というべきである」


この裁判で問題になっている「人間動物園」という言葉については、
第一審でわたしが当ブログにも書いたように、NHKが、

「2万6千冊の台湾総督府関係のの資料を丹念に読み解いた結果、
後年学者の間で(スタンダードとして)
使用されている言葉だとわかった」

というような主張をしていたわけですが、この判決文による「人間動物園」の出典とは、

東大社会情報研究所助教授の吉見俊哉が、パリ博覧会で行われた
模造の集落の中で原住民を生活させ展示させるという企画について、
「大衆動員に結びつく博覧会の目玉を求めていた万博主催者たちが
この『人間動物園』の人気に目を付けないはずはなかった」としている


つまり、「人間動物園」を造語したのは、他でもないこの吉見教授であり、

一人の学者の恣意的な便宜的定義

にすぎないというのが現実なのです。



判決文における放映までの経緯はこのようなものです。

NHKの制作担当者濱崎および島田は、事前調査で、日英博覧会に
当時の日本がパイワン族を連れて行き、その暮らしぶりを
「見せ物にした」と考えるに至り、そのことを取り上げることを前提に
パイワン族への取材を決めました。

彼らは取材した高許に対し、そのときのパイワン族の写真を見せながら
彼女の父親が日英博覧会の会場で「見せ物」にされていたと説明しました。

しかし、彼女は父親からイギリスに行ったことはあるとは聞いていたものの、
博覧会に出演したことは知りませんでした。

濱崎、島田は、この取材のときにはまだ「人間動物園」という言葉があるのを
知らなかったのですが、その後上記のような記述があるのを知り、
その番組でこの言葉を大きく取り上げることにし、このようにそれを使用しました。

そして、彼女が父親の博覧会出演を知らなかったことを、
あたかもそのことが父親にとって語りたくない辛いことでもあったように

「父親は生前、博覧会について子供たちに語ることはありませんでした」

意味有りげな説明を加えて(判決文より)報道したのです。



番組でこの言葉がどのような位置づけであったかは以下の通り。


【導入部分】

「世界の一等国に上り詰めた日本は、何故坂道を転げ落ちて行ったのか」
という問題提起の後
「台湾、日本の最初の植民地となった場所です」
「その原点はこの地にあります」
というナレーションで、元台湾人日本兵であった人たちの映像が流れ、
その後、画面に民族衣装で正装したパイワン族の写真が映し出され、
その写真の下部に「人間動物園」という文字が映し出される。

日本は台湾をアジア進出の拠点として激しい抵抗運動(日台戦争
を武力で制圧して進出したが、統治が混乱したため、
後藤新平を民政局長に起用してあめとムチの政策を推し進めたと続く。

【日英博覧会に関する説明】

台湾領有から15年後の明治43年、日英博覧会が行われた。
これは日本とイギリスの友好関係を祝う催しとして企画された。
日本は、

台湾統治の成果を世界に示す絶好の機会と捉えて

パイワン族の暮らしぶりを見せ物にしたと言う説明。
イギリスやフランスでは当時植民地の民族を盛んに見せ物にしており、
日本はその「人間動物園」を真似た、と説明する。

【パスカル・ブランシャールの映像と発言】

当時西欧列強は植民地の人間を「野蛮な劣った人間」と考えていた。
番組は、日本が自らを「民族の階層の頂点にある」と考え、
その下にアジアの他民族がいるという世界観を持つにいたった、とする。

ブランシャールの発言、として番組は、
西欧列強と日本は植民地を差別していた、と何度も強調する。


【控訴人許進貴と高許の紹介】

台湾南部高士村の映像に
「連れて行かれたのはこの村の出身者たち」
というナレーションが被せられる。
許氏が写され、
「展示された青年の息子、許進貴さん」

高氏は何かを見ながら笑みを浮かべて
「かなしい」と日本語で述べる。
さらにナレーションは
「父親は生前博覧会について子供たちに語ることはありませんでした」


【まとめの部分】

日本が世界の民族自決の動きに逆行して差別と同化政策を推し進め、
台湾議会開設の請願を認めず、この地を日本のアジア進出の拠点として
軍部が南方の海洋国家を目指した、とし、
再びパイワン族の写真にブランシャールの言葉としてナレーションが
「今も残る日本統治の深い傷」などと締めくくって番組は終わる。


うーん。


濱崎と島田とやらは「日本の植民地支配は悪」という大前提に立ち
これを番組で糾弾することだけしか見ておらず、実は戦後台湾の歴史、つまり

国民党が大陸から入って来て日本が出て行った後のこと、
白色テロの時代のこと、これらを全く知らなかったとしか見えませんね。

もし台湾の人間が未だに「歴史的傷を持っている」としたら、それは日本統治ではなく、
228で台湾人を殺害し、その後言論統制を敷いた、民主化に至るまでの
国民党の政治のほうだと思うのですが・・・・。

それはともかく、問題の日英博覧会の「展示」にしても、吉見教授とやらの造語がまずありきで、

「植民地経営がうまくいっていることを誇示するためにパイワン族を
西欧に対し一段劣った人間として『人間動物園』で晒しものにした」

というストーリーを勝手に組み立てた上で番組を作って、
家族への取材は最初から

「人間扱いされなかった父親の身を思って心を痛めた」

という創作の補強に使うことを前提にしていた、というのは明らかです。

裁判長は、この部分に対し判決文で

「実際に当時はまだ『人間動物園』という言葉はなかった。
『人間動物園』というレッテルを貼られることによって、その展示の対象とされた者は、
人間ではなく動物と同じように扱われていたのではないか、との意味を含むことになり、
結果的にその人格をも否定することにつながりかねないところに、
この『人間動物園』という言葉の過激性があることは明らかである」

と述べています。
さらに、こう言っていいのかどうかためらわれるところですが、
わたしが個人的に快哉を叫んだのがこの部分。

「島田らは、日本を代表する報道機関のディレクターとして、
全ての人に人間の尊厳を認め、公平かつ平等な報道を心がけるべきであり、
報道によって徒に人の心を傷つけることがないよう細心の注意を
払うべきであるにもかかわらず、

一部の学者が唱えているにすぎない

「人間動物園」いう言葉に飛びつき、

その評価も定まっていないのに、その人種差別的な意味合いに配慮することもなく、

これを本件番組の大前提として採用し、
上記のパスカル・ブランシャールを番組の随所に登場させて内容を組み立て、
1910年の日英博覧会に志と誇りをもって出向いたパイワン族の人たちを
侮辱しただけではなく、好意で取材に応じた控訴人高許を困惑させて、
本来の気持ちと違う言葉を引き出し、『人間動物園』と一体のものとして
それを放送して、父親がパイワン族を代表してイギリスに行ったことがある
との思いを踏みにじり、侮辱するとともに、彼女の社会的評価
(パイワン族を代表してイギリスに行った人の娘という)を傷つけたことは
明らかである」


「高許らパイワン族の間では、父や父祖の世代の人たちがイギリスに行ったことは、

良い想い出として語り継がれており、だからこそ、NHKは彼らを捜し出すことができ、
高許らも、そのような前提で
島田の取材に応じた」

「もし、島田が事前に、
『父親が人間動物園で展示され動物と同じように扱われたことについて
取材したい』
と申し入れたなら、誰一人としてこれに協力したり、
放送に同意したりはしなかったであろう」

「(コーディネーターの陳は)こんな批判的な内容になるなどとは全く考えず、
純粋に日本に対する好意に基づいて協力したものである。

それにもかかわらず、このような内容となり、陳は、高許に対してだけではなく、
高士村の人たちに対しても申し訳ないような、肩身の狭い思いをしている。
そのような好意を裏切った島田らの行為は、報道に携わる者としてのマナーに反する」


原告の訴因には、番組の

「日本は台湾に対する加害者であり、台湾には今も日本統治の深い傷が残っている」

とする番組の主旨に対する台湾の人たちの「不快な思い」というのもありました。


しかし、これに対しては判決文は

「理解できないわけではないが、憲法によって認められている表現の自由は
民主主義の健全な発展にとって欠くべからざるものであり、
さまざまな立場による報道も十分に尊重されるべきであるから」

とするにとどまっています。

ただ、その手段として、その言葉の持つ差別的意味合いや不快な響き、

あるいはこれによって傷つく人たちが入るかもしれないという配慮など、
十分な検討や検証を経ることもなく

刺激的な真新しさに飛びついて『人間動物園』という言葉を使用して
表現したことは、日本を代表する報道機関の看板番組の一つとしては
軽率であり、批判されても致し方ないものではある」

としながらも、番組の主旨が

「日本の統治を非難したもので、パイワン族を野蛮と報道したわけではない」

ということで、控訴請求の一部を退けています。


この判決に対しNHK広報局は
「主張が一部認められず残念。今後の対応は判決内容を十分検討して決める」
とのコメントを発表しました。
NHKは判決を不服として控訴するんでしょうか?

そんなことより、前エントリから言っているように、この件を
クローズアップ現代で取り上げて下さい。
タイトルは・・・そうだなあ。

「JAPANデビュー裁判—ディレクターたちは何故暴走したのか」

なんてのがいいんじゃないでしょうか。
ぜひご検討くださいませ。

☆ チン  〃   ∧_∧
 ヽ___\(\・∀・)
   \_/    ⊂ ⊂_)
  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
 |淡路たまねぎ|/