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信者についてなど

2008年05月03日 | 花嫁の冠【自我浄化】
 “ムウミン(信仰者)とは?”とたずねられたら、こう答えるがいい。
 “自分の恥を見つめ、しもべの一人にも恥と関連させない者(訳者注:自分は恥だらけであると認めるが、他人はそうではないと考える者)のことである”と。

 “騙される者とは?”とたずねられたら、こう答えるがいい。
 “しもべに恥を関連させるが、自分は恥と無関係であるとする者(訳者注:他人こそ恥だらけで、自分は無垢であると考える者)である”と。

 現代の人々が慣れてしまったことの一つに:罪深い人たち(*)と楽しんだり、彼らに安堵を感じていることがある。彼らが眉間にしわを寄せ、不快であることを顔で表したなら、そうすることで、罪人たちに否定的立場にあることを知らせることが出来たであろうに。

 “完全なる門”があなたに開かれたとしたら、あなたは決して、“つまらない事柄”に戻ることなどしないであろう。考えてみなさい。誰かに豪邸の門が開かれたとしたら、さてこの人は“ゴミ捨て場”に戻るだろうか?!・・・

 あなたから(悪を行う)創造物に対する愛情をかれ(訳者注:アッラー)が抜き取ってくださったとしたら、それはかれのあなたに対する配慮であるから、喜びなさい。そして、罪が起きたとしても、それと共に屈辱感が存在しなければいけない。あなたはかれに背き、かれはあなたを高めるとでも思うのか。決してそうではない。かれは尊厳をターア(仕えること)に結びつけ、また屈辱を罪に結び付けられた。そうすることにより、かれへのターアは光と誇りになり、覆いが取り除かれる。反対のことを言えば、罪は暗闇であり、屈辱であり、あなたとかれの間を隔てるものである。・・・

 あなたの息子が背いたら、シャリーアでしつけること。決して無視してはいけない。子供が悪さをやめるために、しかめ面で対応するように。信者が罪を行っている場合、恥や疑いを多く持つようになるが、そうなると暴露されるか、嘲笑されるだろう。人々がそう行った場合、彼らは確実に道を踏み違ったと言える。

 信者が罪を犯すと、巨大な穴に落ちたと言える。彼にとっての解決法は、あなたが背いた息子を接するように、彼にも同じように接することである。外見では彼を咎め、内心では彼に慈悲深くあること。そして見えないところで彼のために祈ることだ。

 現世の民に与えられたものを妬み、彼らの所有するもので心忙しくすることがどんなに無意味なことがあなたにはまだ分からないのか。そうしていると、あなたはかれらよりも無知であることになる。なぜなら彼らは与えられたもので多忙になり、あなたは与えられていないもので多忙になっているからである。

 目やにが溜まって病めば、あなたはその治療をするだろう。その原因は何かと言うと、あなたが現世の享楽を目で味わったためほかならない。それでもあなたは現世の(見せ掛けの)美しいものを見逃すまいと目の治療をし、40年間バスィーラ(心の視力)を病ませる。それでもあなたは治療をしないのか。

(*)アッラーの使徒(アッラーの平安と祝福がありますように)は言われた:《イスラエルの民に入った初めての欠点は、かつて男が出会った男に:おい、アッラーを畏れて、行っていることを止めろ。それは禁じられていると言ったが、後日また同じ男に出会い、まだ同じ状態であるのに、この男は彼を諭さなかったことである。これは、(罪を犯す男と)一緒に食事をし、飲み、座る者であること意味する。このようなことを彼らが行ったことにより、アッラーは彼らの心どうしをぶつけ合ったのである。・・・》

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3 コメント

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質問 (マルワ)
2008-05-04 12:55:48
1.あなたの息子が背いたら、シャリーアでしつけること。→ シャーリアとはなんでしょうか?

2.アッラーの使徒(アッラーの平安と祝福がありますように)は言われた:《イスラエルの民に入った初めての欠点は、。。の節は他の人が悪いことをしていても諭さないというのは、自分も同じような行いをしているのと同じと言う意味でしょうか?
もし その解釈で良ければ 実践するのは(間違ったことをしている周りの人たちに忠告すること)とっても難しいなあと思って...
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RE質問 (伊曼(管理人))
2008-05-05 06:25:51
マルワさん、お元気ですか?コメントありがとうございます!

1.シャリーア:俗に言うイスラーム法。サラー、サウム、などの崇拝行為から、結婚、売買などの規則を扱う法学です。

2.他の人が悪いことをしていても諭さないというのは、自分も同じような行いをしているのと同じと言う意味でしょうか?

こういうハディースがあります:《誰でも悪を見かけたら、手でそれを変えるようにしなさい。それが出来ないなら、舌(口)で。それが出来ないなら、心で。(心で変えること)それは最も弱いイーマーン(信仰)である。》(ムスリム伝承)

このハディースの説明をしているとすんごく長くなるので、要点だけを。

自分の権力が及ぶ範囲の場合、「手」で悪を変える、もしくはその努力をすべきです。ごみを拾うとか、力持ちであれば、瓦礫の下にいる人を助けるとか。
「手」が無理そうなら、「舌」で。アドバイスですね。力が無いから、つぶれている人を助けてあげて!と力持ちに頼むとか。
「舌」も無理そうなら、「心」で。某君主が虐殺し、自分は力で変えることも、口で変えることも出来ない(そんなことすると自分も殺されるとか)場合、心で「これは悪だ。正しくない。私は満足しない。」と思うこと、これです。

ということで、他人の悪行を諭さないことは、自分も同罪に陥る・・これは必ずしもってわけじゃないはずです。自分の力が及ぶ範囲ではない場合、心で認めないだけでも大切なことです。

そもそも、周りの人みんなを自分の手で変えるのは難しいですし、他人を私の欠点を直すのも難しいですよね。

ま、理想は「善を命じ、悪を禁じる」心構えですね。
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ありがとう (マルワ)
2008-05-05 07:56:36
ありがとうございました。
なるほど、最低心だけでも 認めないって事なら、実践できそうな気がします。
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