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キャッスル航空博物館~キャッスル准将のB17と「頭上の敵機」

2013-09-26 | 航空機

アメリカ、カリフォルニア州にあるキャッスル航空博物館は、
このあたりの航空博物館の中でももっとも軍用機の展示が充実しています。 

ここでは軍用機―英語ではwarbirdというのですが―第二次世界大戦以降の戦争鳥が、
なんと現在56機、いずれもレストアされて実に整然と展示されています。

ここを訪ねると、15ドルの入場料で一枚の紙のパンフレットがもらえますが、
さらに詳しい資料がほしければ、1ドル50セントで20ページの全航空機の写真(白黒ですが)に、
ちゃんとした説明が付けられた小冊子を購入することができます。

このパンフレットにはまず、

Brigater General Frederik W. Castle  1908~1944

つまりこのキャッスル基地の名前となったフレデリック・キャッスル准将の説明があります。 



フレデリック准将の海軍兵学校(ウェストポイント)時代ご尊顔。
うむ。激しく男前である。実によろしい。

もともとここ、アトウォーターにあったキャッスル空軍基地は、
このキャッスル准将を顕彰する意味で名づけられました。


フレデリック・ウォーカー・キャッスル准将は、1908年、フィリピンのマニラで生まれました。
ウェストポイント士官学校を卒業後、エアコーアに着任。

その後航空士官としてのトレーニングを済ませてから、
一端は軍籍を残したままニューヨークのナショナルガードに出向していましたが、
空軍に再び戻ってきたときに、あのアイラ・エーカー准将



この「空爆の神様」(今勝手に命名)がイギリスで組織し指揮する第8空軍のメンバー、
8人の士官のうちの一人に指名されます。
やたら8ににこだわっていますが、やはり八は末広がりで縁起がいいからですね、きっと。

この8人は「 エーカーのアマチュア」と呼ばれていたそうです。
なぜそう呼ぶのか意味は分かりませんでした。
おそらく、エーカーがプロフェッショナルなので、部下はアマチュアでいいという意味でしょう。(適当)

エーカーは、昼間「精密爆撃」をあくまでも主張する、どこぞのルメイに爪の垢でも
煎じて飲ませてやりたいような軍人だったようです。

まあ、エーカーならずとも当時のヨーロッパ戦線では「白昼精密爆撃」が基本だったそうで、
このことも別に書きますが、大戦末期になってくるとアメリカはそういった
「正義」をかなぐり捨てることになり、たとえば日本に対してあくまでも「精密攻撃」を主張した日には、
左遷させられてしまったりしたわけですけどね。(嫌味)




その後数多くのミッションに参加し、准将に昇進したキャッスルは、1944年12月、
―それはちょうど彼の30回目のミッションに当たる日だったのですが― 
ベルギーのリーニュ上空で乗っていたB-17が撃墜され、戦死しました。

彼の乗っていたB-17は目的地に向かう途中4つのうちのひとつのエンジンの出力を失い
編隊からはずれたところをドイツ軍のME‐147に攻撃されたのです。
運悪く、悪天候のため爆撃隊の掩護に当たるはずのP-51はまだ到着していませんでした。

機は失速していきましたが、そのとき友軍の上空を飛んでいたため、
彼は機体を軽くするために爆弾を投棄することを拒否しました。
全てのクルーはせめて准将が機が爆発する前に脱出してくれることを祈るしかありませんでした。

キャッスルが機を必死で立て直している間、B-17のクルーは9人のうち7人が
パラシュートで脱出を試みました、

パイロットは脱出したもののノーズにパラシュートが引っ掛かってしまいます。
最後までキャッスルは操縦席で機をコントロールし続けましたが、その時B-17は
右翼の燃料タンクが爆発をおこしてそのまま墜落しました。

結局9人の乗員のうち、生還できたのは5名でした。




ここキャッスル航空博物館に展示されているB-17フライングフォートレス

実際に見ると、あまりの大きさに言葉を失ってしまうくらいで、まず感想は

「よくこんなものが空を飛べるなあ」

でした(笑)
でも、よく考えたらこの飛行機が飛び回っている映画があったんですね。
しかも、白黒映画で当時まだ健在だったB-17が多数出演しており、
第二次世界大戦のルフトバッフェとの空戦と空爆の模様がばっちり観られる映画が。(←前振り)


しかしこのB-17は、ボーイングの爆撃機の中で最も有名なものでしょう。
B-17は、キャッスルの所属したエーカー准将の第8空軍が使用していたことからもわかるように
おもにイギリスに配備されて使用されました。

第15空軍には6機のフライングフォートレスが配備され、こちらはイタリアでの運用が主です。



このドームには上部旋回銃手兼航空機関士が配備されます。

冒頭写真の尾翼に描かれたAは、ABCという風に編隊のにつけられた認識文字です。

機体には、第8空軍の第3航空支隊、第94爆撃グループの印があります。
ペイントされているのは「ヴァージンのお楽しみ」みたいな?
意味わかりませんけど。



ところで、もう一度キャッスル准将が「エーカーのアマチュア」として
第8空軍に赴任したところに話を戻します。

選ばれたほかのメンバーと同じく、キャッスルは戦闘指揮を望んでいましたし、
彼自身のためにも、エーカー准将のためにも昇進を希望していました。

1943年6月、キャッスルは94爆敵隊の指揮を任せられるのですが、
ここではある種の「モラル崩壊」がおきていたそうです。
それも不運とと度重なる出撃がもたらす戦死の多さからデスペレートに陥り、
やる気と戦意が著しく低下していることからくるものだったのですが、
キャッスルは隊長としてこの事態を何とかしようとします。

本質的にキャッスルという人間は孤高のタイプで、他の士官に仕事をまかせてしまうような
そういう指揮官としては「弱点」と呼ぶべき部分がないでもなかったようで、
こういう部隊を任されて部下の士気を高めることの難しさを実感したとと思われますが、
自分が嫌われても部下を強いリーダーシップで引っ張っていこうとする姿は
次第にいい結果につながっていきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


はて、どこかでこの話を聞いたことがあるぞ、と思われた方。
いるでしょ?そこのあなたとか、あなたとか。

そう、グレゴリー・ペックの主演した「頭上の敵機」Tweleve O'clock highですね。
いかにも戦後の「アメリカバンザイ」みたいな国威発揚映画なら観る気がしない、といったわたしに

「そうではなく、これは学級ならぬ部隊崩壊を起こしている軍隊に来た、
 熱血教師ならぬ熱血隊長の涙と感動の(ただし暗い)映画である」

と観ることをお勧めくださった婆沙羅大将としんさん、ありがとうございました。
これを見ていたおかげで、キャッスル准将の話とこの映画が見事につながりました。



もともと「Tweleve O'clock high」は実在の第306爆撃隊を指揮した、
フランク・A・アームストロング少佐が経験したことが ベースになっています。
キャッスル准将の体験した第94爆撃隊のモラル崩壊はこれほどひどくはなかったそうですが。

アームストロングの話はこれより少し早い時期の話ですが、つまりは
それもこれもヨーロッパ戦線での戦況と、いわば「アメリカの良心」、つまり、
前述の「メンフィス・ベル」でも「頭上の敵機」でも描かれた、「白昼ピンポイント攻撃」、
不必要な市民殺害を避けようとするこの方法が逆手に取られて、
ドイツ軍には非常に「撃退しやすい」攻撃法だったことが関係していると思われます。

このことについて、少しお話ししたくなったので、別エントリで「頭上の敵機」を取り上げます。


そんなある日、キャッスルはドイツのオシャースレーベンにあるフォッケウルフ製造工場を
重爆撃するという任務を指揮します。
気象条件が悪く、爆撃隊の編隊を組むことすらできない状態で、ごく少数の落伍機を残し、
キャッスルの爆撃隊は、目標の工場だけをピンポイント爆撃することに成功し、
この戦果を以てキャッスルにはシルバースター勲章を授与されています。

そして、この作戦が、サイ・バートレットの手による「Tweleve O'clock high」
の中で、グレゴリー・ペック率いる918爆撃隊が行った重爆撃として描かれているというわけです。

 

30回目のミッションで戦死したキャッスル准将は名誉勲章を与えられ、その名は
アトウォーターの空軍基地に彼の栄誉をたたえて残されました。
准将は、撃墜されたベルギーのリエージュにあるアメリカ人墓地に今も眠っています。