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ベース歴史ツァー参加記~ドブ板通りの海軍カレー&ネイビーバーガー

2013-11-13 | お出かけ

この日横須賀で見学した海軍の「国威発揚の碑」への
損壊行為を見て「左翼テロリズム」への怒り心頭に発し、
発しついでに、「飛んで火に入る夏の虫コメント」への集中砲火という、
いわば大立ち回りを、楽しくご報告するべきツァー参加記でやってしまいました。
反省はしていませんが、読者の皆様すみません。
コメント下さった”mizuki”さんにはいい迷惑だったでしょうが、
当ブログにああいったコメントを下さるからには覚悟のうえ、ですよね?

異論反論ございましたら当方討論はいつでも受けて立ちますので、
今度はちゃんとIDを明記の上コメントくださいね!


さて。

海軍関係の碑の見学の後は、ヴェルニー公園を出て、横須賀の町を歩いて行きます。



公園に美しく咲き乱れていたセージ。
ハーブですが、花の色が実に美しい植物です。

ヴェルニー公園をちょうど出るところに・・・



公園の駐車場があります。
横須賀駅まで歩いて行くのに近くて便利かな、とここに停めた
エリス中尉のネイビーブルーの愛車が、ぽつんとあります。
後から、ここは高いので皆モールの駐車場に入れるらしいと知りました(笑)

いいんだも~ん。空いてたし。
このときも自家用車はわたしの車だけでした。



少し前まではこんな高層のホテルなど横須賀にはありませんでした。
プリンスホテルだったところにメルキュールというフランス資本のホテルが入っています。

その左側にはこれも新しい立派な劇場が出来ています。
ボランティアの方が、

「これまで内外からの演奏会や催し物のために横浜や東京まで行かねばならなかったけど、
このようなものが出来たので、横須賀市民は本当に喜んでいる」

と二回繰り返して仰っていました。
この「横須賀芸術劇場」は丹下健三氏の設計によるものです。

このあとこの左の角まで歩いて行ったのですが、
そこにはこのような碑がひっそりとありました。



ちょうどこの芸術劇場の角から「ドブ板通り」は始まるのですが、
ここは明治時代から横須賀鎮守府の「門前町」として栄えた通りです。

その盛り場の入り口に、下士官兵の集会所がありました。
この施設は、今の芸術劇場とホテルを足した部分全域に亘っていたですから広大で、
当時は横須賀のシンボルのような建物だったそうです。
中には劇場や宿泊施設も備えられていたとか。

戦後は進駐軍が横須賀の海軍施設を接収したため、ここには
米軍軍人のためのクラブ「Enlisted Men's Club」、通称「EMクラブ」がありました。
そこではオーディションを受けた選りすぐりの日本人ミュージシャンによるジャズが演奏されました。

駐留軍での演奏を拠点として戦後の日本で爆発的なジャズブームが起こりました。
裕次郎の「嵐を呼ぶ男」なども、このブームにあやかって作られた映画の一つです。

その跡に立つ芸術劇場には、かつてのEMクラブの写真が飾られているのだそうです。




フリマのお店が用意を始めていました。
この日はこのあと結構な雨が降り店じまいを余儀なくされる運命のみなさん。



ん?

もうすでに開店直後の店でカーキのアーミーコートを買ったらしい男性が。
ここは米軍から流れたグッズが手に入るお店がたくさんあるようです。
制服を一般に流していいものなのかどうなのかわかりませんが。



まるでハリウッドのように、ドブ板通りの歩道には、この地ゆかりの有名人の手形が。
雪村いづみは先ほどの江利チエミ、美空ひばりと「三人娘」として人気がありました。


ドブ板通りの名は、本当に昔はこの通りが、溝の上に渡された板だったからです。
中央に溝があったのですが、通行がしにくいので、海軍工廠から厚い鉄板を調達し、
それで通路を確保したのです。

戦前までは海軍の「門前町」でしたが、戦後は米軍軍人向けのお土産物や、
あるいはテーラー、バー、肖像画を描く店などができました。
その後、日本人向けの店が増え、「スカジャン」(横須賀ジャンパー)や、
横須賀バーガーなどが軒を連ねています。



何となく年季の入っていそうなブティック。
スカジャンがウィンドウに飾ってあります。



むむ、これこそが正しいミリタリーショップ。
消えてしまったノーズアートの女性みたいなペイントとか、
魚雷のマークはおそらくかなり昔に描かれたままでしょう。

ここ、行ってみた~い!

アメ横の中田商店も一度話の種に行ってみたいのですが、機会がありません。
変なものをつい買い込んで家族の顰蹙を買いそうなのでなかなか足が向かないんですが。



そんなドブ板通りに、少し不似合いな

「明治天皇横須賀行在(あんざい)所 入口」

の石碑が。
明治天皇はその45年のご在位の間、16回も横須賀御行幸あらせられました。
その理由は、横須賀鎮守府において海軍の施設ならびに軍艦に視察を賜ったからです。
その際、必ず陛下はこの「行在所」と言われる宿泊施設にお休みになったのでした。



行在所はこの階段を上って行った上に在ったそうです。
今では行在所跡は幼稚園になっており、そこには昔海軍官舎がありました。
わざわざ作るのではなく、既存の施設を畏れ多くもご利用賜ったということだったのですね。


そういえばエンペラー気取りで台湾の各地に自分たちの”行在所”を作らせ、 一度泊まると

浴槽から便器から皆取り替えさせた、蒋介石と宋美齢というバカップルがいましたっけ。

比べるのも汚らわしいですが。




ガイドさんの持っている解説資料を横からぱちり。

非常に瀟洒な感じの洋風建築です。
この「向山」という名前は、製鉄所の「向かいの山」にあったからつけられたとか。

昭和8年にこの建物は当時の「文化遺産」として史跡となり、
そのことを示す碑文はあの加藤寛治海軍大将によって揮毫されました。
しかし、戦後進駐軍が横須賀の軍施設を接収したとき、その指定は解かれたということです。

この美しい建物は、大震災で失われたんでしたっけ・・。



空き地が在るとそこに駐車場が出来てしまう。
昨今の盛り場なんていまどこもそんな感じですが、
ここはそもそも一般車が入ってくることが出来ないらしく、
空き地はこのようにイベント広場として利用されます。
ライブでも予定されていたのでしょうか。
それにしてもパイプ椅子が少なすぎないか?



ネイビーバーガー専門店、TSUNAMI。
ところで、のネイビーバーガー勃興の陰には、こんなストーリーがあるのです。

横須賀は今や「カレーの町」として認知されているのですが、それはごく最近で、
少なくとも、横須賀が「町おこし」としてここをカレーの町にしよう、と決めた
1999年(平成11年)以降のことなのです。

勿論、それまで、「海軍カレー」を標榜するカレー屋やレトルトメーカーはありました。
しかし、横須賀市がこれらも含め「町の名産」とすることを決めたのは、
たかだかここ14年のことなのです。

そして、横須賀市は、そのプロジェクトに当たっては

海上自衛隊横須賀基地に

海上自衛隊横須賀基地に

海上自衛隊横須賀基地に

協力を仰いだのです。

なぜなら海自横須賀基地とはかつてのヨコチンつまり横須賀鎮守府。
未だに金曜日には旧軍と同じく当たり前のようにカレーを食べている、
正当な海軍カレーの末裔であるからです。
じゃなくて海軍の末裔であるからです。


わたしは無論この頃、自衛隊というものに対し全く関心がなかったわけですが、
少なくとも海自が「金曜日はカレーを食べている」などという知識は、
この1999年以降世間に広まったように思われます。

「海軍がカレーを開発した」
「昔から海軍ではカレーが食べられていた」
「海自では未だに金曜日はカレーである」

→「金曜日はカレー曜日」

海自横須賀基地の情報戦は戦果をおさめ、ついに世間には

「海軍(つまり海自)」「横須賀」「カレー」

の三点が一つのイメージとして認知されることとなったのです。
そして10年が経ちました。

横須賀市は考えました。
海自を巻き込んだカレー作戦は一定の成果を上げた。
しかし、横須賀というのは昔は海軍でもいまは

米軍基地の

米軍基地の

米軍基地の

町。
カレーは海軍だが、海軍だった場所にいま在るのは米軍基地である。
これを何か「食い物」と結びつけ、海軍カレーのようなシンボルに出来ないものか。
そこで彼らが思いついたのが、アメリカ人の大好きなハンバーガーでした。

アメリカ人のハンバーガー好きは全くDNAレベルからのものですが、それも当然、
幼いときから何かというと「バーベキュー」と称してハンバーガーを食べていれば、
それがソウルフードにもなろうというものです。

(アメリカでバーベキューとは、ハンバーガーのパテとソーセージを焼くもので、
横に置かれたバンズとドッグに自分でそれらを乗せて自分でバーガーを作る)


海軍カレーによる町おこしを始めて10年目、横須賀市は第七艦隊を巻き込み、
今度は大胆にも「ネイビーバーガー」による第二次町おこしを始めたのです。

それにあたって、横須賀市は米海軍からレシピを入手しました。
それは次のようなものです。

●パテには、赤身の多い100%牛肉を用いている。

●パテの調理は極めてシンプルで、牛肉本来の味を損なわないようにしている。

●トッピングはタマネギやトマトが基本。

●食べるものがケチャップやマスタードで調味をする、


アメリカ人が「バーベキューパーティ」で食べるあれと何が違うのだろう、というバーガーです。
つまり、別に第七艦隊でなくても、おそらくレシピはこうなるだろうと思われます。
でもまあ、このあたりに深く突っ込むのはやめます。 

米海軍第七艦隊からレシピをもらった、ここに意味が在るのであって、
アメリカ人がバーガーの味に「艦隊秘伝」とか「海軍幻のレシピ」とか、
ましてや「究極の」なんて研究をしてまで食べ物の味を極めようとするような人種でないことは、
おそらく横須賀市観光協会だって百も承知の上だったでしょうから。



そして、横須賀にはこの「第七艦隊お墨付き」のネイビーバーガーの店が、
一気に4軒立ち上がりました。
そのうちの一つがこのTSUNAMIというわけです。

もし、横須賀にお立寄りの折にはぜひどうぞ。
ちなみに冒頭のバーガーの写真は、ここのものです。



そしてこの店には、まさかのヒットを狙ってペリードッグというのが・・・。
なにがサンキューペリーマッチやねん、と関西人なら即時に突っ込んでくれるでしょう。

どんなホットドッグなのか、ちょいとググってみたところ、
ドッグにレタスを乗せ、さらにマヨネーズで和えたタマネギのみじん切りを乗せ、
その上に粗挽きソーセージを乗せたもののようです。
これは美味いかもわからんね。

ただ、なぜこれがペリーなのか全くわかりませんでした。



ドブ板通りのお店の店先に飾られた小泉兄弟と店主の写真。

そう言えば、「小泉進次郎議員と米軍基地を訪問!」というツァーをある会報で知り、
何となく申し込んだことがありましたっけ。
今にして思えばこの「ベース歴史ツァー」の100倍くらいの倍率だったんだろうな。




ドブ板通りを左に曲がって、さあいよいよ正面が米軍基地、というときに
ガイドさんが

「ここから先は撮影禁止です!」

と大声で止めるんですよ。
わたしが撮っていたのは、米軍基地のゲートではなく、
このiPhone壊しちゃったうっかり者の米軍軍人さんに向けたお店の看板だったのに。

というのは、この少し前に、岩国基地で海兵隊のF-18ドライバーが、
わたしの目の前でiPhone落として割った、という事件があったのです。
とっさに「彼に教えてあげねば」と思って撮ったのですが、
よく考えたら岩国から横須賀にiPhoneの修理出しに来られるわけないよね。
いくらF-18に乗っててもね。

というわけで・・・・いよいよベース内に入るかと思いきや、
まだそこには「セレモニー」という恐るべき行程が待ち構えていたのであった。


続く。