◎ジェイド・タブレット-11-14
◎アートマン-14
◎第六身体アートマンの様々なアスペクト-6
◎アストラルでの支那トリップなど
夢窓疎石は、天龍寺と相国寺の開山であって、日本の禅的芸術の源流でありながら、自分のことは、出来損ないのガキ(蕩子)と称していた。
夢窓疎石の詩
『客中偶作(旅にあってたまたま作る)
蕩子の生涯、貯蓄無し、
山雲渓月、これ青氈(せいせん)。
東西白く踏む一条の路、
途中と家舎の辺に在らず。
客中偶作
蕩子生涯無貯畜、
山雲渓月是青氈。
東西白踏一条路、
不在途中家舎辺。
(大意)
ぐれた子に財産はない。
山の雲と谷を渡る月がわが宝物。
東西へ連なる一条の白い道を踏んでいくが、
どこが途中で、どこが家という区別もない。』
一条の白い道は、垂直ではないので、クンダリーニのことではない。
『一条の白い道を踏んでいくが、どこが途中で、どこが家という区別もない』とは、アートマン=空のイメージであって、あらゆるものが一つながりである“これ“を指す。
夢窓疎石の疎石という名は、彼がアストラル・トリップで、中国の名僧疎山と石頭に案内されて達磨像をもらった事件に由来する。
禅僧だが、そういうこともできたのだ。