84. 割れる (アル・インシカーク)
【解説】
この章は、最後の審判の日が近づくと現れる徴候について言及しながら、人間の行く着くところは彼らの主であり、自らの行いの報いを与えることを説明します。 この章の頭では、大地と天がアッラーに服従することをはじめとした、審判の日に起こる大地の変動について語られます。このことはアッラーのお言葉「従う時」で強調されています。つまり、大地と天がアッラーの命令に従うことは、それらの主であるかれに対して確たる義務であり、それらすべてはかれの手中にある、ということです。こういう始まり方は、読む者の心に畏敬と、アッラーに従順でいようとする気持ちを起こさせます。この気持ちは、天地が主に服従する描写に反映されて起こります。
アッラーはおっしゃれらます:
「天が裂け割れて,その主(の命)を聞き,従う時,大地が延べ広げられ,その中のものを吐き出して空になり,その主(の御命令)を聞き,従う時。」
「天が裂け割れて」ひびが入り、粉々になる様子です。
「その主(の命)を聞き,従う時」天は主の命令を聞き、割れるようにという命令に従います。そしてかれに服従することは天の義務です。
「大地が延べ広げられ」面積が大きくなります。
「その中のものを吐き出して空になり」大地は中に埋められた死人を生きた状態で放り出します。
「その主(の御命令)を聞き,従う時」大地は主の命令を聞き、従います。その命令はとは、大地の中にあるもの全てを外側へ放り出すことです。大地にとって主の命令に従うことは、義務なのです。
そしてクルアーンは、世界を動かす尋常でない神の力の偉大さを描写します。人間が地上における自身の存在の真実について思い直し、自分の最後に行き着く場所は自分の主の許であることを自覚するためです:
「おお人間よ,本当にあなたは,主の御許へと労苦して努力する者。かれに会うことになるのである。」
意味:おお人間よ、本当にあなたは現世で主のために頑張り、努力する。あなたはやがて、善い行い・悪い行いを持って主に会うことになる。だからこそあなたの行いは、主が満足するものであるべきで、決してかれの怒りを招き、自分の滅亡につながるものであってはいけない。
続いて、クルアーンは私たちに、主に従い、主の満足を得た人たちの喜ばしい様子を教えてくれます:
「その時右手にその書冊を渡される者に就いては、かれの計算は直ぐ容易に精算され,かれらは喜んで,自分の人々の許に帰るであろう。」
至高なるアッラーは言います:右手に行いの書を渡されるとことは、吉報の証であります。それは「かれの計算は直ぐ容易に精算され」です。容易な計算が何かというと、全ての行いが目の前に提示されることです。最後の審判の日に信者の行いは広げられますが、その悪いものは赦され、善いものには報酬があります。「かれらは喜んで,自分の人々の許に帰るであろう。」天国で彼らはアッラーから頂いた恩恵に喜んで自分たちの家族のところに戻ります。
【解説】
この章は、最後の審判の日が近づくと現れる徴候について言及しながら、人間の行く着くところは彼らの主であり、自らの行いの報いを与えることを説明します。 この章の頭では、大地と天がアッラーに服従することをはじめとした、審判の日に起こる大地の変動について語られます。このことはアッラーのお言葉「従う時」で強調されています。つまり、大地と天がアッラーの命令に従うことは、それらの主であるかれに対して確たる義務であり、それらすべてはかれの手中にある、ということです。こういう始まり方は、読む者の心に畏敬と、アッラーに従順でいようとする気持ちを起こさせます。この気持ちは、天地が主に服従する描写に反映されて起こります。
アッラーはおっしゃれらます:
「天が裂け割れて,その主(の命)を聞き,従う時,大地が延べ広げられ,その中のものを吐き出して空になり,その主(の御命令)を聞き,従う時。」
「天が裂け割れて」ひびが入り、粉々になる様子です。
「その主(の命)を聞き,従う時」天は主の命令を聞き、割れるようにという命令に従います。そしてかれに服従することは天の義務です。
「大地が延べ広げられ」面積が大きくなります。
「その中のものを吐き出して空になり」大地は中に埋められた死人を生きた状態で放り出します。
「その主(の御命令)を聞き,従う時」大地は主の命令を聞き、従います。その命令はとは、大地の中にあるもの全てを外側へ放り出すことです。大地にとって主の命令に従うことは、義務なのです。
そしてクルアーンは、世界を動かす尋常でない神の力の偉大さを描写します。人間が地上における自身の存在の真実について思い直し、自分の最後に行き着く場所は自分の主の許であることを自覚するためです:
「おお人間よ,本当にあなたは,主の御許へと労苦して努力する者。かれに会うことになるのである。」
意味:おお人間よ、本当にあなたは現世で主のために頑張り、努力する。あなたはやがて、善い行い・悪い行いを持って主に会うことになる。だからこそあなたの行いは、主が満足するものであるべきで、決してかれの怒りを招き、自分の滅亡につながるものであってはいけない。
続いて、クルアーンは私たちに、主に従い、主の満足を得た人たちの喜ばしい様子を教えてくれます:
「その時右手にその書冊を渡される者に就いては、かれの計算は直ぐ容易に精算され,かれらは喜んで,自分の人々の許に帰るであろう。」
至高なるアッラーは言います:右手に行いの書を渡されるとことは、吉報の証であります。それは「かれの計算は直ぐ容易に精算され」です。容易な計算が何かというと、全ての行いが目の前に提示されることです。最後の審判の日に信者の行いは広げられますが、その悪いものは赦され、善いものには報酬があります。「かれらは喜んで,自分の人々の許に帰るであろう。」天国で彼らはアッラーから頂いた恩恵に喜んで自分たちの家族のところに戻ります。
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