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「大空のSAMURAI!6」モーツァルトと月光

2013-09-01 | 海軍人物伝

実はこのシリーズを制作したのは一年以上前。
なんとなくシリーズゆえ出しそびれて今日に至るわけですが、
前回絵を描いてから今回までの間に
女優さんのイメージが「北川景子さん」に変わったので、
そこだけ配役を変更してポスターを制作してみました。
SAMOURAI!と表記しているのは、
こういうのもありかな、と思ったからで他意はありません。

煽り文句とか、すべてジョークですからね!
お断りしておきますけど。

と言いながらこの画像を保存するときに思わず
「映画」フォルダーに入れていたエリス中尉である。 




と言うわけで結婚した坂井とハツヨ。
この小説、「SAMURAI!」は、結婚式の後もう一度戦地に戻り、
終戦になって自宅に帰った坂井とハツヨの姿で終焉を迎えます。

「あなたは―もう二度と戦わなくていいのよ」

彼女はささやいた。

「終わったの。もう終わったのよ」

彼女は突然帯の下から短刀を引き抜き投げ捨てた。

「もう二度と、ごめんだわ!」

床の上でそれは火花を散らした。

短刀はカランカランと音を立てて部屋を横切り、部屋の隅で止まった。


さあ、これが世界中で読まれている
「SAMURAI!」のラストシーンなのです。

が・・・・・。

ちょっといいですかー?


坂井さんの留守を守っていたハツヨさんは、
いったいどんなうちに住んでいたのでしょう。
おそらく畳の部屋の、典型的な日本家屋ではないかと思います。
投げ捨てた短刀が火花を上げカランカランと鳴るような
床のあるような作りではないでしょう。
さらに、そこが玄関のたたきでもない限り、
投げ捨てたとたん部屋の隅ではなく、
タンスかちゃぶ台にそれは当たるのが普通ではないかとも思うのですが、
いかがでしょうか。

帰ってきた坂井三郎ではなく、ハツヨの
「戦争はもうごめん」という言葉で終わるあたりが、所詮?
世界基準の好みに合わせて書かれた小説であると思います。

当時の日本人はいきなり「戦争が終わってよかった」というよりは
ただ呆然としていた、というのが大半のところではなかったでしょうか。

勿論誰もが同じ考えであったわけではないでしょうが、
この無難な結論が、終戦に対するが日本人の総意であったかのような
「お手盛り的」なエンディングには、若干割り切れぬ思いが残ります。

それはともかく、いきなりですが、この一説をお読み下さい。



軽快に鳴りだしたピアノの音は明るく美しかった。

しかし、すぐに西澤はあることに気づいてはっ!とした。

「あの曲だ!あの曲と同じ曲だ!」

廣義がが小学校の講堂でたまたま耳にした、あの美しい先生が弾いていた
美しい音楽に間違いなかった。

なんという偶然だろう。
玉を転がすように、音階が重なって、
昇っていっては降りてきて、また昇っていく。

まるで真珠のネックレスのようだ。

武田信行著「最強撃墜王 零戦トップエース西澤廣義の生涯」
の一説です。

この「最強撃墜王」が聴いたこの曲、いったい何だと思います?

モーツァルトのピアノソナタ、ハ長調、K.545。

この曲ではないでしょうか。
わたしはこの曲を小学校三年の時発表会で弾いた記憶があります。

軽やかな音階の上下が印象的な、誰もが知るこの名曲を、
おそらく作者は、西澤廣義の物語の彩りとして採用したのでしょう。

実際に西澤の心を寄せた女性が本当にこの曲を弾いていたのか、
ことに、小学校の先生が本当にこの曲を弾いていたのかは、
限りなく可能性の低い話です。

昭和9年当時、田舎の国民小学校にピアノがあって、
さらにそれでモーツァルトを弾くような女教師がいたかどうか、
と言う意味で。


これは「最強撃墜王の恋」を、音楽という無条件に美しいもの
―しかも女性が奏でる―
その対比によっていっそうその儚さを強調するための演出です。

この手法が、この「SAMURAI!」にも取り入れられています。

マーティン・ケイディンの創作には汎世界的な価値観がちりばめられ、
それ故に世界から受け入れられた、ということを何度か語ってきましたが、
ラストシーンで投げた短刀が床でカランカランと鳴る、という表現のように、
やはり所詮はアメリカ人、日本と日本人について全く分かっとらんじゃないか、
と思うシーンはそれ以上にあったりするわけです。

坂井の叔父がピアノを自宅に持つほど裕福であったかどうかはともかく、
たとえば二人の披露宴シーンで、

ハツヨが弾くピアノに
坂井の部隊の隊員が即興で楽器を合わせてセッション三昧、

というようなことは、
戦時下のこの日本ではありえなかったという気もします。

しかし、登場人物に音楽を絡ませ、それを演奏する、あるいはこれを聴く、
といった表現の中に心情を込める、といういわばありふれた手法は、
だからこそ効果的で、作者が創作に当たってつい手を出してしまっても
これは仕方が無いことかもしれません。

さて、坂井がハツヨのピアノを最初に聴いたとき、
彼女はまだピアノを習い始めて三年目でした。
しかしそのとき彼女が弾いた

「モーツァルトのソナタ、緩徐楽章」は、

わたしには十分美しかった。

さて、この曲は何でしょうか。

ハツヨさんの進度はかなり早かったようです。
習い始めて三年くらいでは、せいぜいソナチネというのが一般的ですから。

ただし、撃墜王西澤が感激した、同じピアノソナタの二楽章であれば、
おそらく三年目の初心者でもでも弾くことはできると思われます。

モーツアルト ピアノソナタハ長調 K.545第二楽章

さて、皆で食事をし、花火をした夜、坂井がハツヨさんに

「モーツァルトを弾いてよ」

と頼みます。

返事の代わりに黙ってピアノに向かったハツヨ。
彼はそのとき千マイル離れた太平洋で行われている戦争について考えます。

目を閉じると、滑走路でタキシングする戦闘機や爆撃機から出るちかちかした排気、
ほこりや小石が後から舞い上がるのが見えた。
それは力を「クレッシェンド」しながら離陸し、夜のしじまに消えていき、
そうしてその多くが戻らなかった。

わたしはこうやって東京の郊外で息子のように愛してくれる人々の、
心づくしのもてなしを受け、胃の腑を暖かいごちそうで満たしている。
しかしあそこでは彼らは死んでいく。奇妙な世界だ。


音楽は止まった。
ハツヨはしばらくピアノの前に座ったまま奇妙な表情でこちらを見た。
その目はもの問いたげに開かれ、柔らかな声音でこういった。

「三郎さん、わたし、あなたのために弾いてあげたい曲があるの。
良く聴いて頂戴。
この曲にはわたしの言えない言葉が込められているのよ」

音楽はピアノを転がり落ち、次いで静かに持ち上げられて部屋を漂い、
かと思えばつぶされたり、舞い上がったりした。

わたしは彼女を見た。よく知っている少女だ。
しかしわたしは彼女のことを全く知らなかった。
こんなハツヨを今まで一度も見たことがなかった。


で、彼女が自分のことを愛している、と坂井は気づくわけですが、
では、この曲は何だったのでしょうか?

この答えは、坂井さんが自ら後ほど、敵機に立ち向かう寸前、
このように明かしてくれています。


私は頭を振り、頭から霧を振り払った。

音楽だ!聴くんだ!
ピアノ・・・ムーンライト・ソナタ・・・ハツヨが私のために弾いた・・

「ハツヨ、愛している!」
私が今まで言ったことのない言葉。
私は泣いた。
誰も知ることはない。
私たった一人だ。
そこには硫黄島と果てのない海があるばかりだった。

正解は月光ソナタ。
モーツァルトを多用していたこの「戦記物における音楽」界ですが、
ここに来ていきなりベートーヴェンが出てきました。

しかし、

転がり落ち、次いで静かに持ち上げられて部屋を漂い、
かと思えばつぶされたり、舞い上がったり

この部分に相当するのは、有名な一楽章

ではなく、どうやら三楽章ではないかと思われます。



しかし、この三楽章より、もっとこの表現に近い曲があると
エリス中尉は思います。

ベートーヴェンの、ピアノソナタ、「悲愴」の第一楽章



もしかしたら、こちらの曲をケイディンは「ムーンライトソナタ」
だと勘違いしていたのか、ふとそのように思ってしまいます。

有名な二楽章と共にお楽しみ下さい。



いろいろと文章からそこに流れる音楽を推察してみましたが、
文章から曲を想起し、それがどのように使用されているのか推測するのは、
なかなか味のある本の楽しみ方かもしれません。

皆様もよろしかったらどうぞ。

というわけで「大空のSAMURAI!」シリーズ、これをもって終了です。

お付き合いいただきありがとうございました。