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米軍岩国基地潜入記~岩国海軍カレーと米軍基地の鳥居

2013-11-02 | アメリカ

例年秋頃というのはイベントが目白押しのうえ、わたし自身、
息子が秋期休みになってお出かけが多くなるので、全てを報告していては
とてもではないけど、針小棒大に物事を語る傾向のあるこのブログでは
今年中にイベント関係の事を報告し終えることもできません。

しかるにやったこと見たこと、全てエントリにアップしているわけではありませんが、
この岩国基地訪問についてはぜひ詳しくお話ししたい。

というわけで、本日は例によってこの日の「導入部」をお送りします。


夏頃、岩国の米軍基地にF-18パイロットを訪ねて行く「かもしれない」
とコメント欄にて予告をしたわけですが、その後、スケジュールを調整し、
彼のスコードロンが移動と移動の合間にたまたま息子の休みが一致したので、
伊勢参りをして一泊し、帰ってきたその次の日に日帰りで行って参りました。

その週の前後には観閲式もあったわけで、まさしく怒濤の一週間。

これらの間隙を縫ってダンブライト氏が驚いて下さるくらいの長文で
内容の濃さはともかく、とにかく毎日エントリをアップし続けているのですから、
我ながら呆れます。

さて、今回の岩国行きは、全て我が家の米国留学に端を発します。
TOの留学した大学は世界中にそのネットワークを持っており、
日本でもしょっちゅう「OB会」が、日本人の卒業生有志によって開かれます。
TOがたまたまその幹事となったときに、そのOB会に出席していたのが、
夫が米軍岩国基地に勤務している大学院卒業生の女性、アンジーさん(仮名)でした。

そのOB会で彼女が「興味があるなら夫と会わせてあげるから、基地に遊びに来てね」
と言ってくれたのです。
日本人と違い社交辞令でこういうことを決して言わないのがアメリカ人なので、
わたしたちはご好意を素直に受け取り、今回の訪問をしたというわけです。

もしかしたら大抵の日本人は「遊びにいきます」と言っても忙しさに紛らせ、
心ならずも結果的に社交辞令になってしまうのかもしれませんが、
ところがどっこい、そんなお誘いは猫にカツオブシ、エリス中尉に戦闘機。

あれよあれよと話は決まり、当日になりました。



ところが。
当日は雨。
前日伊勢参りをしたときにはなんとか崩れなかったのですが、
この日は朝から結構な雨量で雨が降って来てしまいました。

「うーん・・・・大変だね」
「え?何が大変?土砂降りの中地面に座っているわけじゃないし、
傘もさせるし、移動はアンジーの運転する車でしょ?
先週の観閲式の事を考えたら、大変なんて言ったら罰が当たるって」

人間、一度底を見ると、大抵の事には我慢できるものです。
ときどき、あえて自分を過酷な状況に追い込み、日頃の生活で享受する
便利とか安全とか快適とかの価値を再確認する事は、
ともすれば感謝の気持ちを失くしてしまいがちな傲慢な人間には必要かもしれません。



岩国空港は非常に新しい空港でした。
ほとんど岩国基地の敷地内にあるような空港で、もしかしたら
米軍の関係者の強い要望でもあったのかと思われました。

ちなみに愛称は岩国錦帯橋空港。ゆるキャラはソラッピー。
使用航空会社はANAだけです。

外に出ると、アンジーさんが迎えに来てくれていました。
彼女は大学では建築を勉強し、こちらでデザインの仕事をしています。
夫のブラッド(仮名)の転勤に伴って、日本に来て三年目。
来年の春にはまたどこかに転勤になりそうだとのこと。

二人は結婚してまだ三年。
子供はまだ無く、アメリカ生まれの4歳の犬を連れて来ています。



基地の入り口に到着。

彼女がわたしたちを招待することになったとき聞いて来たのが

「あなたたち、日本人よね?」

岩国基地や厚木基地で行われるフレンドシップデーにパスポートを忘れて、
入り口で追い返される、という悲劇が表すように、
基地に入ることが出来るのは、米軍軍人と日本人だけなのです。
在日外国人はセキュリティの関係で入ることが出来ません。

これすなわち、通名使用の在日外国人もシャットアウト、という意味です。
こういうことに「差別だ」と文句を言う人たちも、アメリカ軍には
怖いのか言っても無駄だと思っているのか、何も言いませんね。

というか、これが普通の国の対応ですよね。
「差別」という言葉におろおろして、その場を丸く納めたい、あるいは
自分の任務を波風立てずやり過ごしたい、などという理由で妥協し、
結局母屋を乗っ取られることになった団体だらけの日本は、
本当に「甘ちゃん」で世間知らずだなあと思います。

「ダメなもんはダメ」

これでいいのにね。


さて、潜入にはまずゲートにある受付の小さな部屋でパスポートを出し、名前を記入。
入場に際してはバッジを渡されます。
基地内では関係者と必ず一緒に行動しなければなりません。

ひそかに機密部分に入り込めば、見つかり次第射殺されても文句は言えません。(たぶん)



えーと、これは・・・・
スカイホークA−4かなあ。

近づいてみれば説明板があるのですが、勿論雨なので降りてみることもしませんでした。

 

基地の中は完璧にアメリカ。
建物の中に入ったら息子が「アメリカの匂いがする」とつぶやきました。
食べ物の匂い、洗濯に使う洗剤の匂い、何かは分かりませんが、
わたしも「アメリカの匂い」だと思いました。
サンフランシスコの中華街が、中国人が住み着くことで「中国」になって、
悪臭漂う(これ本当)小汚い町になるように、
どんな人が生活しているかによって空気は作られるのだと思いました。

 写真の看板は、岩国基地の求人募集のようです。
中には日本人らしき従業員もたくさん見られました。
二つほど大学もあり、「国内留学」ができるようです。
一時流行ったインチキ国内留学の聞いたことも無い学校とは違う模様。



基地内は移動のためにバスが巡回しています。
この日は土曜日で、みなお休みモード。
スナックなどをを買い込んで、これからテレビでスポーツ観戦でしょうか。



雨でも自転車移動の人もいます。
ちなみに、世界基準に則して、海兵隊の軍人さんも傘は使いません。
アンジーにそれを言うと、

「そうなのよ!どんなときも傘ささないのよ。へんよね」

と笑っていました。
彼女はブラッドと結婚するまで軍関係の人間は周りにいなかったので、
軍人だけの慣習やしきたりなど、驚くことばかりだったそうです。

自衛隊でも航空隊はやっているようですが、米軍の飛行隊は、
「TACネーム」を持っていて、互いをそれで呼び合うそうです。
特に同期はそのあだ名を互いに付け合うのが慣習で、たとえ自分で
「俺はマーヴェリックな」
とか言っても、その男が「マーヴェリック面」をしていなければ却下。
大抵は周りが勝手に名前を付けてしまうそうです。

ブラッドのTACネームは「ハップ」(英語で書くと検索にかかるからカタカナ)
で、スーツの胸にはなんとブラッドではなく「ハップ」と書かれていました。
ハップが一体どのようなイメージで付けられたのか、残念ながら
日本人であるわたしには皆目分かりませんでしたが・・・。



基地の中には住居部分があって、士官とそれ以外は場所も別。
独身寮と家族用も別です。
これはたしか独身用だったかと。

ブラッドとアンジーは「基地の中とは違う空気も必要だと思ったから」
外に日本家屋の一軒家を借りています。



基地に入るなり、このような鳥居の形の建物案内が、しかもあちらこちらに
目につきました。
ここは昔岩国海軍基地で、末期には海軍兵学校の岩国分校もあったところです。
1945年に戦争が終わるとすぐに海兵隊に接収されてそのままなのですが、
当時からこのような「日本」のイメージの鳥居を看板にして来たようです。

「神様」に非常にこだわるうちのTOが、

「日本ではこの鳥居というのは神様に会いに行くため、
神様のいる場所と人間界を隔てるこの鳥居をくぐるので、
このように鳥居に看板を吊るして標識にするなどとは考えられない」

と彼女に説明したところ、アンジーは

「そうなの。
アメリカ人はきっと何もわかってないで失礼なことやってるわね。
ごめんなさいね」

とマジで謝ったので可笑しくなりました。
アンジーはインテリで決して大抵のアメリカ人のように無神経ではないので、
そういう「アメリカ人の無知」について日本人がどう思うか、十分理解しているのでしょう。





彼らにすれば「日本文化に敬意を表して」みたいな、
つまりよかれと思ってやっている確信犯なので仕方ありません。



基地の中は本当に広く、滑走路を騒音で迷惑にならないように
海を埋め立てて沖に作ったという経緯もあり、
このような「人口の湖」のようなものもありました。



そして、彼女が

「ここから向こうはJSDFよ」(すごく言いにくそうだった)
と言った柵の向こうに・・・・・・

このシルエットは!



(正確には違うけど)P−3Cが。

機体にはしごがかかっていて整備員らしい人影が見えますが、
この日の午後にP-3Cが飛んでいるのを目撃しましたから、
このときは始業点検をしていたものと思われます。



アンジーが最初に連れて行ってくれたのは、
海上自衛隊基地。
売店で自衛隊グッズを買うために寄ってくれたのです。

アンジーさん、あなた分かってますねえ。


第81航空隊はこの売店の向かいにありました。
エントランスには(正確には違うけど)P-3Cの写真が飾ってあります。

第81航空隊は第31航空群の隷下にあり、
P-3CをベースにしたEP-3で電子戦および情報収集
OP-3Cによる画像任務とする部隊です。



この「電子整備場」も、第81飛行隊が「電子戦部隊」であることを知れば
納得です。
 



そんな海自の皆さんがお昼を食べる食堂の一つ、「アクアマリン」。
今日の定食は唐揚げ定食とおさかな定食。
中をちらっとみたら、なぜか全員米軍軍人でした(笑)

毎日のことなので、アメリカン・ダイナーばかりでは飽きるのでしょうか。
こういう「日本風定食」はどうやら海兵隊の皆さんにもおなじみのようです。



岩国基地飛行艇カレー。
これ、買ってしまいましたよ。



二式大艇バージョンは辛口。

 

US-2も海軍ですかそうですか。

つまり伝統の「海軍カレー」という名前を死守しているのね。



プレミアムキーマカレーは、

世界唯一の救難飛行艇を所有する岩国で発案されたご当地カレー」

しかも、ひき肉が通常の1・5倍入っているプレミアム。
この「岩国基地発案」とは、なんと、カレーに


「レンコンが入っている」

のです。
なんでもレンコンはこの辺の名産だそうで・・・初めて聞きましたが、
もっと大事なことは、この岩国レンコン入りカレーを発案したのは、
畏れ多くも畏くも、大谷祥治前群司令なのだそうです。

でっていう話ですが、とにかくこのレシピは、レンコンを1センチ角に刻み、
さらにそれをバターで炒めて風味を出しているのだとか。
帰ってから一つ「辛口」というのをいただいてみました。

レトルトカレーには珍しく、これは合成・化学調味料を使っていません。
その意気や良し。

はっきり言って、レンコンの口触りがカレーとミスマッチというか、そもそも
「なぜレンコンをカレーに」と言う根本的な疑問を感じないわけではありませんでしたが、
柔らかいだけのカレーに歯ごたえとかを求める向きには、非常によろしいかと存じます。
 
最初にここに来たため、あまりゆっくりと自衛隊土産を買う時間がなく、
このカレーと、レンコン素麺、そしてお約束のTシャツを購入。



これ、US-2のファンにはたまらんデザインでしょ?
アンジーが「ナミノリタツジン?」(彼女は日本語が読み書きできる)
と聞くので、

「グレート・サーファーまたはサーフィン・マスターのこと」

と説明しておきました。 



売店を出ると、やはりここでも傘をさせない人たちが・・・・。
セーラー服に士官、やっぱり海自の制服ってかっこいい。









不思議な半月状のドームがありました。

「これはゼロファイターの格納庫なのよ」

・・・・・何っ。

昔海軍基地だった頃の掩体をそのまま保存し、中には21型零戦があるのだそうです。
見たいけど・・・残念、鍵が閉められブラインドまで閉められて・・。

あとでブラッドに中を見られるかどうか聞いてあげるわ」

ああん、なんていい人なの、アンジーさん。
格納ドームの壁には凄まじい数の銃弾の痕があるのがおわかりでしょうか。




もう一度入り口のスカイホーク(推定)前を通り過ぎて・・。



アンジーはわたしたちのために、一日スケジュールを組んでくれていました。
午前中は海自の売店で買い物、基地内を一周して、そのあと
米軍のレストランで昼食。
朝からミッションについていたブラッドは、仕事を終えてそこで合流し、
食後はブラッドにホーネットを見せてもらう、という段取りです。

少し分かりにくいですが、この建物はマーケットで「サクラ」といいます。

食事のため、米軍基地のビルディングに入って行きました。
すると、

 

ビルのエントランスの飾り付け。
なんだなんだ、この微妙なジャパネスクは。
松とか鶴の絵は日本風ではあるけれど、屏風って言うのが、やっぱり中国風。
しかも、



なぜ仏像がチュールのレースを巻いている(笑)
しかも、なぜそれがトランクの上に乗っている。

極めつけがこれ。



赤い大きな扇子って、これは間違いなく中国風だし、
そもそもこの家具一式、みな中国風だし、
黒の縁取りのカラフルな屏風も中国風だし、

わたしとTOでアンジーに向かって

「日本人はこういう飾りに赤とか金色は使わない。
大きな扇子はさらに使わないし、赤い花を花瓶に入れたりしない」

と正しい日本風というものをレクチャーしてあげました。
なんというか、アメリカ人って、日本と中国の違いがやっぱり全然わかっていないのね。
アメリカのテレビや、以前さんざん突っ込んだ映画「パールハーバー」などは、
所詮アメリカ在住のアメリカ人が頭で考えた「日本風」なので、無茶苦茶でも
割と当然かなという気もするのですが(許しませんけどね)、ここは日本。
日本に住んでいてどうしてこうなるかな。

チュールをまとった仏像といい、看板を掛けるために立てた鳥居といい、
無論悪意があってやっているのではないですが、文化の壁を感じます。



さて、このあとレストランで、いよいよF-18ドライバーであるところのブラッドと
ご対面することになったのですが、続きはまた後日。