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90. 町 (アル・バラド)【1】

2008年05月08日 | ジュズ・アンマ解説
 この章は、人間は苦労や災難に悩むものとして創造されたことと、善行によって危機を乗り越えることにより来世で恩恵を入手できることを解明しています。

 至高なるアッラーは、まずマッカにおける誓いの言葉でこの章を始められました。「われはこの町において誓う。」この町の徳にちなんで誓われています。アッラーはこの町を聖域且つ安全とされました。そしてアッラーはこの町のマスジドを礼拝におけるキブラ(方向)とし、巡礼の行き先として人々に命じました。

 アッラーはムハンマド(平安と祝福がありますように)について章中で言及することで、彼に栄誉を与えています。彼(平安と祝福がありますように)がマッカに留まることで、この町はさらに誉れ高くなるとも仰っています。「あなたはこの町の(居住権を持つ)住民である。

 またアッラーは「生む者と生まれる者にかけて」誓っておられます。この文章が意図することは、アッラーのみご存知ですが、アーダムと生まれた者として理解できるでしょう。世代が次々に続き、子孫たちは先代の習慣や性格を継いでいきます。その中には、明確な神の強力なお力の証拠があります。

 続いて、誓いのこたえ(ジャワーブルカサム)が言及されます:「本当にわれは,人間を労苦するように創った。」つまり、人間は家畜の位から上昇できるよう、苦労と災難を味わうよう作られている、という意味です。人間の人生は、生まれてから死ぬまでさまざまな痛みに取り囲まれています。人間はこの意味を受け入れなければならず、自分の人生と思考をそれに合わせて調整する必要があります。そのため、苦難や問題の解決に驚くことはありません。

 人間は、虚栄をもたらす権力や富にとり憑かれ、度を越したり、不義をなすことがあります。ここでアッラーは仰ります:「彼(人間)は,何ものも,自分を左右する者はないと考えるのか。」つまり、この人間は自分が報復から逃れられると思っているのか、という意味です。彼の思い込みには意味はなく、彼はしっかりとアッラーの手中にあるのです。彼が自分の幾財産を善行のために差し出すように声をかけられると、「彼は,「わたしは大変な財産を費した。」と言う。」つまり、私はたくさんの金を差し出した、という意味になりますが、彼は大概の場合、自分の私欲を満たすためのみに金を費やしました。「彼は,誰もかれを見ていないと考えるのか。」つまり、彼は、かつてこの金を費やしたことをアッラーはお尋ねにならない、また費やした目的に報われないとでも思っているのか。それは善のためだったのか、それとも悪のためだったのか、お尋ねにならないと思っているのか、という意味です。

 続けてクルアーンは、アッラーの至福や、人間にお与えになった恩恵を解明していきます:

 「われは,かれのために両目を創ったではないか,また一つの舌と二つの唇を。更に二つの道をかれに示した(ではないか)。

 アッラーは人間に二つの目をお授けになりました。それは私たちの知っているような精巧さと奇跡的な構造を持ち合わせています。この目の恩恵により人間は生活を送ることができ、見るという楽しみで至福を味わいます。そのため人間はアッラーに視覚の恩恵を感謝し、禁じられたものを見ることがないように、視覚を守らなければなりません。またアッラーは人間に舌と唇をお与えになり、それにより味わうことと、話すことが可能になりました。もし言葉遣いを間違えてしまったときは、アッラーの恩恵を思い出さなければいけません。そのため、善いことのみ口にするようにしましょう。

 アッラーは人間に、善と悪を感じることの出来る力をお与えになり、また両者を区別する理性をもお与えになりました。「更に二つの道をかれに示した(ではないか)。」つまり、われは彼に善と悪の二つの道を見せしめ、明解にした、という意味です。そのため人間は不幸が潜む悪の道を辿るべきではなく、正しい道を辿るべきです。そして悪の道と天国を隔てる障害物を越えていかなければいけません。

(5/12に一部内容を変更しました。)
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