アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

組織宗教がすべて過去の記憶となる

2023-06-26 05:51:58 | 覚醒のアーキテクチャー

◎あなたのエゴと隷属をともに焼き尽くす火

 

OSHOバグワンは、アメリカ官憲に拘束されて毒(タリウムか?)を飲まされて、七週間苦しみ、その間7度脈拍が停止したこともあった。七週間後に痛みは引いたが、身体の不調は、亡くなるまでのあと一年ほど続いた。

彼の宗教コミューンを創造しようという運動は、アメリカ官憲からの追い出しによって破綻。当たり前だが、彼の宗教コミューンに参加したからといって、全員が神仏を知るわけではない。

以下の文章は、その頃の講話だが、構想の力点は、既に新宗教コミューン建設ではなく、既成組織宗教の崩壊の運命に移っている。

 

過去何千年の人類の歴史は、既成組織宗教が、抑圧を梃子として自分自身に向き合うことを促すことで、神仏を人間に気づかせるという形で行われてきた。

今や人間の精神も肉体も進化し、抑圧なしで神仏を知ることができるところまでやってきた。これを以て組織宗教の命脈の終わりとし、釈迦はこれを末法と見て、キリスト教の予言者マラキーは最後のローマ教皇を幻視し、ファティマ第三の秘密ではカトリックの終わりがささやかれ、ダライラマは自分が最後のダライラマだとしている。

利己主義と隷属は、抑圧を以て神仏を知るパターンを堅持する組織宗教の定番のやり方。万人が組織宗教を媒介とせず、直接神仏を知る時代となれば、組織宗教はすべて過去の記憶となる。

そうなれば、「拝みたい者には築山でも作って拝ませましょう。」などという軽口まで出てくる。

OSHOバグワンは、一歩進んで、組織宗教こそが、人類に抑圧を強制する構造を温存する古びた組織だから、これを破壊すべきだと踏み込んでいる。だが、組織宗教のステイク・ホルダーは多数いて、それは容易な道程ではない。

 

『私たちはここで新しい宗教を創ろうというわけではない。私たちはあらゆる手をつくして宗教すべてを破壊しようとしている。 諸々の宗教はもう十分、人類に害を及ぼしてきた。このうえ一日でもそれを許しておくことは、慈悲の意味を知る者、自分自身の存在の永遠性を知る者の意に反することだ。こういった組織宗教がすべて過去の記憶とならない限り、人間の生活からは、枷や、鎖や、様々な道徳がなくならない。そういったものは人間の意志に反して押しつけられたものだ。そのせいで人間は独立した一個人として生きることができない―――群衆に合わせて自己を制御しないといけない。それは醜い隷属だ。

何千年もの間、人間は様々な種類の隷属のうちに生きてきた。もう自由の味を忘れて いる。もう応答能力の美を忘れている。自分に翼のあること、大空が自分のものであることを忘れている。人間は動物のように棒につながれている必要はない。超越の鳥なのだから。

私はこれからもずっとみんなの中にどんどん火を起こしていく。その火はあなたのエゴと隷属をともに焼き尽くす。それによってあなたは自由になり、みずからの光となる。あなたの瞳にこそ、世界の希望がある。』

(ノーマインド 永遠の花々 和尚/講和 壮神社P87-88から引用)

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