「一度ちゃんとした海自音楽隊の演奏をコンサートホールで聴いてみたいものだ」
と思っておりましたが、早くもその機会が訪れ、冗談抜きで天にも昇る心地で
東京音楽隊の定例演奏会に参加してきたエリス中尉です。
いつもであれば、どうやってこのようなプラチナチケットを、しかも最近、
専属歌手や専属ピアニストの採用によって一般にも非常に関心の高い
東京音楽隊のコンサートチケットをどうやって手に入れたのか、
繰り返しますがいつもであれば嬉々としてここにご報告(ついでに自慢)してしまうところですが、
今回はいろいろと配慮すべき面がございまして、そのあたりはさっくりと割愛いたします。
ただ、このコンサート鑑賞実現に対しご高配賜った関係者の方には感謝してもしたりないほど、
素晴らしい一夜となったことに対し、せめてこのブログで海自音楽隊の素晴らしさを
喧伝させていただくことでせめてものお礼に代えさせていただきたいと存じます。
さて。
2013年9月14日、すみだトリフォニーホール。
開場は一時間前。
わたしは万が一のことがあってはと早めに現地に到着しました。
手配していただいたのは「招待券」でしたので、窓口で何の苦も無く
座席指定券と交換していただけましたが、一般応募の方は
当日窓口で座席指定券と交換ということをするシステムのようです。
実は、このコンサートには息子を二人分の席を用意していただいていました。
人数が少ないため高等部のミュージカルに応援のためにチェロ演奏で駆り出されて、
最近より一層音楽好きになった息子は、非常にこのコンサートを楽しみにしていたのですが、
当日に急にそのミュージカルの練習が入ってしまったのです。
本人も泣く泣くあきらめ。結局わたし一人の参加となりました。
兼ねてからお世話になっていて、歌手の三宅由佳莉三曹にも興味をお持ちの方を
ぎりぎりになってお誘いしてみたのですが、さすがにぎりぎりすぎて
(会場に向かう車からメール)「今東京にいないので無理」との返事。
わたしは全く気付いていなかったのですが、三連休の初日だったんですね。世間的には。
一般申込客は上の写真のように、一時間前から座席交換のために列を作り始めています。
開演10分前に所用で外に出たら、列に並ぶ人たちに、整理係の自衛官が
「ただ今満席状態で、ここにお並びの方は入場できない可能性もあります」
とアナウンスしていました。
普通のコンサートのようにチケットを利用しなければそこは空き席になってしまうのかと、
非常に心苦しい思いをしていたわたしはこの光景を見てホッとした次第です。
すみだトリフォニーホールは初めて来ましたが、ホテルが併設されており、
例によって(笑)立派すぎるほど立派なホールでした。
中村紘子氏が「全国どんな地方にも不思議なくらい立派なホールがある」
と感嘆したところの、日本のハコもの地方行政の成果とでも言いますか。
(非難してるんじゃありません)
この日、息子のチェロの練習の譜読みにずっと付き合っていたので、
昼ごはん抜き状態のおなかにホールの併設バーでサンドイッチを入れました。
不思議なくらい美味しいサンドイッチでした(笑)
やるなあ、すみだトリフォニーホール。
もしかしたら隣の東武ホテルの経営かもしれません。
食べ終わっても開演まで時間があったのでロビーで売っているCDを見に行きました。
やはりここにもある自衛艦旗。
このデスクではこのような東京音楽隊の広報パンフを配っていて、
前に立つと、自衛官が
「お持ちください。CDも付いています」
何っ?!
本当だ。
さすがは親方日の丸の自衛隊音楽隊。
入場が(当たり前ですが)無料であることや、CDを来た人全員に配るというのも、
他の団体主催のコンサートではありえません。
改めて思うのですが、こういう活動というのはすべて、
税金という形で彼らを支えている国民への還元という意味があるのですね。
ちなみにこのCDですが、写真にも少し見えるように、「君が代」に始まり「軍艦」で終わる、
海自音楽隊ならではの選曲となっています。
以前このブログでご紹介した音楽隊長の河邉一彦二佐の作曲した「イージス」や、
今超話題の三宅三曹の「われは海の子」、そしてなんと、ベルリオーズの「幻想交響曲」から、
「断頭台への行進」「ワルプルギスの夜」が収録されており、お値打ちです。
プログラムから転載、音楽隊長、指揮者であり作曲家でもある河邉二佐。
驚いたのは、入隊後、三年に亘って一般音大で指揮の勉強をしていたこと。
そういえば、昔、横須賀に集められたいわゆる「エリート音楽隊員」は、
東京藝大で芸大生と席を並べて研修をした、という話をエントリに書いたことがあります。
河邉二佐の場合は少し特殊な例だったのではないかと思われますが、
旧軍と同じやり方で、こうやってスキルを高めることを今でもやっているんですね。
開演前のホール客席。
正面に据えられたパイプオルガンは地方ホールの「実力」の証です。
ご覧のように、一階の20列、という、音楽を聴くにはベストともいえる席です。
そして少し左側、つまりピアニストの手許が見える場所。
しかも、前が通路で前列に座高の高い人が座って視線が遮られ、
わずかにイライラすることもまずない、完璧な場所です。
どれくらい完璧かというと、もしどこでもいいから好きな場所に座りなさい、
と言ってもらえたら、わりと迷うことなくこの席を取っていたというくらいです。
客層は年配の男性がいつもより多い気がしました。
しかも彼らの多くが客席で「お久しぶりです」というような挨拶を交わしあっていて、
やはり元、そして現海自関係者が招待されているのかなと感じました。
さて、コンサートが始まりました。
セルゲイ・セルゲービッチ・プロコフィエフ ピアノ協奏曲第三番ハ長調作品26
ピアノ独奏 太田紗和子二等海曹
最近、当ブログに来る方の検索ワードで一番多いのが、この
太田佐和子二曹の名前だったのですが、その理由は、
このコンサートで彼女がプロコフィエフのピアノコンチェルトを演奏するからだったらしい、
ということに遅まきながら気づいたエリス中尉でございます。
この日のコンサートの前半は、太田二曹のプロコのPコンのみ。
そして後半がいかにも自衛隊らしいビッグバンドのレパートリーや、
河邉二佐のオリジナルだったわけで、もうこれは東京音楽隊のコンサートでしかありえない、
レアな演目だったといえましょう。
この、プロコフィエフという作曲家は、特にピアノが「打楽器」であることを
改めて認識させられるような曲を書く人で、このコンチェルトもその典型であると思うのですが、
だからといって聴く方に難解というわけではなく、この曲もその打楽器的な部分が、
複雑なリズムに慣れた現代人には、むしろ「面白い」と認識されるのではないでしょうか。
そんなに長大ではなく、しかも見た目にもヴィルトオーゾ好みのいわば派手な演目なので、
ピアニストにも人気があり良く取り上げられる曲です。
このプロコフィエフという人は、革命の後ロシアからアメリカに亡命しているのですが、
その亡命の経路が、シベリアから日本を通過するというもので、つまり彼は
日本にしばらくの間滞在していたということになります。
このピアノ協奏曲第三番の最終楽章には、「越後獅子」が流用されたと言われる部分があり、
たしかにイ短調の三拍子のメロディはそう聴こえないこともありません。
コンサートのプログラムには必ずこのことが書かれ、
この日の東京音楽隊のプログラムにもそう書いてはありますが、実はこれは
はっきりと日本の民族曲を採用したプッチーニの「蝶々夫人」などとは違って、
単なる「噂」である、とされる説もあります。
音列は完璧に一致していませんし、もしかしたらプロコフィエフが「日本で聴いたあのメロディのような」
というイメージだけを取り入れた可能性はあるかもしれないとは個人的に思いますが。
長々と解説しましたが、この曲を選ぶとは何と意欲的な、と思ったのは、
この曲はピアノ協奏曲と言いながら、オーケストラが非常に密度が高いことで、
つまりどういうことかというと、ピアノとオケの力配分がほぼ同等であるからです。
しかも、東京音楽隊は本来弦5パートが付随しているオケ部分を、
ブラスバンドの編成でやってしまっているあたりが、凄いと思いました。
プログラムによると、この編曲をしたのは川上良司一等海曹。
そう、つまり自衛隊内ですべてをまかなってしまっていると。
とてつもなく下世話な疑問ですが、たとえばこのような快挙(とわたしは思います)を
成し遂げた川上一曹には、編曲代は別に出るんでしょうか。
ついでに言えば、ピアノコンチェルトを弾いた太田二曹には?
さて、その太田二曹ですが、実物を見ると非常に小柄な女性で、もし外国人なら
「こんな小さな女の子が・・・」
と真面目に言いそうなくらいのキュートな体格。
しかし、彼女の演奏家歴を見ても、この曲を弾きこなすに不足はなく、
現に、成熟したテクニックで難なくこの難曲を聴かせて聴衆を沸かせていました。
ただ、この日ここにいた聴衆が「日ごろクラシックのコンサートには行かない層」であるらしいことを、
コンチェルトの楽章ごとにいちいち巻き起こる拍手が表していました。
昔、あるオケの地方公演に事情があってついて行ったことがあるのですが、
そこがいわゆる「僻地」であればあるほど、この「楽章間の拍手」は普通に行われ、
それがその土地の「文化習熟度音楽の部」を知る一つの目安となっていたものです。
楽曲というのは楽章全部で一曲なので、特に演奏者は、その間も緊張を維持しますから
これを嫌う人は実は多いのです。
太田二曹は、正統派のクラシック畑を歩んできた人ですが、自衛隊に入隊した時点で、
彼女の音楽を聴く「層」が微妙にスライドしていることをどのように考えるか、少し気になるところです。
しかし、それは第三者から見ると「クラシック界」というフィールドから、より多くの層に向かって
開かれた世界の架け橋になっているということでもあり、それはとりもなおさず
太田二曹がそうなることを自ら希望した選択の結果でもあったのでしょう。
以前このブログで「率先して当直に立ち、特別扱いされることなく、一隊員であることを優先」
と彼女のことを書いたところ、「クラシック畑」の方からはこの事実自体が不評だったようです。
そういう「苦労話」を喧伝することが演奏家の扱いとしてはいかがなものか、
という観点からのご意見ではなかったかと思います。
しかし、歌手の三宅三曹についてもいえることですが、太田二曹の「価値」というのは
純粋な音楽家としてのそれに加えて、彼女が「自衛隊員」であるということなのです。
ソリストなのにカッターの練習をし、譜面台運びもして、その名には必ず階級付けで呼ばれ、
そして、ピアノコンチェルトを演奏するというのに、いかにも肩の動かしにくそうな、
自衛隊音楽隊の演奏服を着ることしか許されない、(ですよね?)つまり、
「自衛隊付き」の音楽家として、彼女は初めて評価されているわけです。
もしかしたら彼女には失礼な言い方になるかもしれませんが、
その「タイトル」を取ったところに、今現在彼女に向けられる「注目」はなかった、
と、わたしは厳然たる事実を以て断言します。
もちろん(ここからが本題ですよ)、その世界の中で彼女がこれからどう伸びていくか、
それは彼女次第であるし、自衛隊員というフィルターなしで演奏そのものが評価されるかどうかも、
全て彼女の実力次第であると思われます。
そして、この日のプロコフィエフは、そういう彼女の意気込みが感じられる選曲でした。
ただ一つ。
ピアノとオケのバランスがときおりピアノを埋没させてしまう結果になっている気がしました。
これは決して彼女の演奏が線が細いというわけではなく、編曲の限界というか、
弦を使わないオーケストレーションのため、どうしてもこうなってしまうのかと解釈しましたが。
ともあれ、溌剌とした演奏は、自衛隊音楽隊の演奏を言う枠にとらわれず、
聴衆に与える喜びだけでない、可能性の広がりを感じさせて秀逸でした。
つまり一言でいうと、よかったです(笑)
長くなってしまったので後半については次回お話しします。