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80. 眉をひそめて (アバサ)【1】

2007年09月10日 | ジュズ・アンマ解説
 解説と学習

 この章は、人間と植物における神の創造力について話しています。同様に、審判とその恐ろしさ、そして、アッラーの使徒であるムハンマド(アッラーの平安と祝福がありますように)対するアッラーの叱責の言葉もあります。

 章は、アッラーの使徒(アッラーの平安と祝福がありますように)と盲目で貧しい、アブドゥッラー・ブン・ウンミ・マクトゥームという教友の間に起こった出来事の言及で始まります。アブドゥッラーは、クライシュ族の長たちとの会話で忙しくしているアッラーの使徒(アッラーの平安と祝福がありますように)のもとを訪れました。アッラーの使徒(アッラーの平安と祝福がありますように)は、長たちのイスラームへの改宗を願っていましたが、それによって彼らの追従者がイスラームに帰依することを望んだためです。「アッラーの使徒よ、アッラーがあなたに教えたことを私にも読み聞かせ、そして教えてください。」と、人々と忙しくしている預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)の様子が分からないアブドゥッラーは声をかけました。長たちとの話し合いを中断する行為を嫌った預言者が眉をひそめた直後にこの節が下りました。

 「(ムハンマドは)眉をひそめ,顔を背けた。一人の盲人がやって来(て話が中断され)たためである。あなたにどうして分ろうか,かれは清められるかも知れないことが。または訓戒を受け入れて,その教えはかれを益するかもしれないことが。だが何の助けもいらない者(財産家)には,(関心をもって)応待する。しかもかれが自ら清めなくても,あなたに責任はない。だが熱心に(信仰を)求めてあなたの許に来た者で,畏敬の念を抱いている者には,あなたは軽視した。」

 預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)は盲人に対して眉をひそめました。ここで、クルアーンが「あなたは眉をひそめ、顔を背けた」と二人称ではなく、三人称で「彼は眉をひそめ、顔を背けた」と表現を選んでいるところがポイントです。これは、アッラーの預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)に対する優しい配慮です。

 続けてアッラーは預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)に語りかけます。
 「あなたにどうして分ろうか,かれは清められるかも知れないことが。」、つまり、ムハンマドよ、あなたが眉をひそめたこの盲人が、あなたから得られる導きで罪から清められるかもしれないことがどうして分かろうか。
 「または訓戒を受け入れて,その教えはかれを益するかもしれないことが。」、またはあなたから耳にする導きによって訓戒を得、あなたの教えが彼に役立つかもしれないことが。
 「だが何の助けもいらない者(財産家)には,」、だが信仰やあなたの持つ導きを不要とする者には、
 「(関心をもって)応待する。」、彼らを導くことに関心を持って、彼らの前に現れる。
 「しかもかれが自ら清めなくても,あなたに責任はない。」、彼らが改宗せず、不信から清められなくてもあなたに責任はない。
 「だが熱心に(信仰を)求めてあなたの許に来た者で,畏敬の念を抱いている者には,」、アッラーを畏れ、善を求めて急いでやって来た者には、
 「あなたは軽視した。」、彼に背を向けて、違うことに忙しくした。

 預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)は、イスラーム布教にとって最善な立場を取ろうと努力したのであり、盲人を教えることを嫌がっているわけではありません。アッラーはここの叱責で、地位のある特権者たちを排除し、障害を持っているとしても善い意図を志す人たちを賞賛することを呼びかけています。彼らは、真実の言葉を愚弄する者たちの社会的地位がどんなに高くても、優位にあります。ですから、盲人の弱さと貧しさが預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)が眉をひそめる原因になってはいけないし、盲人からたくさんの間違いが現れたとしても、彼を否定することは正しくありません。なぜなら彼は、感覚を研ぎ澄ませ、善い心を持って、アッラーのしるし(クルアーン)を聞けば訓戒を得るからです。

 この盲人は、預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)が眉をひそめた顔を見ておらず、その事実をも知っていませんが、この行為は最善のものに反していました。アッラーの、預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)に対するこの節によっての叱責は、信徒たちに、盲人たちのために学習の機会をつくることと、彼らの繊細な感情を傷つけないようにすることを教えています。これと同時に、アッラーの導きを求めて精進する盲人たちへの賞賛もあります。

 違う観点から見ると、この神的叱責は、クルアーンがムハンマド(アッラーの平安と祝福がありますように)の預言者性を確証する神の啓示であることを証明していることがあります。もし預言者ムハンマド(アッラーの平安と祝福がありますように)が預言者でなく単に強い男で、他の人たちが言っているように、クルアーンは彼が著したものであるとすれば、自分が叱責される場面が存在することを承知しなかったでしょう。そして、この叱責がアッラーの啓示によることである、と言われることも承知しなかったでしょう。
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