アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

第三の目の技法

2023-03-12 06:54:37 | 覚醒のアーキテクチャー

◎何かまずいことが起こりそうだと感じたら中止する

 

冥想では、閉眼と開眼と半眼がある。半眼ではエネルギーが体内で還流するが、閉眼と開眼では、エネルギーは流出あるいは体外と交換する。

 

第三の目と言えば、1ドル札だったり、石屋のシンボルを思い浮かべることが多いが、インドや西洋だけの特許ではない。第三の目は誰にでもあるからである。

 

OSHOバグワンは、第三の目について重要な言及をしている。

曰く、

  1. 両目は、肉体にある。第三の目は、アストラル体(sookshm shareerスクシュマ・シャリール)にある。

 

  1. エネルギーが肉体にある時、両目は物質ばかり見るが、第三の目で見る時は、相手の見え方は肉体でなく、アストラル体、魂、霊性になる。

 

  1. 第三の目が機能して初めて、別次元に入れる。

 

  1. 見ることには、エネルギーが要る。そのエネルギーが両目で働けば、肉体の両目が見えるが、第三の目は見えない。そのエネルギーが第三の目で働けば、第三の目は見えるが、両目は見えない。

よって、そのエネルギーを第三の目に転移させれば、「第三の目」は開く。

一点を見つめて両目を静止させれば、そのエネルギーは両目に流れず、どこかへ行こうとする。第三の目の位置は、両目の間で深さ半インチほどのところだが、両目に近いがゆえにそのエネルギーはひとりでに第三の目に流れる。

 

  1. 第三の目が開けば、他人の死期が見える。怒りなどのオーラが見える。

 

  1. 両目が停止した場合で、そのエネルギーが噴出して頭蓋骨の第三の目部分に穴があくという事故もある。チベットでは、そのエネルギーを通りやすくする外科手術もあった。

 

  1. アストラル体が見えれば、それだけでよいということではなく、アストラル体が死ななければ、輪廻転生というカルマから抜け出せない。これは、誰でも肉体が死ねば悟れるということではないのと同じ。

 

(参照:ヴィギャンバイラブタントラ 第三巻/OSHOP231-244)

 

だが、本当に両目を静止させただけで、第三の目が開くような代物でないことは皆もよくご承知のとおり。また、素人がそういうことを見よう見まねでやった場合、頭蓋骨に穴が開くなど死の危険もある。だから弟子の行動にあまり興味がないようなOSHOバグワンですら、『何かまずいことが起こりそうだと感じたら中止する』と警告を発している。

 

第三の目とは、霊能力者の目つきは、恐ろしげでこわばっている程度の軽いものではないのだろう。また第三の目が開きさえすればよいとも言ってはいない。悟りとは、第三の目の位置するアストラル体の死の先でもある。アストラル体には天国も地獄もある。

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