やっとのことで映画の最後のシーン、チャック・イェーガーの高高度の限界挑戦まで漕ぎつけました。
監督のフィリップ・カウフマンが、最後になぜこのシーンを持ってきたか、なんですが、
わたしが考えるに理由は一つ。
今まで「音速の壁」を破って記録を達成してきたこのイェーガーが、この時は
「どこまで天高く、宇宙に近づけるか」
という挑戦をしたからです。
戦闘機がどこまで上昇できるか、ということには実用的な意味はほとんどありません。
「高高度飛行」とは通常50000フィート(15.24km)以上を言いますが、
高く飛んだからと言ってミサイルは高度20キロくらいまでの対象物は撃ち落とせますし、
それより高高度に上昇していくことそのものが機体にとって危険極まりないことだからです。
イェーガーのこの挑戦は、この時に使用したNF-4の性能限界を試すためであり、
まさに「挑戦のための挑戦」としか言いようのないものでした。
イェーガーの妻、グラニス。
「飛行機なんて嫌いよ」
「パイロットは不安を取り除く訓練をするけど、だれも妻の不安など気にかけない」
彼女は夫の命を奪うかもしれない任務を受け入れることはできませんが、
しかし、その一方もし夫が挑戦することをやめてしまったら夫を捨てる、というような女。
「わたしはあなたがもし昔話にすがって生きていく男になったら、家から出ていくわ」
うーん。この男にしてこの妻あり。
言ってはなんだが、マーキュリー7の妻、特にジャッキーに会えないからと言って
それでなくても任務に失敗し失意の最中にある夫をなじったりするガス・グリソムの妻に、
爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ。
グリソムの妻が本当にガスをなじったかどうかは知りませんがね。
そんなオトコマエの妻に、この最強のパイロットは言うんですね。
「俺は死を恐れたことはないが、いつもお前が怖い」
この妻に意気地のない男として軽蔑されることは死ぬより怖いと。
そもそも、この二人、最初の登場の時も変なんですよ。
夫が飲んでいるパンチョの店に女一人でやってくるグラニス。
お、いい女!
マッハ2を突破したあのクロスフィールドが(パイロットって、もしかして女好き?)
目を輝かせて彼女を見たりするんですが、実はとっくにチャックの妻なんですね。
夫婦なのにバーで初めて会ったような顔をしてダンスしたり、あるいは
「私の馬に追いついた男はいないわ」
などと挑発して夫に追いかけさせたり。
これ、もしかしてプレイの一種かい?
ともかくその挙句、テスト飛行の前の日に落馬して肋骨を折ってしまう夫。
あまりにも生活臭がないので、最初に見たときには本当に
これが二人の出会いだったのか?と思ってしまいましたよ。
このときイェーガーは40歳。
NASAと空軍のパイロット養成学校の校長を務めていました。
しかし、そこいらのパイロットと違って「生涯現役」のイェーガーですから、
普通の人間がそろそろ引退を考えだす年齢に、限界に挑んじゃったりします(笑)
かっこいいのでもう一度出してくる、スターファイターとサム・シェパードのシルエット。
実際のイェーガーはそんなに背が高くは見えませんが、もしこれが
本当のイェーガーだったら、マーキュリー計画の飛行士採用担当はまず身長で失格させるでしょう。
カプセルは小さいので、身長制限が180センチと決まっていたそうです。
派手な壮行会も世間の注目も何もない、テスト飛行への出発。
観ているのは関係者と妻、そして女流飛行家で「パンチョの店」のオーナー、
フローレンス・”パンチョ”・バーンズ。
このおばちゃんについては、そのキャラ立ちまくりの人生と活躍についてエントリを制作しております。
また後日お読みください。
さて、この映画、この伝説のパイロットが「宇宙を目指して飛んでいく」のと同時に、
宇宙飛行士たちを招いて行われたジョンソン副大統領主催のパーティがオーバーラップするのですが、
その席上、ジョンソンがわざわざ「宇宙飛行士たちのために捧げます」
として上演される、この「ファン・ダンス」。
このダンサー、本当にいたらしいんですよ。
なんちゅうキャッチフレーズだ、とお読みになった方は思われたでしょうか。
バーレスク・ショウ(お色気ショウ?)の立役者、実物のサリー・ランド嬢でございます。
この映画のおかげで、こんなどうでもいい知識まで得てしまいました。
この、大きな羽を二枚使って巧みに隠すところを隠しながら踊るダンスは、
一世を風靡して、日本にも当時このようは「チラリズム」が輸入されたようです。
そして、このダンスを観る宇宙飛行士たちの顔を以前ご紹介しましたが、
最初は唖然と観ていた彼ら、下を向いて首を振りため息をついたりし始めます。
そして、ただ茫然と観ている風の夫人たちの傍らで、飛行士たちは次第に
互いの目を見やり、互いの目と目でその心情を語り合うのでした。
そして。
彼女の体を包む白い羽は、まさに空に、いや宇宙に疾走していくイェーガーの機が
切り裂いていく純白の雲にいつのまにか置き換わり、いまや全く別の世界、
目指すものもそれによって得られるものも、何もかもが違ってしまった
テストパイロットと宇宙飛行士たちを交互に映し出していくのです。
栄達も世間の喝采もない、たった数人の見送りによる挑戦。
それによって彼に与えられるのは、ただ挑戦したという事実のみ。
彼の乗ったスターファイターは、ただどこまでも真っ直ぐ、成層圏を突き進み
宇宙へ向かって駆けていきます。
そしてひとりごちるイェーガー。
「まだ行ける・・・・・もう一息で4万3000メートル」
しかしその瞬間、機は失速して今まで登ってきたところを錐もみしながら墜落していきます。
あたかも舞台でくるくると舞うサリー・ライドのように(笑)
煙が出ているのはイェーガー自身が燃えてるんだろうか?(郷ひろみ禁止)
これは、ベイルアウトの時に炎が座席から噴出し、彼に燃え移ったということのようです。
それにしても、これらを見守る空軍の同僚、リドレー大尉がまたいいんですよ。
いつもイェーガーに
「ガムあるか?帰ってきたら返すから一枚くれ」
とミッション前にねだられ、いつも
「いいよ」
と快く渡してやる、二人三脚の相棒。
実際にもイェーガーとリドレー大尉はこのようにコンビでともに記録に挑戦してきたそうです。
このときも、救急車で現場に駆けつけるんだけれども、全然心配してないの。
もう、イェーガーが死ぬわけない、と心の底から信じきっている人の気楽さで、
「ほら、生きてた」
このリドレー大尉の役をしたのはリヴォン・ヘルムと言いまして、なんとあの伝説のロックバンド
”ザ・バンド”のギター&ヴォーカルなんですよ。
”ザ・バンド”はイギリスのグループですが、このリヴォンだけがアメリカ人なんですね、
俳優としても活躍し、たくさんのドラマに出演したようですが、喉頭癌のため、
2012年つまり昨年の4月、72歳で亡くなりました。
合掌。
そして、このリドレー大尉本人ですが、空軍の航空エンジニアとして
テストパイロットの経験を生かし、イェーガーの飛行に協力しました。
そして、この人物のことを検索していてこんな事実を知ってしまいました。
「在日米軍機の墜落事故」というページを見ると、
1957年3月12日羽田空港を離陸したC-47輸送機が10時40分頃に新潟市の上空から
位置報告したのを最後に消息を絶つ。
この飛行機は後日長野県の白馬岳に墜落しているのが発見され乗員4
名全員が死亡しているのが確認された。
(ウィキペディア)
とありますが、この4人のうち一人が、リドレー大尉だったということです。
ですから、1963年にイェーガーが高高度に挑戦した時には、
リドレー大尉はとっくにこの世にいなかったということになります。
ですがまあ、これも映画上の創作というやつです。
しかし、テスト飛行ではなく輸送機での墜落死は、さぞ無念だったでしょうね・・・。
合掌。
そして、事故現場から意気揚々とすら見える風情で生還するイェーガー。
まるで花道を引き揚げる千両役者のように傲然と顔を上げて歩いてきます。
凡人ならスターファイター一機ぶっ潰しておいて、まずこんな堂々とは帰ってこれませんな。
劇中「テスト機を失ったらテストパイロットはクビだぜ」
という会話があったりするのですが、このころのチャックはすでに「伝説の男」
ですから、多分おとがめなし。たぶんね。
いずれにしてもこちらも渋さ満点です。
映画は、この後、「ホットドッグ」ゴードン・クーパーの乗った「フェイス(Faith)7号」が、
人類で初めて一日以上の宇宙滞在を果たす飛行のために打ち上げられるシーンで終わります。
屈託なく大口開けて笑う無邪気さ、やんちゃ坊主のようで微笑ましいこの「ホットドッグ」
を演じるのはデニス・クェイド。
黒沢の「七人の侍」でいうと、三船敏郎の役どころですかね。
打ち上げ前のカプセルの中でグースカ居眠りをしてグレン飛行士に起こされたりします。
この打ち上げが実質「マーキュリー計画」最後のミッションとなりました。
この報道レポーターは最初からかなり宇宙飛行士の取材で活躍?していましたが、
最後にこんな大役をもらっています。
関係者かしら。
この、ガス・グリソムが4年後アポロ1号の火災で死亡するということ、そして
「つかの間の一瞬
彼は文字通り世界最高のパイロットだった」
というナレーションが入ります。
パイロットが「世界最高」になれるのは、たとえどんな功績でもつかの間の一瞬。
それにもかかわらずその頂点を目指す男たちを称えて、映画は終わります。
世の中には、自分の義務を果たし結果を出すことが
金銭よりも、栄達よりも、ときには自分の命よりも大切なことであり、
だからこそ挑戦する意義がある、と考える人間がいます。
イェーガー自身は自分の功績についてこう語っています。
「その飛行機が音より速く飛ぶかどうかなんて私には関係なかった。
私はテストパイロットとしてその飛行機を飛ばすように命じられ、
自分の義務を果たしただけだ。」
わたしは、この「宇宙に行くことを拒んだテストパイロットたち」のことを考えると、
つい、生物の進化の段階で最初は海にいた、特に進んだ知能を持つ二種類の生物の話を思い出します。
「陸に上がることを決めた人類、そして海に残ることを決めたイルカ」です。
海に残って太古のままの暮らしをしているイルカと、陸に上がって文明を築き上げた人類、
どちらの選んだ道が幸せだったのか。
そんな問いに決して答えが出ないように、
テストパイロットとして歴史に名を刻んだ男たちと宇宙飛行士として歴史に名を遺した男たちの
どちらの功績が人類にとって偉大で、どちらをより褒め称えるべきだったかなどは、
それを問うことそのものが全く意味をなさないことなのです。
チャック・イェーガーは2013年現在、90歳。
2012年10月14日には89歳でF-15Dに乗り、65年前の音速突破の再現を果たしています。