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幸せ者と不幸者

2008年06月28日 | 花嫁の冠【自我浄化】
 人生の前部が失われたら、その後部を守るべきであることを知りなさい。10人の息子のうち9人が死んで、一人だけ子が残った女性がいるとしよう。この人は最後に残った息子に愛情を注ぐではないか。あなたはすでに寿命のほとんどを失くしたのだから、残されたものを大切にしなければいけない。それは微量の水滴(のよう)だ。

 アッラーに誓って言うが、年齢というものは、あなたが生まれた日から始まるのではなく、あなたがアッラーを知った日から始まる。

 幸福なる人々と不幸なる人々の間は開いている:幸福なる人々がアッラーに背く人を見かけると、表向きには彼を否定し、心の中で彼のために祈る(*)。不幸なる人々は彼に恨みを晴らすかのように彼を否定する。恥を公表して彼の尊厳を傷つけるかもしれない。信者とは、公から兄弟を公から覆い、二人きりのとき(他人に知られないため)に助言するものである。不幸なる人々は正反対のことをする:誰かが罪を犯すのを目にすると、彼から戸を閉めてしまう。そして彼の罪を暴く。彼らの視覚に光がもたらされることはない。彼らはアッラーに遠く離されてしまった人たちである。

 もし誰かの理性を試してみたいのであれば、特定の人について彼に話してみるといい:悪いことを繰り返して口にし、「そんなやつの話はやめよう、そいつは~~していたんだし」と言うようであれば、この人の内部は荒廃していて知などないと思え。しかし第三者についていいことを話すか、いい人であろうと思わせる話し方をして「たぶん彼は間違えたんだろう」とか「きっと事情があったんだろう」と言う人。このような人の内部は栄えていると思え。信者は、自分兄弟である信者の尊厳を守ることに勤めるものである。

(*)アブッ・ダルダーゥが罪を犯したために人々に罵倒されている男に通りかかった。「もしこの男が井戸に落ちてしまっていたら、あなたたちは彼を助けようとしないのか?」と言った。人々は「そんなことはない。」と言った。アブッ・ダルダーゥは続けて、「それなら、あなたたちの兄弟を罵るのをやめて、悪行からあなたたちをお守りになったアッラーを賞賛しなさい。」と言った。人々が「ではあなたはこの男を否定しないのですか?」と言うと、「私は彼の行いを否定する。もしそれを止めれば彼は私の兄弟である。」とアブッ・ダルダーゥは答えた。
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