アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

冥想テクニックと自己(エゴ)

2023-03-13 06:56:21 | 時代にFace it

◎すべてを棄てる、すべてを明け渡すこと

 

OSHOバグワンは、東洋人にはすぐに冥想テクニックを与えるが、西洋人には、すぐには冥想テクニックは与えず、すべてを導師であるOSHOバグワンに明け渡せと指図する。

 

ところが、西洋人には、明け渡しはまずできない。なんとなれば、西洋的精神には師と弟子という概念がなく、導師を想像できない。つまり人間が他人に明け渡すなど想像もできないからである。

 

OSHOバグワンの見るところ、西洋の教育、文化、文明はすべて自己(エゴ)の強化と完成に目標を置いている。また西洋の心理学の基本線も自己(エゴ)の強化であって、35歳までにエゴの極み、すなわち一点集中のエゴ、結晶化したエゴを完成させた後、ようやくそれを明け渡すことができる。

 

さらにエゴが未完成な西洋人に冥想テクニックを与えると、エゴがテクニックを悪用し、更にエゴを強化するだけになる。だから、彼は、すべてを棄てる、すべてを明け渡すことができない西洋人に冥想テクニックは与えない。

 

以上参照:ヴィギャンバイラブタントラ(10空の哲学)OSHOP70-77。

 

この話は、日本人の教育や世論誘導の方向性を見るとまさに混乱の極みであることが見てとれる。自己の強化と自己の明け渡し施策が混在しているのである。

 

もともと日本人の精神は禅的であり、花鳥風月自然ともに生き、自然と共に死んで行くのがあたり前の姿であり、神仏習合ながら精神的指導者としてどのコミュニティにも仏僧がいた。徒弟制度の中でも、また芸道、武道、書道、華道、茶道、仏道、神道には、普通に師匠がいるものであり、その土壌で育っていけば、師にすべてを明け渡すことはあたりまえのことである。それはメリット・デメリットとは無縁の価値構造、精神構造であった。

 

そこに戦後、人は平等とか、個人の権利とか、能力主義とか、自己実現・自分に合った職業選択とか、不道徳でもスーパーリッチがよいとか、エゴ強化を目的にした西洋的思想施策が怒涛のように入ってきて、国民全体の貧困化と相俟(ま)って、いまや日本人の精神は混乱を極めている。

 

すべてを棄てる、すべてを明け渡すのもう一つの実例は、戦中の滅私奉公であって、これについて左翼を中心にネガティブ・キャンペーンが行われ続けているが、人間の真の幸福をニルヴァーナからの展開と見れば、その冥想修行のプロセスの中で、師への絶対服従は必要なものだ。

 

冥想修行の中で、スピリチュアル・エマージェンシーとか、完全に精神がオープンになって善にも悪にも振れる危険な瞬間はあるものだ。そういったタイミングにおいてこそ師は必要なものだ。

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