フナインの戦
ヒジュラ暦8年シャウワール月
197.アッラーの御光を消す試み:
イスラーム勢力によるマッカ征服が叶い、人々が群れを成してイスラームに帰依するようになると、アラブは最後の弓をイスラームと信徒たちに解き放つのですが、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)とアラブ半島におけるイスラームの広がりに対する戦いはむなしい結果に終わります。
198.ハワーズィンの集合:
ハワーズィンはクライシュの次に強大な力を持つ部族で、クライシュの競争相手でした。彼らはクライシュが屈服したもの(イスラーム)に屈服せず、イスラーム根絶における名声を得られたらと考えました。「ハワーズィンはクライシュが出来なかったことを成し遂げた」、と言われるようになれたら、と。
ハワーズィンのリーダー、マーリク・イブン・アウフ・アン=ナスリーは立ち上がり、戦に人を呼びかけました。するとハワーズィンにサキーフ、ナスル、ジャシュム、サアド・イブン・バクルが集まり、カアブとキラーブはハワーズィンに反しました。マーリクはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に向けて出発しました。家族と尊厳を庇えるよう、財産や女性、子どもも一緒に連れて行きました。
ハワーズィンの男、高齢で戦の経験も豊富でアイディアと英知を持つドゥライドゥ・イブン・アッ=スンマも戦に参加しました。彼らはアウタースという地に落ち着きます。そこではラクダもロバも羊も子どもも泣き叫ぶ慌ただしい状況となりました。マーリクは人々に言いました:ムスリムを見かけたら、おまえたちの剣のさやを壊すのだ。そして一人の男であるかのように一体となるのだ」
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はマッカの2000人の住人と出発しました。彼らの中にはイスラームに帰依して間もない者、まだ帰依していない者がいました。そして10000人のマディーナから一緒に来ていた教友たちも。信徒たちの数は、今までの戦の時にはいなかったほどになりました。今回は数の少なさで負けることはない!と信徒たちの一人が言うほどでした。
またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、多神教徒であったサフワーン・イブン・ウマイヤから鎧と武器を借りて、ハワーズィンと対面するために進みました。
199.偶像崇拝へ帰ることはない:
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と共にフナインへ、無明時代から抜けて間もない人が同行していました。かつてある部族には大きく緑色に茂る、ザート・アヌワートと呼ばれる木があり、彼らはそれを毎年訪れて、そこに武器をひっかけて、その下で動物を屠り、一日中そこで身をかがめていました。
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に同行していた彼らにかの木が視界に入ると、もう放棄したはずのかつての儀式や長い時間が過ぎたあの光景が懐かしく感じられたのです。彼らは思わず言ってしまいます:アッラーの使徒さま!私たちにも、彼らのザート・アヌワートのようなザート・アヌワートを設けてください!アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は答えて言われました:アッラーフアクバル!ムハンマドの魂をその御手の中にされる御方に誓って、おまえたちはムーサーの民がムーサーに言ったような事を言った:「「ムーサーよ、われらに彼らの神々のような神を作ってくれ」。彼は言った。「まことにおまえたちは者を知らない民である」」(高壁章138節)おまえたちは先代の慣行をそのまま行うのである。
200.フナインの谷にて:
信徒たちがフナインの谷に到着したのは、ヒジュラ暦8年シャッワール月10日でした。先に到着していたハワーズィンは、谷の細かいところで待ち伏せていたので、信徒たちは不意に弓を浴びせられてしまいます。容赦なく剣にも襲われ、弓術に長けていたハワーズィンは一人の大男のように一体となって迫って来たのです。
信徒たちは戻る他に術はなく、とどめを刺されそうになっていました。その様子はちょうど、ウフドの戦の際に預言者(アッラーの祝福と平安あれ)が亡くなったとの嘘の知らせを聞いて信徒たちが後退してしまった時と同じでした。
(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P347~349)
ヒジュラ暦8年シャウワール月
197.アッラーの御光を消す試み:
イスラーム勢力によるマッカ征服が叶い、人々が群れを成してイスラームに帰依するようになると、アラブは最後の弓をイスラームと信徒たちに解き放つのですが、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)とアラブ半島におけるイスラームの広がりに対する戦いはむなしい結果に終わります。
198.ハワーズィンの集合:
ハワーズィンはクライシュの次に強大な力を持つ部族で、クライシュの競争相手でした。彼らはクライシュが屈服したもの(イスラーム)に屈服せず、イスラーム根絶における名声を得られたらと考えました。「ハワーズィンはクライシュが出来なかったことを成し遂げた」、と言われるようになれたら、と。
ハワーズィンのリーダー、マーリク・イブン・アウフ・アン=ナスリーは立ち上がり、戦に人を呼びかけました。するとハワーズィンにサキーフ、ナスル、ジャシュム、サアド・イブン・バクルが集まり、カアブとキラーブはハワーズィンに反しました。マーリクはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に向けて出発しました。家族と尊厳を庇えるよう、財産や女性、子どもも一緒に連れて行きました。
ハワーズィンの男、高齢で戦の経験も豊富でアイディアと英知を持つドゥライドゥ・イブン・アッ=スンマも戦に参加しました。彼らはアウタースという地に落ち着きます。そこではラクダもロバも羊も子どもも泣き叫ぶ慌ただしい状況となりました。マーリクは人々に言いました:ムスリムを見かけたら、おまえたちの剣のさやを壊すのだ。そして一人の男であるかのように一体となるのだ」
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はマッカの2000人の住人と出発しました。彼らの中にはイスラームに帰依して間もない者、まだ帰依していない者がいました。そして10000人のマディーナから一緒に来ていた教友たちも。信徒たちの数は、今までの戦の時にはいなかったほどになりました。今回は数の少なさで負けることはない!と信徒たちの一人が言うほどでした。
またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、多神教徒であったサフワーン・イブン・ウマイヤから鎧と武器を借りて、ハワーズィンと対面するために進みました。
199.偶像崇拝へ帰ることはない:
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と共にフナインへ、無明時代から抜けて間もない人が同行していました。かつてある部族には大きく緑色に茂る、ザート・アヌワートと呼ばれる木があり、彼らはそれを毎年訪れて、そこに武器をひっかけて、その下で動物を屠り、一日中そこで身をかがめていました。
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に同行していた彼らにかの木が視界に入ると、もう放棄したはずのかつての儀式や長い時間が過ぎたあの光景が懐かしく感じられたのです。彼らは思わず言ってしまいます:アッラーの使徒さま!私たちにも、彼らのザート・アヌワートのようなザート・アヌワートを設けてください!アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は答えて言われました:アッラーフアクバル!ムハンマドの魂をその御手の中にされる御方に誓って、おまえたちはムーサーの民がムーサーに言ったような事を言った:「「ムーサーよ、われらに彼らの神々のような神を作ってくれ」。彼は言った。「まことにおまえたちは者を知らない民である」」(高壁章138節)おまえたちは先代の慣行をそのまま行うのである。
200.フナインの谷にて:
信徒たちがフナインの谷に到着したのは、ヒジュラ暦8年シャッワール月10日でした。先に到着していたハワーズィンは、谷の細かいところで待ち伏せていたので、信徒たちは不意に弓を浴びせられてしまいます。容赦なく剣にも襲われ、弓術に長けていたハワーズィンは一人の大男のように一体となって迫って来たのです。
信徒たちは戻る他に術はなく、とどめを刺されそうになっていました。その様子はちょうど、ウフドの戦の際に預言者(アッラーの祝福と平安あれ)が亡くなったとの嘘の知らせを聞いて信徒たちが後退してしまった時と同じでした。
(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P347~349)
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