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平成25年防大開校記念祭~棒倒し・前編

2013-11-25 | 自衛隊

つい先日、海軍兵学校卒の親族をお持ちの方からコメントを頂きました。
その伯父さまに当たる方について、期数を検索していて当ブログにたどり着いたとのこと。
ご自分が生まれる前に戦死してしまった伯父さまについて何か分からないかと
インターネットで検索したところ、wikiとほとんど同時に当ブログが出て来たそうです。

そこで「伯父の所属していた期についての雰囲気を聞きたい」
というご要望を頂いたY氏への私信となるのですが、わたしなりにその方の痕跡を辿り、
近いうちにお返事としてエントリにしたいと思っております。
しばしお待ち下さい。


さて、このように、一つのテーマについて三年半も毎日何かしら発信していると、
その方面からの連絡、アドバイス、情報、感想を頂くこともしばしばです。

ことに自衛隊、防大のイベントには「東西奔走」と言われるほどまめに参加し、
しかも微に入り細に入り写真をあげてご報告して来たため、
最近一層関係者、ないし関係者の身内の方からの連絡が増えました。

個人が特定されるようなコメント主に関しては配慮して一切公開しておりませんが、
その頂いた情報はありがたくエントリ文中に反映しています。

今回の防大開校記念祭、略称防大祭の写真の中にも身内が写っていたということで
連絡を頂き、その際、「中の人」しかわからないような情報を頂きました。

いずれもわたしが写真とともに垂れ流した?「素朴な疑問」に対する回答と訂正なのですが、
まず本日のお題である開校記念祭関連についてここで少し披露させてください。

まず学校までの坂道を歩いてくる人たちを見て「遠そうな坂道をこんなにたくさんの人が」
と驚いた件ですが、防大最寄りの馬堀海岸駅から歩くと25~30分ほどで、
当日は駅前のバスタクシー乗り場に長蛇の列ができるため、
歩いた方がよっぽど確実に早く行けるという状態なのだそうです。

かなり先の駅(名前を忘れた)周辺に車を停め、
ほとんど待たずにタクシーに乗ったわたしに死角はなかった。

そして、観閲行進の観閲官は、わたしも言われてみればそう聞いた気がしたのですが、
何しろ全く知らない名前だったので当てずっぽうで「副大臣」と書いたところ、
あれは政務官の一人、若林さんという方だったそうで、失礼いたしました。

てっきり政務官は「ヒゲの隊長」だった佐藤正久議員だったと思っていたため、
「じゃ副大臣あたりだろう」と思い込んだための間違いです。
あらためて調べたところ、佐藤議員は9月30日をもって任期を終えていました。

うーん・・・・防大の観閲官、やりたかったんじゃないですかね・・・佐藤議員は。
ヒゲの隊長なら自衛隊関係者なら知らない人はいないし、おそらく、
おそらくですが学生たちも嬉しかったんじゃないかと勝手に思うのですが。

わたしも個人的に佐藤議員の観閲官、見たかったなあ。(実はファン///)


ところで観閲官なんて誰がやってもも一緒だろう、なんて思うのは第三者だけで、
観閲される側の気分と言うかムードは、ずいぶん変わるものらしいですね。

民主党政権時に、初代総理鳩山は「観閲を拒否」し、
そのときに代理で観閲した菅直人が首相就任後にも、2年続けて観閲官となり、
かろうじて最後の観閲官は父親が自衛官だっただけが取り柄の野田佳彦であった、
というまるで悪夢のような観閲式が三回続いたわけですが、
菅のときには「拍手がなかった」というくらい、自衛隊の士気は目に見えて下がり、
そして今回関係者から漏れ聞く話によると、防大においても、同じ観閲を受けるのも

「自民党に変わったのでよかった」

なんて感想を持っている生徒さんもいるということらしいですから、
民主政権がいかに日本にとって無益を通り越して有害であったかが、知れるというものです。

やはり全軍の士気を高めるような最高指揮官(つまり総理)でないと、ダメですよ。


さて閑話休題、本日のお題は「棒倒し」です。

冒頭、伯父様が兵学校卒であったという方は「その学生生活の雰囲気を知りたい」
ということで当ブログに連絡を下さったわけですが、
この棒倒しをご報告することは、同時にそのご要望にもお答えすることにもなる、
とわたくし思っております。

防衛大学校とは、つまり海軍兵学校の末裔である。

音楽まつりの儀仗隊について少しご報告したときに、
遠泳、対番制度、分隊制度、そのときには書き漏らしましたがカッター競技、
そしてこの棒倒しが当時のまま引き継がれているということを以て、
このことを断言させていただきました。

この棒倒しも、当時からルールはほとんど変わっていないということなので、
この防大祭の棒倒しの画像から、かつての兵学校の学生生活を想像していただけると幸いです。



まずはセレモニーから。
前年度優勝の優勝大隊と書かれた板を返還します。

去年わたしは途中まで見学したのですが、さすがに身内がいるわけでもない身、
雨が強くなっても地面に座り続けるだけの根性もなく、途中で帰ったため、
結局どの大隊が優勝したのか、見届けることはできませんでしたが、
どうも優勝したのは赤の第一大隊だったようです。





最初の試合はそのディフェンディングチャンピオンの第一大隊と、第四大隊の対戦。 



守備隊は全員カーキのパンツ着用ですが、チームカラーのたすきを駈けています。
入場後気合いを入れているの図。



このように脇には応援団が立ち、旗を振り声を枯らして声援を送ります。



しかし、対戦前に「お爪のチェック」があります。
皆神妙に審判に手の甲を見せ、危険がないかを点検されるのです。



足の爪もチェックされますが、彼らのほとんどが足にテーピングしていますね。
後半の写真を見ていただくと分かりますが、伸ばした爪が例えば目に当たったり、
なんてことも普通にあるくらいの乱闘になりますからね。



攻撃隊が気合いを入れる間、防御隊はフォーメイションを作ります。



このように守備隊の棒の上に一人が乗ります。
これは思うに防大になってからできたルールのようです。

「イギリス人の見た兵学校」

という戦前に書かれた本の、棒倒しのルールについて述べた部分を紹介したことがありますが、
それによると上に一人乗るということは全く書かれていなかったからです。



ふと客席を見ると、防大生とその家族発見。
右側に4人固まっているのがそうで、左端が防大生。

こうやって家族と同級生の棒倒しを見る学生もいるらしい。
話は全く聞こえませんでしたが、色々と解説しているのかもしれません。



始まる前の暇な時間、空を飛ぶ鳥さんなどを眺めていたのですが、
あるときカラスの飛ぶのを目で追っていると、グラウンドを照らすライトの横の巣に帰って行きました。
わたしがこれを撮影していると、なぜか周りの何人かがつられて上を見上げ、

「あ、あんなところに巣がある」

と話題にしていました。
ライトの点検も定期的に行われるのだと思いますが、この巣は
置いてあげているんですね。 (*´д`*)
(単に知らなかっただけで、これがきっかけでトリ払われたりしませんように) 



オレンジの第四大隊も、気合いを入れています。 
この防護マスクは、勿論兵学校時代にはありませんでした。
ですから、脳震盪とか鼻血くらいは日常茶飯事だったようです。

ある兵学校生徒が実家に当てて書いた手紙には

「危険なことは何もなく、せいぜい脳震盪か鼻血くらいです」

とあったのですが、そのどちらも戦後、防大的には十分
「危険」ということになっているみたいですね。

 というわけで、この試合は内容を割愛しますが、(おい)
赤の第一大隊が勝ちました。



意気も盛んに雄叫びをあげつつ退場。
この先頭を走るのは棒倒しの「責任者」という役職。
142小隊航空要員、硬式野球部所属、地球海洋学科、
(こんなことまでプログラムには書いてあります)
湯澤進也学生です。



次の対戦のために皆迅速にグラウンドを駈け去ります。

 

シャツを掴んで引き回したりは当たり前なので、
このようにオフショルダーになってしまったり、



完璧に破れてしまったりすることは珍しくありません。
この辺り、江田島の教育参考館で見た「棒倒し用シャツ」は、
ごわごわした固い木綿のもので(柔道着のような感じ)
あれなら絶対破れることはないと思われましたが、
まあ、あれはお洗濯のことを考えると乾きにくいし、汚れも落ちないし、
メンテナンスが大変なんでしょうね。
伸縮性も悪そうだし。

因みに、昔は襟にVの紺色の線がある方が表、
ないのが裏で、リバーシブルで敵味方を識別していたようです。

それにしても、この競技、一回負けたらもうそこで終わりですから、
第4大隊はここで終了。
特に後ろから二人目が「負けた・・・」という哀愁を漂わせています。



続いて第2試合。

青の第二大隊と緑の第三大隊の対戦です。
それぞれの大隊には色とともにシンボルがあり、
この第二大隊は「ペガサス」、第三は「獅子」。
第一は「龍」で第四は「鷲」らしいです。



審判は全部で10人。

兵学校では週一回(土曜日だったかと)行われていた棒倒しですが、
防大では年一回だけ。
その一年に一度の勝負が、これです。

各大隊は「棒倒し優勝」の栄光を手に入れるため、一年間かけて計画、
そして訓練に励むのだそうです。
どんな訓練をするのだろう?
とわたしも思っていましたが、構内を歩いたときに、こんな光景を目撃。



たまたま訪れた第二大隊の中庭のようなところで、
折しも棒倒しの攻撃隊が最後の調整をしていました。



人垣を走ってきて乗り越え、棒に取り付く係を「突攻」と言うそうですが、
スクラムと呼ばれる係が敵のサークルに突っ込み、踏み台になると、
その踏み台をこのように駆け上る攻撃なので、このような練習をしているのです。



続いてお爪の検査~。
皆が足に手を伸ばしていますが、これは何のためかわかりませんでした。


足のバンデージはほとんどが爪を覆うようにカバーしていますが、
全員がそうしているわけでもありません。



つい手前に立っている学生さんをアップにしてしまいました。
観閲行進に参加するのは全員ではなく、各中隊から二分の一弱くらいだそうです。
儀仗隊を含む、色々なイベントや係、後は校友会と言われるクラブ活動で、
対外試合に出たりする学生は参加しないということのようですね。

この棒倒しも勿論「有志」。
演劇祭や茶道部、詩吟同好会(!)の発表をする生徒さんもいるわけですから、
勿論ここで棒倒しをしているのはごく一部の学生ということになります。
しかし、こうして見ると凄い大人数に見えます。



先端に登るのは「上のり」と呼ばれる係。
身が軽くてバランス感覚のいい人でないと務まりませんね。
背が高いのもダメそう。



この青の第二大隊は、どうも「突攻」のジャンプ力というか
「取り付き力」に作戦の重点を置いているように見受けられました。
待機の時間にも、あっちこっちでピョンピョン跳ねて準備運動をしています。

 

ほらね。
しかしいいバネしてるね君。



特に後ろに位置する人たちがピョンピョンしていますが、
これは、前列に「スクラム」がいて、突攻は後から走って行くからです。



試合開始。



こちら側には緑の第三大隊が攻撃に来ました。
彼らには分かるのでしょうが、こちらから見ていると色が同じなので見分けがつきません。
上に乗っている守りの4人を、去年のエントリで勝手に「四天王」と呼んだところ、
防大の学生さんらしいコメントで実際にもそう呼ばれている、
というようなことを教えていただきました。

四天王の一人が攻撃隊にケリを入れています。



あるはずのないところに足が・・・。
後ろに見えている観客は全員笑い顔です。

彼らの激突が真剣で勇壮であればあるほど、誰しもその激しいぶつかり合いを

「おお、すごいなあ、がんばってるなあ」

という微笑ましい気持ちで讃えずにはいられないのですね。






方や第三大隊の陣地。
脚を抱えて攻撃を妨害する者、シャツを引っ張る者・・・。



後ろで行われている騒ぎには全く無関心の風。
もう心はここにあらずな顔の警備係。

「あー眠てえ」



二人掛かりで一人をやっつけている間にも、
突攻係はサークルに飛び込む勢いを付けるために外側に走って行きます。



同じところから突入している様子。
しかしこの「とっこう」という名前の響きの

凄まじさ。



地面ではくんずほぐれつ。



あああ、四天王の一人が引き摺り下ろされている。



次々と同じコースから突入するという作戦のようです。



こちらではまったくサークルとは違うところで大乱闘に。
プロテクトマスクが取れてしまった人あり。

場外で熱~くタイマンで取っ組み合う二人あり。
観客の目はみんな二人に注がれている・・・・気がする。



しかし、こんな場外で乱闘している場合なのか。

乱闘をよそに、やはりこちらの突攻も走って攻撃です。
ちなみに、ここで乱闘している、敵を妨害する係のことを
「キラー」というそうです。

武闘派がアサインされるんですねわかります。



こちらにもマスクを取られた人が。

兵学校ではマスクがなかったため、「この間だけは下克上」で、
下級生は上級生を殴ってもいい、というルールをいいことに、
日頃の恨みを存分に晴らしたりしたものですが、現代はこのマスクのため、
ほとんど誰と戦っているか分からないままに終わるのではないでしょうか。

いや、そもそもその恨みの原因である「鉄拳制裁」がないのだから、
下級生の「仕返し」なんてありませんよね。

・・・・・・ありませんよね?




さて、第二大隊と第三大隊の熱い戦いは続いていますが、
エントリアップの時間が近づいたので、続きはまた明日。

今年、優勝の栄光を勝ち取るのはどの隊なのか!
待て次号!