フィリピンを襲った台風30号は前代未聞の災害を齎し、
死者行方不明者、負傷者を含め、少なくとも950万人が被災するという
国家非常事態となっています。
続々と入ってくるニュースによると、レイテ島、サマール島は壊滅的な被害で、
低地はことごとく高潮に飲み込まれ、高台も土砂崩れで崩壊。
この世の地獄と化した現地は、すでに食べ物の争奪を巡って人々が暴徒化し、
略奪を警察も見ない振りをするといった悲惨なものとなっているそうです。
日本はさっそく緊急援助金をはじめ医療チーム、調査チームを派遣し、
小野寺防衛大臣は海自の最大艦であるヘリ搭載護衛艦「いせ」、
輸送艦「おおすみ」、 補給艦「とわだ」を派遣することを決定しました。
この「いせ」は、昨年度行われた観艦式で、ヘリ離艦の訓練展示を行いました。
そのときの写真です。
わたしがこのときに乗艦していたのは「ひゅうが」。
「いせ」は「ひゅうが型」の二番艦です。
「いせ」は東北大震災のときは就役直前(就役は5日後の16日)で派遣できなかったため、
これが彼女にとって、初めての実戦任務ということになるのでしょうか。
日本には警視庁機動隊など、現地体制の援助無しで独自に活動できる部隊も他にありますが、
自衛隊はこの点において規模も装備も桁違いに大きく、
これらの救出活動を的確に行うスキルの練度を持つ組織は他にありません。
憲法違反だから失くせなどと言っている左巻き共の口を塞ぐ意味でも、
統制の取れた軍行動を見せることが敵対国に対する抑止力となる、という意味でも、
こうした派遣を通じてその存在感を大いに高めてくれることを期待したいとします。
ところで、旧軍艦の熱心なファンの間では、
「伊勢」が「レイテ沖」に「出航」
という言葉からあのレイテ沖作戦を彷彿としたり、あるいは
「伊勢」が「物資輸送」
という(実際は『おおすみ』の役目でしょうが)言葉から、
「北号作戦」という言葉を思い出して感慨に耽る向きも多いのではないでしょうか。
戦艦「伊勢」。
伊勢型の一番艦で、今と同じく「日向」の姉妹艦です。
今はどちらもがヘリ搭載型で、「ひゅうが」が一番艦、という違いはありますが。
何よりも留意いただきたいのがこの名前です。
今年式年遷宮を迎え日本中からの参拝客を集める伊勢神宮。
その、日本の神のおわすところである地から取った名前である「伊勢」、
そして天孫降臨の地から取った「日向」。
(ところで『いせ』『ひゅうが』に、先日進水し、2015年に就役が予定されている
やはりヘリ搭載型、出雲の国の『いずも』が加われば、
『神の国』の名を持つ三姉妹が完成するというわけですね。
うーん、なんだかゾクゾクしますね。)
さて。
「日向」と「伊勢」、この二姉妹は、共に大東亜戦争を最後まで戦い抜き、
終戦直前の7月24日には日向が、その4日後の28日には次いで伊勢が、
呉軍港の空襲によって共に大破着底しました。
まさに神の国の名のその言霊が乗り移りうつりでもしたかのような壮絶な生涯ですが、
元々彼女らはその燃費の悪さゆえ「投入の場所無し」として無聊を託っていた老姉妹でした。
にもかかわらず最後まで働き続けたきっかけは、姉妹同時に施されたある改装だったのです。
この改装にはこんな(トホホな)事情がありました。
当時、世界の列強、とりわけアメリカが、潜在的な力を秘めた日本の「武力」を殺ぐために、
軍縮会議で日本に対し大幅な新造艦の中止を決め、日本は従うことになりました。
結果、軍事予算、特に造船のための予算が大幅に削られてしまいます。
彼女らはこの、予算不足の中生まれた多くの「欠陥艦」のうちの二艦だったのです。
さらに逼迫する予算の中、新造艦が作れなくなった海軍は、既存の艦を改装して使うことを決め、
この不良品であった二姉妹を、修理ついでに改装してしまおうということになりました。
「いせ」と「ひゅうが」は「ヘリ搭載型護衛艦」であって「空母」ではありませんが、
(空母だ!と騒いでいる国があるそうですが)
奇しくも同じように、「伊勢」「日向」は共に空母ではありませんでした。
空母を必要とした海軍は、「大和型」三番艦の「信濃」、
そして「伊勢」「日向」を空母に作り替えることにしました。
しかしもともとこの二姉妹は艦橋が真ん中にあって、空母にするために必要な広さがありません。
そこで、後甲板だけを滑走路に使うことにして、名称を「航空戦艦」としたというわけです。
そして生まれ変わった「伊勢」「日向」はレイテ沖海戦に投入されました。
当時、搭載するべき航空機が全て失われていたため、
二姉妹はせっかく改装されたのに航空機をまったく載せずにレイテに出撃しています。
しかしこの海戦において、彼女らは意外なほど?気を吐きました。
瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田という空母が一度に失われるというこの海戦で、
「大物」が全て沈んだ後、敵機は彼女らに集中攻撃を加えてきたのにもかかわらず、
巧みな航空攻撃回避術で相手を避けながら、逆に襲いくる敵航空機に攻撃を加え、
ほとんど被害を受けないまま、航空機多数撃墜の戦果をあげて日本に帰国しているのです。
わたしは、この戦歴について知ったとき、海上自衛隊が新たに建造するヘリ搭載艦に
なぜ「ひゅうが」「いせ」の名を与えることにしたか、そのわけに気づきました。
そしてフィリピンに派遣された「いせ」の任務と、
彼女の先輩である「伊勢」の、レイテで見せた活躍のある一致にも。
「伊勢」は、敵航空機の集中攻撃を「弾幕射撃」と操艦で悉くかわしただけでなく、
戦闘の最中にエンジンを止め、海面に漂流する「瑞鶴」の乗員を救助しているのです。
このたびレイテに海自の護衛艦が派遣されることになったとき、
「かつての戦いの海で、死闘を演じたアメリカ海軍と、日本海軍の末裔が、
協力し合って人命を救助する作戦に携わる」
ということに、ひとかたならぬ感激を持った方は多かったのではないでしょうか。
わたしはさらに、かつて、その海で行き脚を止めて戦火の中乗員を救助した「伊勢」の末裔が
69年の時空を超えて、同じ場所で人命を救う任務に就くことに、感動を覚えずにいられません。
「ジパング」の「みらい」の乗組員のように、70年前にタイムスリップした自衛官が、
かつての帝国海軍軍人にこのことを教えることが出来たら、彼らはどのように思うでしょうか。
こうしてレイテ沖を生き延びた姉妹は、1945年、昭和20年の2月に行われた
「北号作戦」
という輸送作戦に参加しました。
呉に帰って来てからカタパルトを取り外され、航空戦艦としての役目を
(そもそも載せる飛行機も無いので)終え、連合軍制海下の南シナ海を強行突破し、
国内で不足する石油とゴムを輸送してくるという任務です。
帰路、幾度となく潜水艦に攻撃されていますが、徴用された民間船と違い、
彼女らは腐っても元戦艦、ことごとく避退しながら、そしてときには
命中寸前の魚雷を高角砲で迎撃しながら、驚くことにこの作戦中
全く無傷で日本に物資を輸送することに成功しているのです。
元々全滅も覚悟の上の「決死作戦」であったため、無事帰還を知ったとき、
軍令部は驚きのあまり歓声を上げて沸き立った、と言われています。
改装後「航空戦艦」となった両艦ですが、カタパルトから発進はできても着艦はできないので、
(『離艦は出来ても着艦は出来ません!』ですね、またもや)
「伊勢」「日向」から飛び立った飛行機は、全て空母に着艦することになりました。
もし、全機無事で帰還したら空母だってそのためのスペースは全くなくなるわけですが、
「どうせ何機かは墜とされるわけだから」
軍令部はこのように割り切っていたそうです。
飛行機乗りが聞いたら全く絶望しそうな話ですが「戦死を想定する」のが
冷徹でも何でも無い、このころの現実だったのですから仕方ありません。
しかしながら、その「損失予定」を大きく裏切ったのがこの作戦で、
それゆえ「キスカ撤退作戦」と同じく「奇跡の作戦」と呼ばれています。
奇跡を起こすための役者は揃っていました。
旗艦は「日向」。
彼女の妹「伊勢」もちゃんと加わっています。
指揮官は、レイテで彼女らを生存せしめた操艦法と攻撃法の発案者である
松田千秋少将。
戦後、松田少将が第七艦隊の米海軍参謀にこの作戦に対する米側の評価を聞いたところ、
「いや、あれはすっかりやられた」
というものであったそうですが、この作戦に運をもたらしたのは、
誰あろうラッキーガールズの「伊勢」「日向」姉妹だったのではないかと言う気がします。
しかしながら、そんな彼女らにも最後の日が訪れます。
日本の敗戦があと20日に迫った、昭和20年7月下旬のこと。
せっかく石油を命からがら日本に運んで来た殊勲艦だというのに、
彼女らは石油不足のため、呉鎮守府予備艦(浮き砲台)となっているところを空襲に遭い、
日向は24日に、伊勢は28日に、米航空機の直撃弾を受けて大破着底しました。
攻撃を受ける「伊勢」wiki
「伊勢」の最後は凄まじいまでに「戦艦」の矜持に満ちたものでした。
すでに着底し、多くの乗員が(死者573名)海に飲まれつつあるそのとき、
彼女の主砲は突如火を噴いたのです。
群がる米軍の航空機に向かってまるで咆哮するように、「伊勢」は、最後に—
—それは、帝国海軍、そして日本という国にとってもまさに最後のものとなったのですが、
轟音を響かせ・・・・・そして、永遠に沈黙しました。
神のおわす国の名を持つこの戦艦が、死の直前に撃ったのは、
負け逝く祖国への弔砲であったかもしれません。
そして68年が経ちました。
フィリピンには、かつてと同じあの旭日旗が、そこで果敢に戦った「伊勢」と
同じ名前を持つフネの掲げる護衛艦旗が、再び翻ることになったのです。
今度は、一人でも多くの人命を救うための尊い任務を帯びて。
「いせ」始め、各艦乗員の自衛官の皆さん、そして派遣された方々、
たとえ困難な任務であっても、海上自衛隊ならそれができるとわたしたちは信じています。
武運長久祈念と日本国自衛隊への敬意を。
そして、「神の国」のご加護が貴艦らにあらんことを。