アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

三身(法身、報身、化身)を七つの身体で説明

2023-08-14 07:13:45 | 覚醒のアーキテクチャー

◎報身はある種のバイブレーションか

 

三身(法身、報身、化身)を七つの身体で説明しているのは、OSHOバグワン。

一般に三身とは、法身(真理そのもの)、報身(人々の救済に現れる仏・菩薩)、化身(応身。歴史上の仏陀など、衆生教化の対象に応じて現れた仏) などと定義される。

 

OSHOバグワンによれば、

化身:

『まず最初に見ることができるのは、化身だ――それは光の薄い層の身体で、肉体より四インチほど大きい。それは肉体のすぐまわりにある四インチ幅の光のオーラ、ごく柔らかな光のオーラだ。 これは「転生の身体」であり、それゆえに、人が死ぬ前―キルリアンが発見したように――人が死ぬ六か月前になると、この身体は消え去ってゆく。それは人の存在の内側に収縮する。それが中心に戻り、大きなオーラがただの光の点になるには六か月を要する。そしてこの小さな光の点は、あなたの身体がまだここにとどまっているあいだに転生する。』

(ボーディダルマ/和尚/めるくまーるP443から引用。)

 

雑誌ムーのファンならキルリアン写真は知っているだろう。この光の層は、誰でも見えるわけではないが、覚者にポジティイブな関心を持つ人(学生)が覚者を見れば見れるという。『人が死ぬ六か月前になると、この身体は消え去ってゆく』とあり、また6か月後の死の時点では点として存在しているからには、肉体の死後数時間で崩壊すると言われるエーテル体のことか。おまけにこれは転生までするというし。

これは霊衣のこととは思えない。

 

報身:

『だが、もうすこし理解の深い人々は、より神秘的な身体、この薄い光の層の背後に隠されている、仏教の教典中では「報身」として知られている、さらに厚い光の層の身体を見ることができる。それは充分に瞑想を続けてきたため、このうえもなく報いを受けている人にのみ生ずるもの だ。そのような人は、この世における最高の宝物、最高の報いである完全な静寂を知るに至っ ている。報身は、静寂の身体だ。だが、それはゴータマ・ブッダに非常に接近した人たちにしか見ることができない。』

(上掲書P444から引用)

 

『報身とは、実際には、〈存在〉が誰かの瞑想、誰かの静寂を認めて、その人の上に花々を振りまいている状態のことだ。誰かが光明を得たとき、〈存在〉はこのうえもなく幸福を感ずる。なぜなら、

〈ひとりの人物の光明〉(エンライトンメント)は結果的に多くの人々の〈光明〉のきっかけになるからだ。それは何世紀にもわたって続いてゆく長い長い連鎖になりうる。たとえば、ゴータマ・ブッダの〈光明〉をきっかけとするなにかが、いまだに人々を〈光明〉へ導く誘因になっている。二五世紀も経過したのに、それはいまだに続いている。それは連鎖反応だ。』

(上掲書P445から引用)

 

覚者と同じ変容を求めている覚者の弟子だけが、覚者の報身を見ることができる。

つまりたゆまぬ冥想により完全な静寂を実現した覚者は、ある種のバイブレーションを発生させるものであり、たとえば “弟子”が釈迦の故地に行けば、そのバイブレーションを死後2千5百年後でも感得できるものだと言っているように思う。誰にでも感じられるものではないだろう。

 

ダンテス・ダイジは、大本教の奥津城でそのバイブレーションを感得したという。

 

報身は、身体という表現だが、七つの身体のように誰にでもあるボディではなく、完全な静寂を実現した者にのみ起こるバイブレーションなのではないか。

 

法身:

師と混じり合い溶け込んだ弟子(帰依者)だけが、師の法身(真理そのもの)を知る。だが達磨は、帰依者は師の法身を自分と別物だと認識しており、まだ「私」が残っている段階と戒める。その先にからりと晴れた虚空、大空(真理)がある。

 

一般に定義される三身とは別のパースペクティブでOSHOバグワンは見ているが、常識的社会人にこれを説明するのは容易ではない。またそもそも霊的な見方でもない。

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