9月14日、東京はすみだトリフォニーホールで行われた。
第48回海上自衛隊東京音楽隊定例演奏会についてお伝えしています。
プロコフィエフのピアノ協奏曲3番という「渋い」演目で前半を終了し、
後半には打って変わって、というか自衛隊音楽隊の本領発揮というべきプログラムが
ゲストを迎えて息つく間もなく演奏されました。
INTO THE LIGHT~光へ~/河邉一彦二等海佐
これは、プログラム三番の
BLUE SUNSET ブルーサンセット
とともに 「自衛隊作曲家」である河邉二佐のオリジナル作品です。
ともに、まったく先入観なしで聴いても「海」を感じさせるテーマを内包しており、
以前ご紹介した「イージス」が、ラッパ譜のモチーフがメロディとオブリガート、
あるいは通奏低音のように絡んでくるという、「自衛官にしか書けない曲」であるように、
これらもまたそういう意味では特異なジャンルに属するのではないかと思われます。
ところでわたしは、この日ロビーで三宅由佳莉三曹のアルバムを購入しました。
このCDを聴いても、たとえば久石譲などの聴いても 思うことですが、
「ああ、日本人の曲だなあ」
とすぐ分かってしまう佇まいの音楽があります。
たとえば息子が聴いている、ゲーム音楽ばかり集めたアルバムでも、
明らかに日本人の手による音楽には「日本人らしさ」が節回しにはっきりとあって、
すぐにそれとわかってしまうのです。
たと西洋音楽の理論によって書かれ、ジャズやサンパのリズムであっても、
メロディだけは不思議と「日本人らしさ」を隠せないことが多いのです。
一昔前、それこそ1970年代ごろ書かれた軽音楽には、この「日本人らしさ」が、
どちらかというと洗練されていない臭味のように感じられるものが結構あるのですが、
昨今ではそれらはソフィスティケートされているうえに、
その日本らしさこそがユニークな味付けとして世界にも受け入れられているといった感があります。
河邉二佐の手による曲にはこの「日本人の血あるいはDNA」の存在が非常に濃く感じられ、
たとえば「交響組曲《高千穂》」のように、民族情緒と西洋音楽が融合し、
そこに「大衆に膾炙するポビュラリティ」がほどよく塗されていると言えましょう。
しかも(笑)
東京音楽隊には、「最終兵器」である歌手、三宅由佳莉三曹がいて、
ヴォーカルを曲のごく一部にだけ加える、ということが可能なのです。
本日演奏されたこの二曲でも、曲の途中で彼女が登場し、一節歌って引き上げる、
という、普通なら考えられない贅沢な?構成がなされていました。
皆さまもすでにご存じ、この三宅三曹は、4年前に自衛隊初の歌手として入隊した、
今注目のヴォーカリスト&自衛官ですが、彼女をソロ・ヴォーカルとして歌わせるだけでなく、
ヴォーカルをこのように楽団の一つのパートとして扱うという、ある意味非常にユニークな音楽形態を
日本国海上自衛隊は新境地として編み出したといっても過言ではないでしょう。
曲の途中に、すらりとした彼女が爽やかな風のようにステージに現れる。
それだけで会場の空気さえさっと変わるほどの存在感は、
最近彼女に対する世間の注目が非常に高いことと無関係ではないでしょう。
それは「時の人」の持つ独特なオーラと言ってもいいものでした。
ココベリ /エリック宮城(みやしろ)
ここでゲスト登場。
出てきた途端、空気が変わったのはこの人も同じでしたが、それはなんというか
「自衛隊」とこの、金髪を肩まで垂らした堂々たる体格のトランペッターの
「違和感」によるとことが多かったのではないかと思われます。
しかし、この金髪おじさんが、凄かった(笑)
上の経歴を見てもその実力がお分かりだと思いますが、
トランペットの演奏はもちろんのこと、この「ココベリ」という、
アメリカ先住民族の精霊の名をつけたオリジナル曲や、
ロッキーのテーマ/ ビル・コンティ
の編曲の巧みさにも唸ってしまうほどでした。
ロッキーのテーマは、ご存知のように冒頭の
「パー パーパパパーパパパーパパパ パー パーパパーパーパパーパーパパパ
パーパパパーパパーパーパーパー パーパパパパーパーー」
のあと(分からない人すみません)メロディに入るわけですが、
ここをメロディに入る!と思わせて古典ファンファーレ風終止をするようなアレンジをしており、
「おお、やるな」と思わせました。
エンターティナーとしてもキャラの立った人で、見ていて本当に楽しいステージ運びをします。
アンコールでは、
「マリア」ウェストサイド・ストーリー/ レナード・バーンスタイン
をしてくれたのですが、作曲者のバーンスタインから直接聞いた話として
作曲におけるバーンスタインのこだわりを聞かせてくれました。
少し専門的な話になるのですが、面白かったので書いておきます。
「まり~あ~」
というこの曲のメロディは、Bフラット、変ロ長調のキイで
「シ♭ミ~ファ~」
という音を充てます。
B♭の基本三和音というのは、シ♭・レ・ファでできていますから、「マリーアー」は、
第一音と第五音のシ♭とファに、不協和音をなす「ミ」の音が入っているわけです。
バーンスタインに言わせると、この
「シ♭はトニー、ファはマリアを表す」
では、この、B♭の和音でいうと減5にあたる「ミ」の音は何かというと、
「二人の間に横たわる障害」を表すのだそうです。
エリック氏もこの時に言っていましたが、昔、古典の時代、音楽そのものが
神に対する讃歌であり貢物であった時代には、不協和音というのは「悪魔の響き」であり、
それを使うことは「異教」にも通じる罪悪だとされたのです。
ちなみに、いまメジャー7と呼ぶところの第七音なども厳禁されていました。
その「悪魔の音」である♯11th(第11音)を、全く禁じられていない現代において、
バーンスタインは「ネガティブなもの」の象徴としたというわけです。
一音一音に実は宗教的な意味があった昔はもちろん、近代、現代の作曲家が
音列や音名にある「意味」を込めることは珍しくありませんが、この「マリア」に
そういう意味があったことは知りませんでした。
フォー・ブラザーズ/ジミー・ジェフリー
この曲を、男女4人のジャズ・コーラスグループ、マンハッタン・トランスファーの演奏で知った、
という方もおられると思いますが、もともとはビッグバンドのための曲で、
この「四人兄弟」とは、ソロを取るサックスのホーンセクションの粋な兄さんたちのことです。
ビッグバンドジャズではそれぞれのボックスがあってそこに立ち上がってソロを取るのですが、
海自音楽隊においては、いちいち前に出て来てアドリブ演奏をします。
アドリブはコーラスパートをワンコーラスずつ受け継いでいくのですが、終わった時
観客はソロ奏者に対してねぎらいの拍手を送ります。
しかしこの日の観客は、その拍手のタイミングが「始まるのが遅く、終わるのが遅い」
つまり、皆が拍手するのを聴いてから拍手を始めるため、
次の奏者のソロが始まっているのに拍手が続いてしまっている状態でした。
こういうのを見ると
「ジャズ”も”あまり聞き慣れていない客層なんだな」
と考えずにはいられませんでした。
しかしそれは決して否定的な意味ではなく、クラシックにおける「楽章間の拍手」の件でも言ったように、
「そのジャンルに精通していない人たちにももれなく楽しみを提供する」
という本来の音楽隊の使命がちゃんと果たされていることでもあると思った次第です。
この曲が始まった時、小柄な、しかしネクタイの激しく「玄人っぽい」(つまり派手)、
年配の男性が、団員に混じりました。
日本のビッグバンド界の長老というこの方が、自衛隊音楽隊に、ビッグバンドのレパートリーを
アレンジ提供し続けてきた方のようです。
この後演奏された
フリーダム・ジャズ・ダンス/エディ・ハリス
スペイン/チック・コリア
など、ジャズのナンバーの編曲はこの方の手によるものだということがわかりました。
このスペインは、フュージョンのプレイヤーならずとも、ジャズプレイヤーならおそらく
一度は演奏したことがあるのではないかと思われるスタンダードとなっています。
わたしもセッションではよく取り上げたものです。
ところで、この際だから少し言っておきたいことがあります。
自衛隊演奏の「スペイン」、これ、違うんですよ。オリジナルと。
いつも思っていたのですが、そしてオリジナルを知っていて、かつ実際に演奏する人間には
とても気持ち悪く聞こえるのですが、
これがオリジナルの譜面です。
おせっかいにも数え方を赤で記しておきました。
「出だしのユニゾンに続く二回の『たーたったー』 。
この数え方は、本来「3拍+4拍」(+一拍休み)なのですが、自衛隊の演奏は、
わたしがitunesでも持っているものもこの日の演奏も、ここのところが
「タータッターーー」(4拍)
「タータッターーー」(4拍)
なんですよ。
普通というか、安易というか、当たり前のリズムに変えられてしまい、オリジナルの
この激しい変拍子の緊張感が全く無くなってしまっているんですね。
ちなみに後のユニゾンのところ、
ここのところも、オリジナルとは微妙に違うのでいつもキモチワルイです。
面倒くさくなったので解説は省きますが、譜面の読める方はこれと自衛隊演奏の
リズム(一部メロディも違う)を比べてみてください。
海上自衛隊「スペイン」
パイレーツオブ・カリビアンの「彼こそが海賊」の2拍3連の演奏でもそうですが、
海自音楽隊の演奏レベルを考えれば、ここを安易にする必要も全くないのに、
簡単な(しかもつまらない)リズムにしてしまっているのはなぜだろうと、
わたしはかねがね不思議&不満に思っていたのですが、この日、謎が解けました。
↑この方のアレンジがそうなっているってことだったんですね。
もしかしたら、この方は、これをアレンジした時にオリジナル譜面からではなく耳コピーして、
そのためリズムを勘違いしたのか、という疑惑すら芽生えてしまった次第です。
その疑惑がさらに深まったのは、この方が隊員の中で演奏していて、そのスペインで
一回だけアドリブ・ソロを取ったときでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
いや、ここで何かを言明してしまっては、自分の耳で判断できない方々が
「そうなのか」
とこのときの演奏に対して簡単に手厳しい評価を加えてしまいそうなので、これを言うにとどめますが、
つまり、なんというか、「日本の」「古い時代」のジャズの人、なんですね。
アレンジャーとかビッグバンドのバンマスとしては多分力のある方なんだとは思いますが。
以上です(笑)
でも、もし自衛隊音楽隊がこのおじさんに「義理立て」してこの譜面にこだわっているのなら、
ご本人が健在のうちにオリジナル通りに直してもらった方がいいと、わたしは個人的に思います。
そしてどんな理由があったとしても、原曲のメロディをこんな風に変えちゃいけないと思うの。
それから、パンフレットにももうひとこと言わせてもらえば、
「日本のビッグバンドの水準を初めて国際レベルに引き上げた」のは、この人ではなくて
シャープス&フラッツの原信夫ではないでしょうか。
ニューポートジャズフェスティバルで「また日本軍が攻めてきたぜ!」とディジー・ガレスビーに言わせた
海軍軍楽隊出身の原信夫を、海上自衛隊ともあろうものが忘れていただいては困る。
さて、この日の記念に、わたしはロビーで販売されていた三宅三曹のCDを買って帰りました。
特典として超特大ポスターが付いてきましたが、これ、どうしよう(笑)
とにかく今、これを聴きながらタイピングしていますが、いいですよ~。
まだ購入されていない方は是非。(ステマ)
中でも、河邉二佐が、三宅三曹のヴォーカルを想定して作曲した
記念すべき最初の作品である「交響組曲《高千穂》」の一曲、
仏法僧の森
は、いい曲過ぎて鳥肌がたってしまいそうです。
そして、以前このブログ中「歌のためのメロディではない」と酷評した
某公共放送の応援ソングも、この人が歌うとあら不思議、何の違和感も、
何の無理も感じさせず、原曲の不備を補ってあまりあるすてきな曲に。
「世の中に駄作はない。どんな曲も演奏家によって名作になる」
という言葉はある程度本当だと納得させられてしまったほどです。
彼女が歌手として人気が出たのは、その声ののびやかさと透明感のある音色によるところが
大きいのですが、それだけでなく、何と言ってもご本人の魅力でしょう。
なんというか、出てくるだけで目が釘付けになり、歌が始まったら文句なしに耳を惹きつけ、
そして歌い終わった彼女に対してつい笑いかけずにいられないスター性、もっと言えば
カリスマ性すら持っていると、実際ステージの彼女を見て思いました。
なんといっても、一緒に演奏している団員がみな彼女が歌い終わる度に口元を緩め、
ニコニコと見守っているんですよ。
ああ、これはきっと、一緒に演奏している隊員たちも彼女が好きなんだな、
と彼女の愛される人柄まで見ているだけでわかるような気がするのです。
このCD、発売に際しては結構大きなニュースになり、さらには今現在、クラシックの
CD売上が第一位なのだそうですが、海上自衛隊はまったく得難い人材を得たと改めて認識しました。
彼らはもちろん位置づけとしては「プロオケ」なのですが、この日のコンサートを見て思ったのは、
プロにしてはあまりに彼らは音楽をすることそのものが楽しくて仕方がないようです。
もちろんどんな音楽家も音楽をすることが楽しくないわけがないのですが、
いわゆる普通のプロオケにはない、そう、例えればアマオケとか、学生オケのような、
晴れ舞台に対し、構えたところや衒いの一切ない素直さが溢れだしているというか。
それは聴いているものにも十二分に伝わり、それゆえ演奏会が終わった後、
自衛隊音楽隊の大ファンにならずにはいられないというくらい、その演奏の魅力を倍増させていました。
そして、昔から国民に音楽を通じて貢献してきた自衛隊の姿。
「肩のこらないコンサート」に少しウケてしまいますが。
いや、あなた方のコンサートで肩の凝るものってあるのかしら、みたいな(笑)
1964年の東京オリンピックの写真を見て思い出しましたが
2020年の東京オリンピックが決まりましたね。
ファンファーレはもちろん東京音楽隊がするのでしょうし、
各場面で自衛隊音楽隊が陸海空問わず大活躍するのだと思われます。
そこで!
開会式の国歌独唱は、ぜひ7年後の三宅三曹(そのころは一曹かな)にしていただきたい。
みなさま方もそう思われませんか?